【-世界は滅びを望んでいるのか?-】
「ディルとお姉ちゃん、稽古は終わったの? 終わったなら早く行こっ。ワタシ、あっちに行きたいから」
ディルと雅のやり取りを見かねてか、或いはそろそろ飽きて来たからか、リィが二人を諌めるように言って、一人で先を歩き出してしまった。
「このことはあとでグチグチ言わせてもらうから」
「はっ、そのときになったら耳栓でもしておくか」
なんにも分かってない!
端からディルに乙女心を理解してもらえるなんて思ってはいなかったが、雅にも譲れないところはあるのだ。
「下着を見られて大丈夫な女の子なんて居ないんだから!」
「居たらどうすんだ?」
「そのときは、これから目の前で着替えでもなんでもしてやるわよ!」
「そりゃ助かるなぁ。下世話な意味ではなく、テメェがどこぞに隠れて着替えなりなんなりしている分だけ時間は無駄に浪費されるからな。着替えるなら同じ場所で、とっとと済ませる。これは長旅をする上では非常に大切なことだしなぁ。少なくとも、この腐った世界では」
雅は大して動揺しないディルに気後れする。またとんでもないことを口走ってしまったのではと思うが、実際のところ“下着を見られて大丈夫な女の子”など出て来るはずがないだろう。この男の口調からリィはカウントされていないことも含め、絶対に大丈夫だ。そうやってよく分からない方向に、妙な自信を持つ。
「あと、クソガキ。テメェは旅先で着く町のどこかで短剣を買っておけよ。そもそもテメェが短剣二本を扱うこと前提で俺は戦闘の相手をしてやってんだ。これから短剣一本で、なんて言い出したら軽くトラウマになるレベルに痛め付けるからな」
トラウマになっていない痛め付けは今のところないのだが、言ったところで「あんなもんは数に入らねぇよ」と言われておしまいだ。ここのところ、ディルが言いそうなことを先に予想できるようになった。ボキャブラリーが少ないのではなく、感覚や観念がこの男に近付いているためだろう。だから雅も若干、サディスティックになった。これは客船型戦艦において判明してしまっている変化である。
元々、雅は高飛車であったがさほど相手を傷付けるような言葉は遣わないように心掛けて来たつもりだ。しかし、東堂との会話の中で、「ヘタレ」と言ったときも「恋愛対象外」と叫んだときも、彼の反応に面白さを覚えてしまった。
これが快感に変わってしまったら、いよいよディルに近付いてしまう。
そうはなりたくない。雅は多少、サディストになってしまったことを自覚するがディルほどのサディストにはなりたくないのだ。あんな、人を痛め付けて興奮するような、恍惚の笑みを浮かべるような男になりたくは、ない。
いわゆる反面教師というものだろう。目の前に、なりたくない目標がある分、そうならないように自意識を高めることができる。
「分かった。でも、ディルが作ってくれたらそれで辛抱できるのに」
「ああんっ? 俺に金属加工を求めんなら借金は更に膨れ上がると思え」
「言うと思った」
雅は先を行くリィと、そのあとに続いたディルの背中を追い掛ける。
「リィの気の向くままに歩いて行って良いの?」
「はっ、今回はちょっとばかし、あのポンコツの鼻を使わせてもらうさ。テメェが入院している間に、査定所の方で、この地域全体に居る討伐者に通達があった」
「……私、知らないんだけど」
「監視役が居ないからな、入院していた以上、足も運べなかったんなら仕方が無い」
葵のことを思い出してしまうが、どうやったって今は会えないのだ。雅は首を強く横に振ることで妄執を消し去る。
「どんな?」
「査定所から来る依頼なんざ、全て海魔絡みに決まってんだろ。テメェにゃまだ早い。聞くだけ無意味だ」
「どういうことよ」
「お子ちゃまには、相手し切れない海魔だってことだ」
「お子ちゃま言うな!」
雅はすかさずツッコミを入れるも、ディルは鼻で笑いながらそそくさと先を進む。リィがコンクリートの張られた道路に出て、右側に曲がり、トトトッと楽しそうに走る。距離がややあるものの、見失わない程度には保てているので、ディルも幾分か穏やかな表情をしているように思える。
「おかしいこと、訊いて良い?」
「あのポンコツ以外の話ならな。ただし、一つだけだ。どうでも良いことだったなら蹴り飛ばしてやる」
「……えっと、雨、降るでしょ?」
「ああ」
「なんで、木々は枯れないのかなぁって……どうでも良いこと、だったかな」
雅は身構えつつ、ディルの返答を待つ。
「人間に害を成す『穢れた水』の雨。なのに草花は緑を携えて、枯れない。そう言いたいんだな?」
「ま、まぁ……そんな感じ」
ずっと不思議だったのだ。海魔に襲われた葵の町は、ほぼ廃墟と化して草花も枯れ果てて、木々すらも緑を携えてはいなかった。だが、それはシーマウスの仕業であって自然の摂理ではない。
他の町はどうだろうか。雨が降っても木々は枯れず、草花もちゃんと育つ。雅の住んでいた町でも、山には緑があり、ストリッパーとの戦いでは大木が地滑りを起こす妨げになり、レイクハンターとの戦いでは木々の陰に身を潜めて、その狙撃から身を守ることができた。
ストリッパーのときは密着していなかったが、レイクハンターのときには密着もした。『穢れた水』を吸った木々とそのように密着して、何故、肌が荒れず、焼け爛れず、服も破れなかったのかが気に掛かっていた。
土も水も木も、全て使い手が管理下に置いてあるものを食さなければならない。肉も、それらから収穫された餌を使って育てられた家畜に限られる。
だが、町並みの中に残る木、自然の中に残る果実は、未だ枯れず残り続けている。その果実を食べようとする者も少なからず居るが、体調が悪くなり床に臥せるという噂を聞いたことがある。
討伐者になってから抱いた違和感は、客船型戦艦をあとにしてみれば更に膨れ上がり、遂には我慢できず、ディルに訊ねてしまった。
「奴らには耐性があるのかもな」
「耐性?」
「『穢れた水』を即座に『生きた水』として吸収することのできる力が無けりゃ、草木は生きられないだろ」
「それって……草木も花も動物さえも、使い手みたいに変質させているって、こと?」
「さぁな。だが、当たらずも遠からずだろ。一部の人間にしか与えられない変質の力。なのに草木には満遍なく与えられたその力。どっちが先で、どっちがあとで、どっちが優れていてどっちが劣っているのか、さっぱりだ」
一応の答えにはなっているが、やはり疑問は残ってしまう。
これではまるで、人間に滅べと言っているような環境じゃないか、と。草花は耐えられて、人間は耐えられない『穢れた水』。
その腐った水の中で産まれた海魔。腐った水を飲んで海魔と化した動物。そのどれもこれもが、人間を喰らおうとするのだ。実際問題、海魔の出現で人間の数は大きく減った。一般人は不要という思想から、人間自身が殺した数も含めれば、出生率よりも死亡率の方が圧倒的である。
滅びに向かっていることは、雅もなんとなく感じている。人間はただ、その滅びに抗っているだけなのでは、ないだろうか。
「……私たちはいらない存在、なのかな」
「そうやって諦めるか?」
「……ううん、諦めずに戦う。それが討伐者、でしょう?」
「だったら、次の訓練のときは、もう腑抜けた顔して隙だらけになるな」
「うん。ちゃんと、心の整理を付ける。葵のためにも」
思い出し、また泣き出してしまいそうにはなるだろうが、そこで泣くだけ泣いて、進まなければならない。少なくとも、雅の先に続く道にまで、この感情を引きずり続けるのは間違いだ。




