【-五行と摂理-】
「休憩は済んだか、クソガキ」
音の主はディルだった。だからリィは、ああも油断したまま歩くことができたのだ。
「まだ十分も経ってないんですけど」
「ちっ、軸足を蹴飛ばし続けたのは失敗だったな。あんなにも堂々と晒されていたら気前良く蹴って良いもんだと思っちまった。あと二十分も痛め付けることができねぇなんて、最悪の気分だ」
「私を道具みたいに痛め付けることが目的なら、こんなこともうやめます……」
捻くれた発言に、軽く逃避の言葉を試しに投げ掛ける。ディルの人間性を見定める良いチャンスだと考えたからだ。
「だったら、有り金を出してやめるんだな。こっちも慈善事業でテメェの面倒を見ているわけじゃねぇんだ。ほら、さっさと出せ」
やはり、人間性と呼べるものはほとんど無い。
「嘘です。続けます」
「どうせ逃げる勇気もねぇクセに、俺を探るようなこと言ってんじゃねぇよ」
この男には、なにもかもお見通しなのではないかと錯覚させられてしまう。どこをどうすれば、そのような観察眼を得られるのだろうか。しかし、このままこの男の思い通りになりたくない。
本当に逃げてやろうか。
そう思って、憤慨している雅の前にディルが立つ。
「ここに木の棒がある。どこからどう見ても木の棒だ。これは五行じゃどこに属する?」
「木ですけど。それくらいは分かりますよ」
「なら五行で言えば、木はなにに弱い?」
「生命を断ち切る金に弱いです」
「五行だとまさにそうだが」
ディルのもう一方の手に握られていた硬貨の一部が炎に燃える。『火使い』はディルがやってみせたように、どのようなものでも炎に変えられる。そのため、これは硬貨が手品で燃えているように見せ掛けられているのではなく、実際に硬貨が燃料代わりに炎を生み出しているのだ。
その炎は近付けられた木の棒に燃え移る。
「こうやって、炎は木を燃やすことができる。だから、五行における力関係を過信することはやめろ。木は火で燃える。金は水でいつかは錆びる。土も水を浴びせ続けられれば崩れる。木は土から栄養を吸い取れるが、吸い取ったあとは枯れる。火は水に消される。けれど膨大な火はその分、膨大な水を必要とする」
「五行の法則の中に、自然の摂理も混じっているってことですか?」
「そこだけは頭が回るんだな、クソガキ」
燃え尽きた木の棒をそこらに放り出し、それを踏み付けて粉々にする。
「五行だけで説明できたら、異端者なんて生まれねぇんだよ、そもそもな。俺とテメェは似ているようで違う使い手だ。俺は五行、けれどテメェは摂理。だから異端者って言われんだ」
五行の考え方は正しくもあり、しかし現代でその法則を利用しようとすると、どこか外れた一面が見え隠れする。それを埋め合わせするのが雅たちが生きて来た中で成立された常識や摂理と呼ばれる。
「力関係だけに囚われていたら、そもそも力の使い方にも工夫ができなくなります、か?」
「なんで俺がテメェの質問に答えなきゃなんねぇんだよ」
当たっているのか外れているのかさえ分かれば良かったのだが、ディルの返答では答えが見出せなかった。
「戦闘訓練も、ですけど私、力の使い方も教えてもらうために頼み込んだんですけど」
「体術もまともになっていない奴が、か?」
「……それを言われたら、なにも言えなくなりますけど」
雅がそう項垂れて見せると、ディルが僅かに視線をこちらに向けた気がした。その目は雅が擦っている腫れた右足に向けられており、そこからなにか思うところがあったのか、翻って雅に分かるように一点を指差す。
「どこまでだ?」
「へ?」
「テメェの力が及ぶ範囲はどこまでなんだ? フィッシャーマンとやり合ったときには、目測で五メートル先までの空気には干渉できていた。それ以上は可能なのか? それとも、そこが一杯一杯なのか? テメェ自身が目視できる限界――地平線の彼方まで干渉できるってんなら、末恐ろしい化け物みてぇな力だが」
「よく、分かんないんです。いつも力を使っていたときは、こう……なんて言うか、集中できる距離、みたいな? ところを見つめて、あとは空気の流れに手を加えるイメージを持って、強引に風圧で押し返す感じで反射させることができていたんで」
「……テメェな」
「分かってますよ! もっと自分の力について調べておけよって言いたいんでしょう?!」
半ば自棄になってしまえば、ディルも文句は言わないだろうとばかりの反発だった。驚くことに、あれだけの暴言や罵詈雑言をぶち撒けていたディルが素直に、この場では引き下がった。
「少ししか知らない、ってことはそれ以上を知るべき機会があるってことだ。現状、限界が分からないんなら、テメェの力は伸び代に溢れているんだろうよ。だから、まずテメェが戦う上で最も有用になるだろうテクニックを覚えろ」
「テクニック?」
ディルはなにも答えずに二枚の硬貨を取り出して、右手と左手で掴み、同時に火を灯す。
「複数の物体に干渉できるようになれ。テメェの場合は、複数の空気に干渉できるようになれってことになる。ソロでも複数への干渉は初心者レベルのテクニックだが、テメェの場合はこれが至上最悪の武器になる」
「言われたって……」
雅は言い淀む。なれと言われて、すぐできるのならもうできている。雅だってなにも力の使い方を一から学ぼうなどとは思っていない。それなりに、自分なりに頑張って研究した。けれど自分自身が扱うものが、物体ではなく風、空気、大気の類であるため慎重になってしまった。
己にそれほどの力があるとは思えないが、審査したときのように力が暴走して真空波を放ち、一般人を巻き込むような空気圧の変化が起こった場合、死人を出してしまいかねない。ただでさえ、審査中に殺してしまったのだ。討伐者の影に隠れているが、雅は犯罪者でもある。それも一番厄介な殺人罪だ。夢にまで見るほど、あのときのことを後悔しているのだから自身の力に怯えて、使うことさえ極力、避け続けて来たのだ。
「使い手になって、ビビることは良くある」
雅を気遣うような――本意として気遣っているかはともかくとして、雅にはディルの言葉から優しさが感じ取れた。
「それでも使い手は討伐者にならなきゃならない。なんの力も持たない一般人が、これ以上、排斥されないためにも」
この世界のヒエラルキーでは一般人の地位が一番下だ。その上に討伐者が乗っかり、更にその上に『水使い』と『土使い』が乗る。そして最後に、討伐者と使い手全てを統括する『上層部』が存在する。
一番下で平伏する一般人に与えられている運命は迫害か、或いは過酷な労働だ。人間はやはり、自分よりも劣る能力を持つ者を蹴落とす性質を持っている。この腐った世界のヒエラルキーだって、雅の与り知らぬところで自ずと決まった。
「普通の人の支えがあって、私たち討伐者が居るんですよね」
「海魔は使い手よりも一般人を狙う習性がある。本能的に、強弱を見定めている節がある。誰も犠牲者のことなんて気にも留めねぇけどな」
一般人が大勢、殺されている。だからその海魔を討伐するために雅たち討伐者が動く。ただしそれは、殺されてからという過程があってからだ。つまり、一般人は過酷な環境で必死に生きながらも、海魔をおびき寄せるエサに使われている。
そのエサを容認してしまっているのは、雅も変わらないことなのだが。
「ディル……さんは、人を助けることには躊躇いが無い方、ですか?」
「はぁっ?」
「そう、ディルはどんな人でも、海魔に襲われていたら助けに入る」
リィが口を挟む。
「海魔に襲われていなきゃ、助けないけれど」
そしてそう付け足したのち、ディルのそういった一連の行動が不服とだばかりに表情を曇らせた。
「襲われてない奴を助けてなんになる? 海魔に襲われていたら、その海魔を殺して水の確保に報酬が出る。ついでに助けた奴から金をせびることだってできる。過酷な労働? そりゃ、力が無ければ辛く苦しいだろうよ。そんなのは昔から変わらないだろ。社会じゃ優秀な奴ほど引き抜かれ、能力の無い奴はいつまでも苦しい立場だ」
唇を噛み締め、ディルは苦々しい表情を作りながらもどこか怒気を込める。
「けどな、あいつらは海魔のエサにされているとも分からないまま殺されて、俺たちはその海魔を討伐するために命を張って戦わなきゃならない。その際に命を取られれば、生き死には同列だ。討伐者だろうと一般人だろうと、気を抜けば死ぬ世界になっちまってんだ。なにに文句を言ったって仕方がねぇだろうよ」
ディルが雅から距離を取る。それが休憩の終了の合図だと悟り、雅は右足を引き摺りながらも立ち上がった。
「コツ、とかあります?」
「ねぇよ、んなもん。体感して経験しろ」