【-野宿に向けて-】
入院していた町から出て、三時間ほどが経過してお昼時になった。しかし、食料と呼べる食料は非常食しかないため、休憩して水筒の水を飲みはするが、それに手を付けることはしない。
「ディルはリィと旅をしていたとき、どうやって飢えを満たしていたの?」
「テメェみたいに俺は食料には困らねぇ。木を生やすか野菜を生やすかの違いだ。蛋白質と脂質は高価だが、買った干し肉で誤魔化す。今回はそんなもん、用意してねぇがな」
「じゃぁ、目的地は以前みたいに近場?」
「ポンコツの鼻で行き着く先が、査定所からの通達があった“街”になるはずだ。だが、あのときのように昼過ぎに到着というわけには行かねぇ。到着は、夕方か今晩辺り。その時間帯で宿が取れたなら、運が良いってところか。野宿の場合は、テメェにも夜の見張りに付いてもらう。ポンコツは臭いで目を覚ましてくれるが、確実な視覚と聴覚での認識が欲しい」
「二、三時間に一回は交代?」
「クソガキが二、三時間に一回起きられんのか? 野宿の場合は就寝を遅らせる。十一時に就寝に入り、焚き火をくべつつ朝を待つ。俺が五時間ほど見張り、テメェは二時間だ。そして朝の六時になる」
それではディルに依存する形になってしまう。雅は異を唱えたかったのだが、夜の見張りを一度も経験したこともなく、いつも屋根のある場所で朝まで深い眠りに落ちていたことも踏まえると、三時間や四時間起きていられるかも怪しい。客船型戦艦の甲板でさえ、朝早くまで目覚めることがなかったくらいだ。それくらい、自分の眠りに対する神経は暢気なのである。誰かが触れようとするものなら途端に目を覚ませるが、そういった一切が無いのならば、起きられない。
「御免なさい」
「はっ、いつも御免なさいを言って付いて来てくれるんなら助かるんだがなぁ。どうせ、またどこかで愚痴や文句を吐くんだろ、クソガキ」
雅がディルのことを分かっているように、ディルも雅のことを分かりつつある。それも雅よりも更に細かく知られつつあるように感じられた。
「テメェの見張り中はポンコツも起こす。話に花を咲かせて、いつの間にか海魔に囲まれていたら、分かっているな?」
暴力が飛んで来る。そう言いたいのが手に取るように分かったため、雅は首を縦に振る。
「お姉ちゃん、頑張ろうね」
「そうならないように、宿を見つけられるのが一番だと思うけど」
リィの頭を撫でつつ雅は呟く。
「ああ、それが一番だ。分かっていると思うが、雨が降ったら更に余裕は無くなる。さすがにそのときには雨宿り用になにかしらを変質させて木々の屋根を作るが、そろそろ、この空を覆い隠している雲も雨を蓄えている頃だろう。テメェのウエストポーチには帽子も入っていたな? それを被って、ゴーグルもしておけ。一滴でも眼球に命中するようなことがあったら、それだけで失明か、大きく視力を失う」
この世界の雨は人にとって有害だ。腐った海ほどではないが、長時間、肌を晒そうものなら容赦無く皮膚を爛れさせる。そして、ディルの言ったように目に入りでもしたら、角膜と水晶体を激しく損傷させて来る。
ただし、雨は数ヶ月に一、二回という割合となっている。世界に穢れた水が蔓延する以前はもっと降雨量が多かったらしいが、曇天がほぼ“晴れ”のようなものとなった今では、以前の概念は通用しない。
ここのところ、確かに雨は降っていない。そのため、今日や明日にでも降る可能性は充分にあるのだ。
ディルはボロの黒い外套のフードを被り、懐から片目だけを保護するゴーグルを付けた。眼球を傷付けたときに付ける眼帯に似ている。どこにでも、そういったものはあるのだなと思いつつ、雅はウエストポーチからキャップ帽とゴーグルを取り出し、身に付けた。マスクは雨が降ってからでもまだ間に合う。だが、にわか雨の場合、すぐに取り出しやすい用にズボンのポケットに移しておいた。
リィは当然の如く、雨に濡れても大丈夫なのでなんの装備もしないわけだが、ディルはきっと雨が降れば彼女も雨宿りできる場所に入れるだろう。
休憩を取ってから更に二時間歩き、そこで三十分ほど休憩を取り、更に二時間。昼過ぎの休憩も三十分だったため、これで計八時間ほど歩いたことになる。どれもこれも体感に過ぎないのだが、既に日は沈みつつあるため、時刻としては午後五時頃だろう。
「もう……疲れた」
「文句を言わずにさっさと歩け」
八時間ぶっ通しではないが、歩き続けてもう足はパンパンである。更に雨がいつ降るのか分からないため、常に天候を気にしていた分、精神面の消耗が激しい。無論、それはディルにも言えることなのだが、この男と雅では体力に差がありすぎる。その男に必死に付いて行こうとは思うが、足の筋肉が悲鳴を上げて、あるところで雅は動けなくなってしまった。
「もう根を上げるか?」
「…………待っ、て、一分か、二分だけ、だから。そしたら、また歩く、から」
ディルは雅の顔を睨むように覗き込んだのち、空を一瞥する。それから舌打ちをしてから辺りを見回した。
「ここで野宿だな。雨が降るか降らないかギリギリでの前進は危険過ぎる」
「大、丈夫。まだ、歩ける」
「テメェは歩くことだけ考えてんじゃねぇ。そんなに疲れていて、もし海魔から襲われたらどうするんだ?」
そうだった、と雅は小さく声を零した。ディルは道路のど真ん中で野宿の準備を始める。雨を凌いでも、近場の木々に雨粒が残っていれば大惨事である。だから、野宿は木々から離れている道路のど真ん中なのである。そして、周辺の木々が伸ばしている小枝を、ディルは道路から変質させて作り出した石の斧鎗で断ち切って行く。どうやら焚き火の薪に使うつもりらしい。
「私も手伝う」
「テメェは人の話を聞いてねぇのか。残った体力を全て使って野宿なんざしたら、海魔に襲われたときにテメェが動けねぇだろうがよ」
雅は気負いを捨て去らなければならないらしい。その場にへたり込んで、休憩を取る。しかし、ディルが着々と準備を進めている中、そしてリィも「のじゅくのじゅくー」とディルが切り落とした小枝を集めている中、一人だけその場に座り込んで、休んでいるのがどうにも落ち着かない。
「……なんだろ」
「どうかしたのか?」
「なにか……来る」
雅は顔を上げ、座ったまま後方を見やる。ディルは構わず小枝を削ぎ落とし続ける。そしてリィも小枝を雅の前に運び続けていた。
その最中、雨合羽を着た何者かが後方から電光石火の如く走って来る。




