【エピローグ 01】
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葵は意識を取り戻し、瞼をゆっくりと開ける。そうして凹凸だらけのコンクリートの地面から上半身だけを起こすと、座礁している戦艦から大勢の人々が出て行く様を捉える。
「シーマウス、は?」
「ヒトガタワラシとインプが居なくなって、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったよー。あれだけ広範囲に散っちゃったら、まー多分だけど異常繁殖するほどの数にはならないんじゃないかなー。あとは散った先に居る討伐者に任せるしかないねー。まーなにより、ヒトガタワラシよりも格上の“あの子”を見てしまったら、大抵の海魔は逃げちゃうけどさー」
「……リコリス、さん?」
「あと、『ワダツミ様』の正体が分かった以上、あの中に居るのも危険ってことだからー、みんな外に出ることになったみたいねー。なにせ甲板を覆っていたアクリル板が壊れてしまった以上、あそこはもう安全なんかじゃないからー」
人々の姿が戦艦の外にある理由を知り、それからハッとして辺りを見回す。
「どこにも居ないよー」
まるで葵の心を見透かすかのようにリコリスは言う。
「悪いけど、葵ちゃん。あなたの身元、これから私が引き受けるからー」
そう言われても、すぐには肯くこともできず、再度、葵はディルとリィ、そしてなにより雅の姿を探す。しかし、どこにも三人の姿は見当たらなかった。
「なんでそんなこと!」
「これから!」
葵の言葉にリコリスが被せて来る。
「あなたには私なりの指導で強くなってもらうわ。あなたの『慈善』に合うように、あなた自身を強くしなきゃーならないってことねー。あのがめつい三人組と会うのは、それまでおあずけー」
「そん、な。あたし、まだ雅さんに謝ってません!」
「謝るだけの勇気、あるの?」
リコリスはしゃがみ込んで、葵の顔を覗く。
「……それ、は」
「確証が持てないなら会わない方が良いわ。壊れた友情は、そう簡単には直せない。そう、時間を掛けてゆっくりと直せば良い。あなたがそれでも三人を追い掛けたいっていうなら、止めはしない。でも、私には私の約束があるから、あなたのことはそのあとも追い掛けさせてもらうけど」
葵は天を仰ぐ。
なにをどう表現したら良いのかも分からなくなり、彼女の顔には悲壮感のみが漂う。
「おーい、白銀」
浜辺から東堂が葵を見つけて、道路へと上がる。
「俺たち、これからどうなんのか分かんねぇけど……まぁ、楽してたツケが回って来たんだと思って、必死こいて生き残って行くさ」
苦笑いを浮かべつつ、東堂は続ける。
「あと、これはずっと言おうと思っていたんだが、佐藤に黙っていろって凄まれて言えなかったことなんだけどな。海魔に襲われて、死ぬかも知れねぇってときにあそこに逃げ込んで、佐藤の奴、なんて言ったと思う?」
「……分かりません」
「『葵はこのことを知らない。どうしよう、葵が死んじゃう!』って、もう暴れ回ってさぁ……落ち着かせるのが、大変だったんだ。これマジの話だから。それで、ちょっとは佐藤のこと、許してもらえるのかな」
葵は自然と涙を零していた。
「あたしは、ずっと前から許していました」
「……そか。それなら、あいつも報われんのかな。いや、分かんねぇけど……まぁ、それだけ。俺たち、頑張って生き続けるから。そう簡単には死なねぇから! だから、白銀は自分の役割を果たして、それを果たし終わってから……ここに帰って来い。その頃には、この廃墟も見違えるように直してるから! いや、ガキな俺がこんなこと言ったってしょうがねぇんだけど。ぜってぇに直してやるって思ってんだ。できるかどうかも分かんねぇことだけど、やっぱそういう大きなこと考えている方が、気楽だからさ」
それじゃ、と東堂は言い残して、人混みの中へと紛れて行った。
「外に出られたって、力を持たない一般人が行く先はみんな同じ。この廃墟と化した町には、もう二度と戻って来られないよ、あの子。でも、あれはキープしておいた方が良いよー? 二度と戻って来られないけど、二度と会えないわけじゃないとは思うから」
「な、なんですかいきなり!」
「腐った世界から三年間も隔離されていて、それでこの先、課せられた労働の中で生きて行けるかは別だけどねー」
「……東堂君たちなら、大丈夫ですよ」
葵は起き上がり、その時に瞼に掛かった前髪を見て、自身の髪色が変わっていることに気付く。
「変質の力がさー、“昇華”するとさー……まーつまり、もう一つ上の高みに達すると、“身体のどこかに影響が出るんだよねー”。あなたも私と同じで、髪に出たってだけだよー。私はそれ以外にも影響有り有りだけどー、それはまた別の機会にでも話そうかなー。まずはその強くなっちゃった力を、上手く制御できるかどうかだし。まーそこは私が指導して行くんでよろしくー。言う通りにできなかった夜は、悪戯しちゃうかもよー?」
「ご指導、よろしくお願いします」
「あれ……? あのー、最後の方、聞こえてたー? まー良いやー、じゃーアテも無い旅を始めよっかー。あなたにとっては、それがいつかはクソロリとあのクソ男に至る道と思いつつ、これっぽっちも私らしくないことを思いつつ、行くとしましょー」
リコリスはニヒヒッと笑いながら歩き出した。雅とディル、リィが歩く道とはまた異なる道を進み出す。
「嘘なんて、つくべきじゃなかった。信じてくれている人に、嘘をつく必要なんて、無かった。信じてもらっているのに、あたしはその信頼を、小さな嘘一つで踏みにじったんだ……」
ポツリと呟き、自分に言い聞かせる。
「だから、次に会ったときは……今度こそ」
信じ、そして再び信じてもらえるように。
葵はまた溢れそうな涙を堪えて、リコリスの背を追った。
その先になにがあるのかは、まだなにも知らない。




