【-再変質-】
「頭に響く、うるせぇ。俺に電気を流したガキなんざに気なんて遣うんじゃねぇ」
ディルは苛々しながら再び足で道路を踏み締める。隆起した土塊がコンクリートを砕き、雨粒が屋根を伝って道路へと流れる堀を作る。これで屋根の下に『穢れた水』が入り込んで来る心配はほぼ無くなった。
薪を集め終えたリィが簡易のねぐらに入り、ジッとそのときを待っている。
「その、ケッパーは本当に来るの?」
「来ます来ます。あの人、水筒を持ち歩いていないし。喉が渇いたら絶対に私を探しに来ます。大体、あの人かなりおかしいんですよ。着るものを制限して来たり、やたら変質者っぽい発言するしで、もう最悪です」
「着るものを制限?」
「短いスカートを絶対に履けって言うんです。もう、ほんと最悪ですよ……露出面積減らすためにオーバーニーソックス履いてますけど、そもそもスカートを履いていなけりゃこんな靴下も履かなくて済むんです!」
それは、最悪だ。討伐者として楓が海魔と戦っているのなら、そのプリーツスカートで隠されている下着は常に衆目に晒されるも同然ということだ。
「はっ、人形野郎も昔はちょっとはマシだったんだがなぁ」
ククククッとディルは嗤う。
「ちょっとはマシって、どんな感じだったんですか?」
「青臭いガキがそのまま大人になったみたいな男だった。今は、テメェがよく知っている“現実を見ていない男”だ」
「わ、ほんとにケッパーの知り合いなんですね。半信半疑だったんですけど、それを訊いて少しは信用しました」
ディルはあからさまに苛々している。どうやら楓が目上の者に対する礼儀をこれっぽっちも持ち合わせていないことに対する苛立ちのようだ。
けど、私もディルに敬語を遣ったことないのに、それには苛々しないのかな。
雅はチラチラとディルを横目で見つつ、自分も敬語に直した方が良いのかと悩む。
「テメェまで鬱陶しいことを考えていたら、蹴り飛ばすぞ、クソガキ。テメェが敬語なんか遣ったら、こいつ以上のウザさだ」
「なんで分かるのよ!」
「テメェが顔に出しているからだろうが! ああくそっ、うるせぇうるせぇうるせぇなぁ!!」
思うように体が動かないことで、苛立ちは更に加速しているらしい。
「人間が一発で気絶する量の電流って、どれくらいの強さを流したの?」
「えーと、海魔でも試したりしてたんで、数字では上手く表現できませんけど、大抵の動物は一発で倒れますね」
「流しすぎだバカガキ!!」
ひぃっと楓が怯えて雅の後ろに隠れた。
「こんな小さい子に苛立ってどうするのよ」
「テメェも一発で気絶するぐらいの電流を浴びれば分かるだろうよ」
雅は「……うん、そうだね。それは、怒っちゃうね」と相槌を打つ。そんな電流を浴びさせられるのは、絶対に嫌だ。
「試してみます? ちょっと勢いを弱めますんで」
「試さないよ!」
何故、望んで電流を浴びなければならないのか。雅の第一印象をほとんどの人が「マゾヒスト」と捉えるのだが、楓も例外ではないらしい。
「雨、降って来たよ」
リィが喧騒を鎮めるように一言、零した。雅よりも先に楓が素早くディルが作ったねぐらへと滑り込む。雅は彼女の軽い動きに目をパチクリさせたのち、自らも急いでねぐらに身を隠した。
ポツリ、ポツリと雨が降り出す。『穢れた水』と同じ成分を含んでおり、海の水ほどではないが浴びれば人体に害を成すものだ。
赤くもなく、黒くもなく、ただ普通の水と変わらない色をしている。しかし、それでも雨粒からは腐臭が漂う。
「はぁ……お腹空きました、喉も渇きました」
雅はウエストポーチから水入りの小瓶を取り出して、楓に差し出す。
「良いんですか?」
「食べ物は、あげられないけどね」
「ありがとうございます」
小瓶に入っている僅かばかりの水を、楓は味わうようにゆっくりと、少しずつ時間を掛けて飲み干した。水筒の水に比べれば、一口二口あるかないかというところだが、それだけでも楓の喉は潤すことができたらしい。
「どこの誰とも知らねぇ奴に水を寄越すなんざ、ほんと『偽善』は得意だよなぁ、テメェは」
「ディルが水筒の水を使わせちゃったからでしょ。この子の水のおかげで雨漏りが無いか確認できたんだから、これくらいはあげても良いんじゃないの?」
「はっ、電流さえ浴びなきゃ、そんなこともさせてねぇよ。まだ痺れが取れねぇし、視界はグラグラ揺れてやがる。最悪だな」
「だから一発で気絶した方が楽だったんですって」
「物盗りをする気満々のバカガキを目の前にして、そう易々と気を失ってたまるかよ」
ディルは「ウゼェウゼェ」と呟き、雅たちから視線を外した。これは恐らく、楓の服装が原因だろう。
無邪気ながらにねぐらへと入った彼女だったが、今は大人しく体育座りをしている。そちらを向けば、自ずと下着を目にすることになる。この男は年下にこれっぽっちも性愛など抱かない、真っ当な感覚の持ち主だが、どうやら雅がなにか文句を言うだろうとこれまた察したらしい。さすがの雅も、自分のことではないので楓のスカートの中をディルが覗こうが覗かまいがとやかくは言わない。
この部分が『偽善』と言われる由縁である。自らに利益が零れて来ないのなら、相手が被るであろう不利益からは目を逸らす。雅が楓のスカートを注意したところで、なんの得にもならない。
これは全て、この子が短いスカートを履いていることが悪いのだ。ただその一言で終わる話である。
なにも楓だけ特別というわけではない。雅はリコリスの服装に肌色面積が多いと思いつつも、それを指摘しなかった。指摘したところで、あの女は直さないことが性格的に窺い知れた上に、指摘したところで雅に利益がもたらされなかったからだ。
指摘しなければ不利益を被る場合ならば、その限りではないが。
「楓……ちゃん、で良い?」
「はい。私も雅さん、と呼んで良いですか?」
互いに肯き合って、名前での呼び合いを了承してもらう。
「楓ちゃんの短剣って、なにか特殊な細工でも施してあるの? 再変質のコツの中に、材質も関わっていたりするのかな、とか思って」
彼女の短剣を差し出しながら、雅は訊ねた。
「えっと、さっきも言いましたけど、物体の再変質は、人に簡単に説明できるものではないと言いますか……でも、雅さんの言っていることは当たらずも遠からずですよ」
短剣を楓は恐る恐る手に取った。武器を返してもらえたことが驚きだったらしい。そして、敵意も戦意も見せない雅の表情を見て、楓はその可愛らしい顔から緊張を解いた。
「これ、柄の部分も金属なんです」
「装飾も?」
「はい。ほぼ全て金属で出来ているんです。討伐者は、最も得意とする五行に属する物質を扱った方が質量を無視しての変質がある程度可能なのは分かりますか? 私みたいな『金使い』なら金属といった具合に」
「うん、知ってるよ」
なにせディルが『五行使い』でありながら、その中で一番得意とするのが『金』だからだ。義眼から斧鎗を作った様を見て、それを知った。本人は教えてはくれていないことだが、見たのなら理解しろということだろう。。
「だから、金属系の物質――武器なら、私は可能な範囲で形を変えることができます。変質後に再び変質する手法は、私もケッパーから教わるまで出来ませんでしたけど」
「あの人形野郎の十八番は再干渉だ。そこだけは馬鹿げたくらいに飛び抜けている」
ディルが他人を褒めるところなんてほぼ初めてじゃないだろうか、と雅は驚く。
「誰でも厄介な再変質を、ケッパーは平然とやってのける。あいつはそのバカガキに、自身と同等ぐらいの再干渉の素質を感じ取ったんだろうよ」
「……体を動かせないから、ディルがディルらしくないこと言ってる」
「ワタシも、ビックリしてる」
雅とリィが続けざまに言うと、ディルは強い舌打ちをした。




