【-個体名-】
「話が見えないんですけど。こっちにも分かるように話してもらえませんか」
「空気を読んで黙っていろよ、“人形もどき”。人が感傷に浸っているときに、なぁにを場に似合わないことを言っているんだ。犯すよ?」
「言いながら私を犯したことなんて一度も無いじゃないですか。いい加減、そうやって脅すのやめてくれませんか。もう耳にタコができるくらい聞きましたし、次こそは本当にそうなるんじゃないかってビクビクしなきゃならないのが耐えられません」
「クククククッ、テメェのところのバカガキも厄介そうだなぁ」
ディルは奇妙な笑みを浮かべ、しかしすぐに真顔に戻り、言葉を続ける。
「査定所に最優先討伐海魔として指定している海魔が、この先にある町に潜んでいるという情報が入ったそうだ。種族名はセイレーン、ただし個体名の『クィーン』が付けられているがな」
「『クィーン』?」
雅は首を傾げ、鸚鵡返しをする。
「海魔にはそれぞれ名称を付けているだろう? シーマウスやフロッギィ、リザードマンのようにね。けれど、個体名が付けられている海魔は、討伐されずに長年、人間を喰らい続けている海魔に付けられるんだぁ。セイレーンは沖合いにしか出現しない下等種さ。けれど、『クィーン』と名付けられたセイレーンは人間を喰い漁った年月なら五年と半年という超大物さ。たまに出て来るんだ、そういう海魔がさぁ。大体は一年以内に討伐されるんだけど、五年を越えてもまだ討伐されていないのは『クィーン』、『バンテージ』、『ブロッケン』の三匹。『クィーン』はセイレーン、『バンテージ』はドラゴニュート、『ブロッケン』はラビットウルフ。分かると思うけど、セイレーン以外は特級海魔だよ。だからさぁ、どうしてセイレーン如きにここまでの歳月を掛けて倒すことができないのか、納得が行かないねぇ……で、君? お酒は持ってない?」
ディルに答えてもらいたかったのだが、ケッパーに答えられてしまい雅は苦笑いを浮かべつつ、「ありがとうございます」と述べる。しかし、そんなことは耳には入っていなかったらしい。
「持ってねぇよ」
「なら煙草でも良いや」
ケッパーはウザそうに返答したディルに構わず、更に要求を続ける。
「そいつも持ってねぇ。アルコールとニコチンは『飲んだくれ』に要求しろよ。って言ったところで、あれが酒も煙草もタダでくれるとは思わねぇけどな」
「話が逸れてます。なんでそう我欲に正直なんですか、あなたは」
「うるさいなぁ、“人形もどき”。君を妄想の中で十回、犯すよ?」
「だからそういうセクハラ発言をやめてください。見てくださいよ、雅さんが全力で隅まで逃げちゃっているじゃないですか!」
雅自身はそのように意識したつもりはなかったのだが、ケッパーがねぐらに入ってから、徐々に徐々に距離を開けるように動いていたらしい。
「このバカガキとクソガキに分かるように説明してやれ」
「海魔ってのはさぁ、クソみたいな脳味噌しか持っていない――まぁ要するに、姿形が人型だろうとなんだろうと、その頭部に入れている脳には、動物的な本能しか無いと思われているのが通例だ。その常識外に居るのが特級海魔。一等級海魔は言語を解し、意味も分かって発してはいるけれど、抑揚を持たず、いつもその言葉を用いて会話をしているわけではないんだ。要するに一等級と特級の線引きは、言語を解し、更にその意味も理解し、更には常に僕らと同じ言語を用いて行動する海魔であるかどうか、にあるんだ」
だからインプは一等級だった。今、ここで女の子の姿をしている特急海魔のリィは、抑揚もしっかりとしていてハキハキと言葉を話す。なにより、今まで会話が続かなかったことは一度も無い。だからリィは特級海魔に分類される。
だとすれば、ドラゴニュート、ラビットウルフもリィと変わらないほど耳に滑り込んで来るような人語を用いて来るということになる。
「でさぁ、問題はここからだよ。一等級と特級の線引きは、人語を日常的に用いるか否か。けれど、言語を抜きにして、この二つの階級の海魔にはどうも、思考できるだけの脳が備わっていると考えられる」
「思考できるだけの、脳?」
「学習能力を越えた、喜怒哀楽の概念を有しているということさ。喜怒哀楽の感情があるということは、これらは下等な海魔に比べて極めて人間的な、人間に近いコロニーが形成されていると考えられる。まぁ、特級と一等級は査定所の中でも“特筆して、人間を襲う可能性のある種族”のみが討伐の対象に入ることが多い。人を貶めるインプ、仕える者の命令に忠実なリザードマンなんかは、よく討伐リストに入ることがあるね」
「相変わらず、テメェの前置きは長ぇんだよ。さっさと直球で言いやがれ」
雅が思考回路をショート寸前にさせていることにディルは気付いたらしく、それとなく促した。
なんだかもう、ディルに助けてもらってばっかりだよ。
と雅は思いつつ、俯きながら耳朶を僅かに朱に染める。
「つまり、セイレーンにはまず思考できるだけの脳味噌は無く、考えるという余地も存在せず、あるのは動物的本能と、僅かばかりの学習能力。これに限られるはずなんだ」
ケッパーは、小さな引き笑いをしてから続ける。
「けどねぇ、この『クィーン』には、どうやら“思考”があるようなんだよ。他のセイレーンとは全く違う、人間的本能が有されている。これは驚くことであり、参ったことだよ。『クィーン』だけならまだマシさ。けれど、今後、セイレーンのような動物的本能しか持っていないと言われているような深海級、五等級や四等級なんかにもし“思考”というものが生じるようなことがあれば…………人間は死滅するだろうね。上の人間は、それがとても怖いんだ。怖くて怖くて、目を逸らしてしまいたくなるくらいには、怖ろしいことなんだ。だから『クィーン』だけは仕留めたい。仕留めなきゃならない。そんなイレギュラーには消えてもらわなければならない。それが上の人間が、血眼になって『クィーン』を討伐したがっている理由さぁ。人間的本能、思考を持っているってことはつまり……五年と半年も逃げられる理由にもなっている。『クィーン』は、自らが助かるにはどうしたら良いかと考え、時には仲間すらも見捨てて、狩りを中断して逃げ出すらしい。そして討伐される危険性があるところで狩りはしない。もしも討伐者を見つけたならば、その数を把握して、危機を感じたなら海に逃げる。これじゃ、どうやったって『クィーン』は仕留められない。それが『上層部』にとっても、マイナスにしかならないことらしくて、更に報酬の水と金額は跳ね上がり続けている。今回、この地域全体に『クィーン』の出現の可能性があるから、査定所に寄った全ての討伐者に通達が来たんだ」
「ほとんどの討伐者は『クィーン』と知って狩ることを躊躇って、やめてしまうみたいだがなぁ。殺す前に殺される確率の方が高いと思ってんだろう。だれもそんなハイリスクな賭け事に命まで差し出せやしねぇ」
雅は俯かせていた顔を上げる。
「え、ちょっと待って。じゃぁ、ディルは……討伐する気で居るの?」
「『クィーン』を討伐すりゃ大金と大量の水が手に入る。俺はがめつい男だ。こんな上手い話に乗らないわけがねぇだろ」
「とか言いつつ、ちょっとディルには因縁があるんだよねぇ」
ケッパーはディルに視線を向けながら言う。
「君が義眼を嵌める理由になった海魔。それが『クィーン』なんだよねぇ? 突如として現れた予測不可能な思考する海魔に遅れを取って、片目を潰してしまった。そうだろう?」
「そうなの!?」
雅はバッとディルに詰め寄った。




