【-要求通りに-】
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「そういえばさ、どうしてディルは足技しか使わないの? 靴を履いていても、圧を加えることは触れることと同義だから、それで物体を変質できるっていうのは、なんとなく分かるんだけど」
退院した雅が左腕の調子を確かめるように動かし、固まった肩を慣らすように回す。
「テメェみたいに干渉できる物が一つだったら、どれだけ気が楽だろうなぁ」
蔑むように言うが、雅は五行ではなく摂理に属する異端者であり、査定所からしてみればかなり貴重な存在である。確かに『風』しか扱えないソロであり、空気の変質しかできないが、それほど馬鹿にされるような力ではない。
ただ、クインテットのディルに比べれば見劣りして、霞んでしまうだけだ。
「五行全てを扱えるなら、循環も可能なんじゃないの? 火は水に、水は土に、土は木に、木は金に、金は火に。そうやってサイクルさせれば、ほぼ無限の変質ができるんだと私は思っているんだけど」
「それはもう変質の力ではなく錬金術師だ。再変質はコツがいる。俺でも五行に合わせれば出来ないことはねぇが、すぐに崩れる。加工や錬成なら、また話は別なんだろうがな」
「じゃぁ、最初の質問に戻るけど、どうして手を使わないの?」
「その饒舌な口振りから察するに、久方振りにボロボロにされるのが嫌ってことだな?」
強ち、間違ってはいない。やっと回復して退院したというのに、下手を打ってまた病院に逆戻りなど嫌なのだ。
「まぁ、その質問には答えてやる。腕より足の方がリーチが長い。腕力よりも脚力がいざと言う時に威力を発揮する。その程度のことだ」
そうは言いつつも、ディルは珍しく自身を卑下するような表情を浮かべていた。足技を主体にしている理由は、ひょっとするともっと深い理由があるのかも知れない。
前置きは終わってしまった。ディルは、いつものようにこちらを睨んではいるが、なんの構えも見せずに雅の動向を窺っている。
この男の戦闘スタイルは足技が中心であり、雅との戦闘訓練においては、受けてから攻撃を浴びせるという、いわゆるカウンターを狙うことが多い。しかしこれは初手で力量を推し測るために、敢えて先手を譲っているに過ぎない。実際、客船型戦艦内においては信者を昏倒させる方法は、攻撃もさせず反撃もさせない先手必勝のスタイルだった。
しかし、そういったことを考慮して動いたところで、ディルの戦闘スタイルは見えやしない。武器も持たず、構えもしない。そんな男の構えが、本気であるはずがない。
ディルの本気は、海魔を前にしたときに限られる。人と向き合ったときには、きっと相手を傷付けるような刃物を扱いはしないのだ。そういった点においては、雅も安心している。
ただ、この前のような、雅が“避けることを前提にした短剣の投擲”は勘弁してもらいたい。あれで避けなかったなら、きっとこの男はなにかしらの変質で雅を守るのだろうが、正直なところ生きた心地がしないからだ。
今回は短剣も一本であることから、純粋な体術の練度を試してもらうことにした。武器も使わず、力も使わずにディルに立ち向かう。海魔に素手で挑む一般人のような心持ちであるが、現実に海魔と素手でやり合うことにならないだけマシだと思い込むことで、自身に発破を掛ける。
「行くよ?」
「一々、相手に声を掛けてんじゃねぇよ。テメェは殺す海魔にも一々、声を掛けんのか?」
挑発されたが、大して嫌な気はしない。トントンッとその場で軽く跳ねつつ、一気にディルへと走る。右に左に足を――以前より更に研究し、ディルの居る民宿に辿り着くまでの僅かな間、練習をした足運びで、左右に体をズラしつつ近付いて行く。
ここ!
踏み込む直前の最後の足運びで、やや強めに地面を蹴る。重心はディルから見て右側に――義眼で視界の制限されているそちらへと向け、傾いだ体をすぐに立て直して、それから更に一歩、強く蹴ることでこれを最後の踏み込みとする。
ディルの顎に掌底を入れようと、懐に入ったところで一気に左手を跳ね上げる。
「えっ?」
ガクンッと視界が一気に傾いた。瞬間、電撃が走ったかのような痛みが片足から脳へと伝達される。
「テメェ、俺が教えた重心移動が全然、出来てねぇぞ」
足払い。最も気を付けるべきディルの反撃を失念させていた。雅は地面を転がりながら距離を取って、痛みに顔を歪ませつつも起き上がる。足運びに少々、夢中になっていた。それは認めるが、今までの経験上、どうして足払いに気を付けなかったのか自分でもイマイチ、ピンと来るものがなかった。
「おかしい……な」
「……テメェ、ウスノロのことをまだ気に病んでるな? 知識欲でどうにか保てているが、心と体が一つになっていねぇぞ。クソガキのクセに焦燥に駆られてんじゃねぇ」
「違う。私はいつだって強くなりたいと思って、ディルに手合わせをしてもらっているもの」
「だからそれはテメェの都合だ。テメェの体はどうなんだ? 心が生き急いでいる。けれど体はストップを掛けている。『まだ全快じゃない』と言っている。体は――本能はいつも正直だ。幾ら心で引っ張ろうとしても、テメェにはまだ経験が足りてねぇ。一つに集中すると、一つに慢心する。足運びが以前よりもマシになっているかと思えば、一番最初に教えた足元は目も当てられねぇほど隙だらけだ」
やめだ、とディルは言って雅に近付いて来る。
「嫌! 待って! まだ本調子じゃないのは認めるけど、私はまだこれからだから!」
「急ぐな。俺が言ってやる。テメェは強くなっている。自覚して、納得して、あとは心に空いた穴を埋めるために、泣くんだな」
前は泣き虫だと馬鹿にしたクセに。
雅は潤んだ瞳でディルを睨む。
「強く、ならないと……ディルに、愛想尽かされる……一人は、もう、ヤダ。嫌だ……怖いの。もう、独りぼっちは、怖いの」
雅はポロポロと零れる涙と同じぐらいに、心中を外へと零して行く。
「俺はテメェが突き付けた要求を呑んだ。どうせ無理だろうと思っていた言い付けを守ったからだ。だったら、俺は要求通りに、お荷物だろうとクソガキだろうと邪魔臭かろうと、見捨てることもできなくなった。そういう“約束”だっただろうが」
「だって! ディルのごど、だがら……っ! やぐぞぐなんて、守ってくれないど、思った、がら……」
涙を流しながら必死に言葉を漏らすと、酷い濁声になってしまった。
「俺は“約束”には拘るんだよ。まったく、テメェもそこにはうるさいよなぁ」
ディルは雅にウエストポーチと水筒を投げて寄越し、「心底、面倒だ」と呟く。
「このまま、町を出るぞ。お前にとっちゃ、ここも知らない町だろうが、今度はちゃんとテメェの足だけで、知らない町に行かなきゃ旅にすらならねぇ。非常食と小瓶の水は俺が入れておいた。感謝しろよ、クソガキ。良かったな、クソガキ。テメェの借金がまた増えた」
最後の一言はよけいだと思いながら雅はウエストポーチと水筒を身に着け、ふと思い至り、ウエストポーチをこっそりと開ける。
「……ディル、非常用の水を小瓶に注いだってことは、これを開けたってことだよね?」
「それ以外になにかあるか?」
「……………………なんでも、ない、けど。人の物を扱うときは、ちゃんと……一言、言っておいてよね!」
ウエストポーチを開けたということは、ディルはこの中に入っている雅の上下の下着ワンセットを見たということだ。そこに触れると「女らしくねぇクセに女っぽいことを言ってんじゃねぇ」と言われる。そうしたらまた自分自身でコンプレックスを掘り起こすことになるので、羞恥心に耐えつつ、頬を赤らめながら雅は怒鳴った。
下着なんて、これっぽっちも恥ずかしくない。戦艦では下着姿を見られたのだ。そうだ、こんなこと、恥ずかしいの部類には入らない。
そう言い聞かせることで、雅としては必死に取り繕っていたのだが、どうやらディルはそんな雅の表情から察するものがあったらしい。
「俺とテメェで違うところは、その羞恥心だな」
「だったらディルは人前で下着を見られても恥ずかしくないって言えるの!?」
「うっせぇんだよ、クソガキ。ああクソ面倒くせぇ」
雅の力無く振るわれる手を止めて、いなしつつディルは苛立ちに顔を歪ませていた。




