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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-第三部-】
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【プロローグ 02】


 雪雛 雅は白い天井を眺めていた。首を横に向けてみても、前回入院していたとき、毎日のように面会に来てくれた友人の姿はどこにもない。

 客船型戦艦の一件から、もう一ヵ月半が経とうとしていた。折れた左腕の骨はギプスで固定されているものの、もう痛みは無く動かそうと思えば動かせる。この調子ならばあと数日で、退院できるだろう。


「あのとき、油断しなかったらなぁ……」


 非常に情けない。葵のためにと自ら、海魔の嘘を暴いたその一瞬を狙われた。あのときは彼女のことで頭が一杯で、他のことに意識を向けることなどできなかったのだ。


「テメェはずっとそのときのことを後悔し続ける機械かなにかなのか、クソガキ」


 ノックもせずに扉を開けて、雅を罵りながらディルが病室に入って来る。その傍らにはリィの姿もあった。

「後悔して生きろって言ったの、ディルでしょ」

「人を殺したことを後悔し続けることを言っただけだ。友情が破綻したことをいつまでも嘆いて、それでなんになるんだ。なにも得ることなんてねぇだろうが」

「……ディルはどうして、葵をリコリスに預けたの?」

「ウスノロは俺の手じゃ扱い切れねぇ。大体、クソガキを二人も御守(おもり)するなんて、俺にはできねぇ。ストレスで耐えられやしない」

 言いつつも「まぁ、ウスノロの料理を喰えねぇのは面倒だが」と付け加える。ディルもなんだかんだで、葵にはそれなりの評価を付けていたのだろう。自分自身が連れていた一人を、それほど信頼もしていない昔馴染みに預ける決断に至るまでには、色々な思いがあったに違いない。そう思わなければ、雅にはディルの判断を納得することができないのだ。

「お姉ちゃん、もう左腕は動かせる?」

「うん。もうすぐ退院だよ。そうすれば、旅に出られる」


「旅に出る前に支度は必要だがな。またテメェのせいで出費がかさむ。借金は膨らむばかりだなぁ、クソガキ?」


「そんな風に言うんだったら、インプはともかくヒトガタワラシの心臓をちゃんと抜き取れば良かったのに」

「ああ、実にそう思う。テメェが半分死に掛けていなけりゃ、そうしていただろうな。だから、ヒトガタワラシをポンコツに全て喰らわせたほとんどの原因はテメェにある。だからテメェが金を払わなきゃならねぇだろ」

「どういう理屈よ……」

 小さく唇を尖らせつつ言って、雅はそっぽを向いた。


「退院するまであと何日だ? まぁ何日だろうと構わねぇが、あまりに長いようなら病院からテメェを抜け出せて連れて行くからな」

「え、あれ? 前は、放り出すとか置いて行くとか言っていたじゃない」

「テメェは俺の言い付けを守った。だから俺はテメェの要求を呑んだ。それだけのことだろうがよ。なに意外そうな顔をしていやがるんだ」


 戦艦での約束を、ディルは憶えていてくれた。もう見捨てないで欲しいという気持ちを真正面から伝え、言い付けを守ればそれを叶えてくれると言ったあの約束のことを、忘れていなかったのだ。それだけで雅は驚き、更に胸の中で熱くなるものがあった。

「じゃ、これからは見捨てないってこと?」


「は? どこまでも頭の中がお花畑だな、テメェは。だからクソガキなんだよ。一つの約束如きで図に乗られたら迷惑だ。場合によっては、置き去りにしてやる」


 言ってはいるが、ディルはもうあのときのように雅を置いて、リィだけを連れて走り去るようなことはしないだろう。それはこの男の醜く、いつも怯えながらでしか見ることのできなかった顔を見れば分かることだった。


「退院するまでの間、リィから海魔のことはたくさん教わったけど、ディルだけが知っていることはないの? 前回のような失敗を起こさないようにしたいの」


「俺は頭ん中に入れていることを戦い以外で伝えたりしない(たち)だ。テメェには海魔との戦闘に入ってから、必要なことを伝える。そういうスタンスで行くつもりだったんだが、前回はそれを失念していた。だから、テキトーに読んでおけ」

 ディルが懐からボロボロの手帳を取り出し、雅が寝ているベッドの上にポンッと投げ捨てるように置いた。それを雅は右手で引き寄せ、恐る恐る開く。

「……ディルって、意外と字が綺麗だよね。なんで物は大事にしないのに、そういうところは几帳面っていうか、細かいわけ?」


 黄ばみ、今にも千切れてしまいそうな手帳のページの一枚一枚には海魔の名前と生態、そしてディルが戦ったことで知ったことなどが、事細かに記されていた。これはいわば、ディルと海魔の戦いの歴史だ。ボロボロだからと馬鹿にしてはならない。そして、千切れそうだからと荒っぽく扱ってもならない。大切に読み進めるべきものだ。


「字がきたねぇって理由で査定所で申請が通らないなんてことがあったら、お笑い(ぐさ)だろうがよ。文字ってのは確実で、完璧で、高圧的に、特権階級に属している奴らを黙らせるときには必須の代物だ」


 そんな理由だと思った。


 雅はボロボロの手帳を慎重に扱いつつ、右手で今度はテーブルの上に置いている自身の手帳を引き寄せ、開く。そしてボールペンでディルの手帳に書かれていることを自分自身の手と、そして言葉で文字に変換し、書き記して行く。

 ディルの手帳に比べれば雅の手帳はまだまだ新しく、白紙のページが大半を占めている。なにせ出会った海魔の数が少ない。そして出会っても、こうしてじっくりと時間を掛けて字を書こうとも思わなかった。自分の頭の中の記憶だけを大切にし、文字で書かれていたことなど必要無いとまで考えていたこともある。


 しかし、それはディルのように経験も知識も豊富な人物しか許されない傲慢さなのだ。だから雅は、これから出会うかも知れない、できれば出会いたくもない海魔のことを知っておかなければならない。そのためにはリィの言葉だけでは足りない。ディルの知識が雅には必要不可欠なのだ。


「勉強熱心なのは構わねぇが、戦闘中に手帳を出して確認しようなんて思うなよ。そんな姿を見たら、海魔より先にテメェを蹴り飛ばすからな」

「分かっているわよ。書いて、覚えて、復習する。それの繰り返しでしょ? そういうの、得意だし」


「クソガキのクセに、知識欲はテメェと同年代の奴らよりはありそうだからなぁ、テメェは。業突く張りはよけいだが」


「ディルがそれを言う?」

 雅も大概だが、ディルはそれ以上の強欲さだ。この男に比べれば、自分のお金や水への執着心などまだまだだと思わされる。そんなところまでは似たくはないので、それはそれで構わないのだが。

「次は退院したときに、テメェから俺の泊まっている民宿に来い。退院祝いなんざ期待すんじゃねぇぞ。さっさと支度して、さっさと出て行く。テメェを抱えてこの町に来たときに、散々、不審人物に思われたからな。あまり外には出たくねぇからな」

「ディルに風体を気にするような心があったなんて、驚きだなぁ」

 とは言いつつも、ディルは雅を抱え、リィを連れていたのである。二人の少女を連れている男など、誰だって怪しむはずであり、そして雅が逆の立場だったならやはり風体を気にして、外出を控えようと思うだろう。


「退院後の戦闘訓練で、その鈍った体と心を叩きのめしてやるよ。精々、覚悟しておくんだな。また病院送りにならねぇ程度には、身を守る方法を考えてやがれ」


 座っていた椅子を足で蹴り飛ばし、ディルはリィを連れて病室を出て行った。雅はそれを小さく手を振って見送ったのち、自身の手帳への書き込みを中断し、男のボロボロの手帳を流し読みして行く。


「うわぁ、噂で根付いた異名まで書いてる……“死神”、“疫病神”、“禍津神(まがつかみ)”、“戦神”…………あれ、なんでこのページだけ、破られているんだろ」


 続くはずの五人目の異名。そこだけが破り捨てられている。このボロボロな手帳が、そこだけを落丁させたのではない。故意に、続きを破っている。現にそのあとのページは破られたあともなく、海魔についての生態や、見聞が淡々と記されている。


「……この五人目のことが、ディルは大嫌いなんだな、きっと。それもリコリスさんよりも、ずっと」

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