【-身軽さ-】
「ディル!」
「クソ面倒くせぇ。乞食か?」
ディルは石の斧鎗を横に薙いで、雨合羽を着た何者かの急襲を止め、更に後退もさせる。
「テメェにくれてやるもんはねぇ。さっさと失せろ」
「三人……三人なら、気絶させられない数じゃありません」
雨合羽の何者か――少女が小さく呟きながら短剣を強く握り締めて、またこちらに走り出して来る。
「またガキか! もうこっちはガキは勘弁なんだよなぁ!!」
斧鎗で牽制するが、少女の動きが怖ろしく速い。雅の足運びより明らかに軽快で、そして身軽である。
なにより、動かし方に迷いが無い。どこから攻め込むかを考えず、直感と感覚だけで少女は体を動かしている。
ディルの斧鎗をかわしながら、そうして少女は懐まで距離を縮めた。
「取りました」
「取れるかよ!」
斧鎗を放り出したディルが少女を蹴飛ばそうとする。
「跳んだ……?」
足技から逃れるために、少女が跳ねた。そしてそのまま軽業師の如き跳躍力で一旦下がると、再びディルの懐に入り込み、一撃。
その一撃は入ったように見えたが、ディルの手が少女の腕を捕らえている。
「なんだテメェは? どこでそんな風に鍛えた? 強盗や盗人のそれじゃねぇぞ」
「教えません」
ポツリと吐いて、少女が腕に力を込める。短剣の切っ先が僅かにディルの着ている外套の袖に触れた。
バチィッという空気を劈くような音が響き、ディルの体が横に傾ぐ。傾ぐが、男は意地で耐え抜く。しかし、少女を離してしまった。
「……テメェ」
後退しつつ様子を窺う少女に向かい、ディルは苛立ちの声を漏らす。
「倒れない? いや、流し込んだはずなんですが……」
少女はディルの踏ん張りに僅かながら動揺を示していた。
「ただ、近付くのはまずいですね。こっちの動きが完全に見切られていましたし……今のだってたまたま、通っただけです。だったら……!」
少女が握る短剣が、たちまち姿形を変質させる。
「鎖鎌!?」
雅は立ち上がり、両足に力を入れて痛みのほどを確認する。少しの休憩だったが、そのおかげで俊敏では無いが、動くことはできそうだった。
少女は鎖を握り、鎌ではなく分銅をヒュンヒュンッと音を鳴らしながら回転させ、雅へとその分銅を投げ付ける。
弱そうな方を狙うってわけ、ね。
雅は飛んで来た分銅を避けずに、敢えて受ける。回転から投擲に移行したエネルギーによって、鎖がたちまち雅の右手を絡め取り、更に分銅に付随している反しが鎖に引っ掛かる。
少女は鎌の方を回して、次の準備に移行している。雅は構わず、鎖に絡まったまま前へと走る。
「殺しはしません。だから、あまり暴れないでください」
そう少女は呟きながら雅に鎌を投げる。投げられた鎌を雅は走りつつも上体を反らして、避ける。
「失敗、ですか。でも、近付いて来るようなら」
少女は呟きながら、鎖を引き寄せながら後退する。
「また、変わった?」
変質した物体に、また同じように変質を行うのは難しい。ディルはそう言っていた。ただ、ディルは難しいと言っただけで、できないと言ったわけじゃない。
雅を捕らえていた鎖はあっと言う間に消え去り、近付いた少女の手元には鉄棍が握られている。それを薙ぐように振るい、雅に手痛い一撃を浴びせようとして来た。
驚きながらも、鎖から解放された雅は短剣で鉄棍を受け流す。このまま懐に入れば、攻撃の権利はこちらに委譲する。なにせ鉄棍は、鎗と同じくリーチに難がある。外側には強いが内側に入られると、大きな隙になりやすい。扱うのが上手い人なら、懐に入る前に仕留める。入られたなら、引き寄せて防御に回り、再び攻撃に回ることもできる。ただ、少女がそれほどの手練れには見えない。
「甘いです」
ジャラッと鉄棍の節から鎖が零れる。雅はそれを見て、咄嗟に後ろへ跳ぶ。
鉄棍ではなく、三節棍だ。
後ろに下がっていなかったならば、受け流した側からではなく、その逆からの一撃が来ていただろう。
「これもかわしたんですか?」
少女は驚きの声を漏らす。
「なら、これでどうです?」
雅が接近しようとしていることを察知し、少女は再び軽業師の如き跳躍力で大きく距離を取り、三節棍を変質させる。
「今度は、弓矢……?」
鉄の弓。鉄の糸、そして鉄の矢。全てが鋼鉄で出来たそれの弦を引き絞っている。それも着地後に狙いは素早く定まり、あとは少女が手を離せば矢が飛んで来る。大弓、長弓と種類はあるが、少女の持つ鉄の弓矢は短弓に分類されるものだ。他に比べれば到達距離は短いが、構えを取らずとも一定の速度と貫通力を得られる。
だからこそ雅の右手が前方に出される。
「お願い、動かないでください」
そう呟いた少女は鉄の矢を雅に向けて射出する。
「こ、の!」
矢が放たれる前に空気の変質を完了させた。そこに矢が接触し、風圧によって強引に軌道を変えさせ、道路に深く突き刺さる。
「これも、防がれたんですか……?」
「下がれ、クソガキ」
ヨロヨロとディルは歩いて来る。
「どうしたの、ディル?」
「あいつ、体に“電気”を流しやがった。それも気絶するくらい強いやつを、だ。許さねぇ、悲鳴を上げさせて、後悔させてやる」
「え、でもなんで気絶してないの?」
言いつつ雅はディルを見やる。
ボロボロの黒い外套の袖から端までが貴金属のような煌きを放っていた。
「受けて、地面に流した。だが、少しは喰らわされた」
雷や稲妻と呼ばれる電気の類は、人体に奔ることもある。浴びたならまず助からない。助かったならそれは奇跡となる。しかし、奇跡には偶然も混じることがある。
たとえば、ディルのように、電気の流れを作っていたならば、助かる率が少しは上がる。電流の通りやすい貴金属や装飾を身に付けていると、人間の体内ではなく体外を雷が奔る可能性があるのだ。ディルの外套は、その通りに貴金属へと変質が行われていた。結果、一部の電流が体を奔ったが、その後は全て貴金属の上を電流が舐めるように奔るのみで、体内を通らなかったのだ。
けれど、ディルは触れた直後から電気を流されるとは想定していなかったのだろう。だから、今もまだフラついている。
「おい、ガキ……! テメェは『金使い』に『雷使い』。五行と摂理の両方に属するデュオだな? 一体、どこのどいつからの差し金だ?」
フラつきながらも、ディルの威圧感は健在だ。少女は怒り狂っているディルを見て、動けずに居る。額からは汗がツゥッと伝い、頬を滑っている。この男から発せられる恐怖を、少女もまた味わっている最中に違いない。
「それは、言えません」
「はっ、だったら良い。テメェを死なねぇ程度に痛め付けて、そこらに晒しておけば、それでテメェを俺たちに向かわせた主には出会えるんだからなぁ!」
威勢は良いが、見かねた雅が肩を貸してしまうほど、ディルは意識を朦朧とさせている。いつこの場に崩れ落ちてもおかしくない体を、この男は不屈の精神で持ち堪えさせているのだ。
「ディル、このままだと」
「うるせぇ」
「でも!」
「黙っていろ」
ディルがひょっとすると殺されてしまうかも知れない。あの少女は「殺しはしません」とは言うが、本当に殺さないかどうかの保証はどこにもないのだ。
「ちょっと待ってください……ディル? さっきからその男のことをディルって呼んでいますか?」
少女から戦意が失せたのが分かった。
「俺がディルだから、なんなんだ?」
「……ハーブの、名前……じゃぁ、あなたはひょっとして、“ケッパー”の、知り合いなんじゃありませんか?」
ディルが俯かせていた顔を上げ、少女を睨む。
「あの人形野郎からの差し金か?」
「それは……当たらずとも、遠からずなんです、が……」
「だったらよけいにテメェを帰すわけには行かなくなったなぁ! とっ捕まえて、晒して、あの人形野郎を引きずり出して、どうして俺を襲わせたのか吐いてもらわなきゃならねぇからなぁ!」
「待っ、待ってください!」
少女が両手で構えていた弓と矢を降ろし、短剣に戻すと、それを地面に投げ捨てる。
「ケッパーに強盗をして、食べ物を集めて来るようには言われていましたけれど、あなたをディルと知って襲ったわけじゃ、ないんでっ!」
敬語の割には言い方が砕けている。他者が用いていた敬語を聞いて覚えたような拙さがあった。
「そんな嘘に引っ掛かるか!」
「待って、ディル。まだ話は聞ける。それから判断しても、遅くはないでしょ?」
「……なら、テメェが話を付けろ。俺は少し、横にならせてもらう」
ディルが雅を押し退け、それから、先ほどまで雅が座って休憩を取っていたところに横になった。




