【-猫背の男-】
「テメェらは一々、うるせぇな。人形野郎はまだ話ができる相手だ」
つまり、ディルにとって『ケッパー』とは、まだ話の出来る相手という印象なのだろう。
「金属だけの短剣って、重くない?」
これ以上、ディルに話題を振れば、なにをされるか分かったものではないので、楓に話を戻す。
「基本的には両手持ちです。長剣にすると、振るだけで一杯一杯になっちゃいます。鎖鎌は振り回して投げればなんとかなりますし、三節棍は鎖で分かれてますから、体を回転させて円運動を加えればそれほど難しくありません。弓だけは弦を引く際の力と集中が必要になるんで、ちょっと苦手です。動いている海魔には滅多に当てられません。止まっている海魔にはまだ当てられるんですけど」
「へぇ」
自分らしい武器の扱い方を身に付けている楓に雅は相槌しか打てなかった。あれだけ軽い動き、そしてディルの懐に入り込むだけの力量を持っていながら、自慢するように話さなかった。それだけでも随分と好感が持てる。
「私なんかまだまだですけど、雅さんは凄いですね!」
「え?」
「だって鎖鎌を構えている私に寄って来たじゃないですか。そんなことする人、今までいませんでしたから驚いちゃいました。だから鎌も狙いたくはなかったんですけどあまり怪我をしない辺りを狙って投げたんです。すると、走りながらかわしちゃうじゃないですか。そして最後だって、私の放った矢を弾いてしまいましたし」
「私、『風使い』の異端者だから。弓矢を構えた時点で射られるのは分かっていたから、前面に風圧の壁を作っておいて、逸れるようにしておいただけだよ」
力に助けてもらっているだけ。そういうつもりで雅は言う。
「それでも鎖鎌は駆け寄りながら避けましたよね? それに、弓矢を見て即座に、変質の力で弾く構えができるなんて、流石だと思います」
「いや、でも、私なんか駄目駄目だから」
「テメェはほんと、底無しで自分自身に鬼畜なクソガキだな」
ディルが後ろ向きな雅に言葉を零す。
「他人の評価をそれで良しとせず、自分で自分を良しとせず。だったら一体誰がテメェを評価すれば良いんだ? そいつの鎌を避けることができたのも、矢を逸らせたのも、テメェがこれまで培って来た経験の賜物だ。少しは自身の努力を労われ、クソガキ。でなきゃ俺も訓練で楽しめねぇ。努力で強くなろうとするクソガキを踏み締めて悦に浸ることができやしねぇ」
上体を起こし、ディルは雨の降る外を眺めつつ言う。
「やっぱりあの人、おかしいですよ。雅さんがどうしてあんな人に付いて行っているか、分かりません。想像通りのマゾなんですか?」
「だからマゾじゃない!」
予想通り、こんな二、三歳年下に見える子にすらマゾヒストのレッテルを貼られていた。それがとんでもなく恥ずかしく、雅の頬は羞恥の色に染まる。
自分で自分を評価、か……。
雅はディルの言葉を心の中で反芻し、ふぅと軽い息を零す。
「ありがと、ディル」
「だからコテンパンに言葉で叩きのめされているのに、どうしてありがととか言っちゃうんですか。マゾにしか見えません」
「……うん、ちょっと黙ってくれるかな、楓ちゃん?」
苦笑いを浮かべながら雅は楓にそうお願いをして、その作り笑いを見た彼女は「はい」と小さく呟き、密着していた体を離した。
雨足が強くなる。しかし、ねぐらは雨漏り一つ起こらない。ディルの力に感謝することしかできない。倒れていながら、これほど細かな変質をやり遂げるとは、豪快に見えて精密さも兼ね備えている。
私は『風』しか使えなくて、しかも空気にしか干渉できないから、こんなことはできない。
そうやって自分を虐めることもできるのだが、ディルは「自身の努力を労われ」と言った。だから雅は、そんなことで凹んでいる場合では無いのだ。空気を変質させて、風圧を自在に扱える。たったそれしかできないが、たったそれだけの技術を極めれば良い。そう考えれば、ディルのように五行全てが扱えなくて逆に良かったとも言える。雅は、それほど細やかなことを一瞬で判断して切り替える脳を持ち合わせていない。ただし、一つだけならばそれだけに全てを注ぐことができる。
「……来たな」
ディルは眺めていた外を見やりながら、三人に聞こえるように言った。
「なんでそんなことが分か、」
現れるなら雨がやんでからだと思っていたのだが、その想像はすぐに覆された。
猫背の男がフラフラと左右に揺れながら、こちらを目指して歩いている。体に纏わり付いた蔓と蔦が男の頭上で幾重にも絡み合い、男を雨から守るように頭上で円状に広がっている。そして足元は、踏み出すたびに僅かばかりの緑が生い茂る。その草花が雨で塗れた道路から靴を守っている。
見るからに異様であり、異常である。だから雅も言葉を止めてしまった。
男が「あぁ……」と声を漏らしながら顔を上げる。顔立ちは、西欧の出自なのか、整っているように見える。しかし、翡翠色の両目の下にあるクマが全てを台無しにしている。両腕をダラリと垂れ下げながら、男が歩むたびにその両腕は左右にブラリブラリと揺れる。
「あの人が、ケッパー?」
「はっ、生き残ったあとと大して変わっちゃいねぇが、老けたな」
ディルは鼻で笑うが、首都防衛戦が起こったのは二十年前のことである。そして、それで老けたと言うのならこの男も充分に老けていると雅は思うのだが、心の中で押し留めておく。そういえば、とリコリスのことを思い出す。あの女はディルや、さっきからこちらに歩いている男よりも圧倒的に若く見えたのだが、『水使い』としての影響かなにかだったんだろうか。
「あぁ……なにか、見たことのある顔を見つけたぁ」
「おい、人形野郎。テメェの寄越したバカガキが俺を痺れさせて、気絶させようとしやがった。テメェが狙って差し向けたのか、それともこのバカガキが間違えただけか、どっちだ?」
ディルの問いに対して、男はヒィッヒィッ、ヒィッという引き笑いを見せる。
「あぁ、ちょっと待って。笑い転げて、死んじゃいそう」
そう言ったのち男は笑うだけ笑って、落ち着いた。
「さすがに、ディルを狙わせる馬鹿は居ないよ。僕だって、まだ死にたくないもの。その“人形もどき”にも二人組は狙うなって言ったんだけどなぁ。おかしぃなぁ…………って、ディルも“人形もどき”を連れているんだ? じゃぁ、三人組になっちゃってたのかぁ。でもさぁ、ウチの“人形もどき”が力量も推し測れないほどの馬鹿だなんて、思わなかったなぁ。さすがに君を前にしたら、下がると思ったのに……」
「“人形もどき”?」
雅は男に呟くようにして訊ねる。
「…………今、君を五回犯した」
「ひっ」
「……あぁ、良いねぇ。その顔。凄く良い。これで今日の夜は困りそうにないなぁ」
強い拒絶の表れとして、声が漏れ出たのだが、そのことに男はむしろ悦んでいるように見えた。座ったまま下がり、視線を外す。
この男の声、背格好、そして口調。なにもかもが生理的に受け付けなくなって来てしまった。とんでもないことを口走られたこともそうだが、とにかく異性を突き放す異様さを秘めている。
「いつものことです、普段から呟くことなんで気にしないでください」
楓が雅に耳打ちをする。
普段からこんな感じなのか?
だったらディルで良かったと、雅は心の底から思った。こんな男と一緒に行動なんて、雅には絶対にできない。




