【-正体-】
「ちっ、鍵が掛かってんな。おい、クソガキ。テメェはどうやって開けた?」
「短剣を風で加速させて、ぶち破った」
「そりゃなんとも豪快だな。まぁ、力技って点では、やることは同じなんだがなぁ!」
ディルが靴底を扉に当てた。すると扉は靴底が触れたところから徐々に土塊と化して行く。そうして軟くなったことを確認し、ディルが土塊となった扉を蹴破った。
室内に居た『ワダツミ様』を信仰する者たちは、突然の闖入者によって騒然としているらしく、なにやらザワついた声が飛び交っている。
「……テメェら、ここは、一体なんなんだ?」
「どうしたの、ディル?」
雅が部屋を覗き込もうとしたところで、ディルが腕で外套を広げて、視界を覆われてしまった。
「スプラッタが過ぎるなー……あんたたち、サイッテーだね。そこのクソ男よりもずっとずっと、サイッテーで、最悪だ」
「……あの、ディル?」
「血生臭さは分かるだろ。それで全て察しろ。この部屋に、テメェを入れる気なんてねぇ」
鼻を衝く臭いは、どうやら血の臭いらしい。それというものを嗅いだことがなかったため、言われるまで気付かなかった。
そして、リコリスの「スプラッタ」という発言と、ディルのあからさまな視界の制限は、雅や東堂を思ってのものなのだと察する。
即ち、ディルの予想が当たったのだと、分かる。
その部屋の中には雅が想像もしたくもない手法によって、見たくもない「肉」があるのだろう。そしてその「亡骸」もあるに違いない。
雅はゆっくりと来た道を後退し、部屋を見ないように後ろを向いた。東堂は中を見ようとしていたが、雅が振り向いたことで同じく見ることを諦めた。
ディルだろうか。恐らく拳を壁にぶつけた音がした。しかし、振り返る勇気は無い。ここからは、全て任せてしまった方が良いだろう。
「『ワダツミ様』よぉ! テメェがガキじゃなく、海魔の“一部”ってことはもう分かってんだ。そしてそっちの女ぁ!」
ディルの怒りに満ちた声が木霊する。
「一等級海魔のインプだな? テメェだけ臭いが海魔のそれを隠せてねぇんだよ!」
「イン、プ?」
「一等級海魔、インプ。人語を理解し、そして人語を話すことで人間を誑かす。姿形は人の子供に近く、けれど場合によっては成人相当の身長と容姿であることもある。ただし、正体を暴かれた場合はその容姿を捨て、海魔としての特徴が露わとなる。インプ討伐による日本での報酬はおよそ水が半年分と百万円」
「ひゃくまっ?!」
リィがインプについて語り、そこから零れ出た報酬に、雅は驚愕する。
「レイクハンターよりは少ねぇが、あっちは協力討伐だったからなぁ。一人で単体を仕留められたなら、良い儲けになる。インプは“声に抑揚を付けられねぇ”から、特級には属さない」
「大浴場で私に話し掛けたのってー、『ワダツミ様』じゃなくて、インプが腹話術で代わりに発していたんでしょー。そこは一発で見抜けたよー? だからケラケラ嗤っちゃったんだけどさー」
リコリスの言葉には思わず首を傾げてしまう。『ワダツミ様』の口はしっかりと動いていて、そしてその『ワダツミ様』から声は出ていたように感じられた。
なのに、取り巻きに紛れ込んだインプが腹話術を用いていた、らしい。しかし、ただの腹話術では無いのだろう。
「まさか、私たちには聞こえない音波で、『ワダツミ様』の声帯に働き掛けた?」
「その通りだ、クソガキ。『ワダツミ様』という海魔の“一部”は、なにからなにまで人を模した形をしている。当然、声帯だって備えている」
雅には心当たりがある。海魔の声帯を模した笛で海魔を操ろうとした男が居た。人間には聞き取れない超音波を――その笛から発せられたのは雅にも聞き取れる怪音波であったが、海魔は人語では無く、その超音波でコミュニケーションを取っているらしい。
インプが人には聞こえない超音波で、『ワダツミ様』の声帯を共鳴させ、震えさせることで人語にしていたのだとすれば、リコリスの言う「腹話術」という部分にも納得が行く。
点と線は繋がったが、やはり海魔の生態系は人智を超越している。それも人間にとって害悪になることばかりである。
「まったく……人と言うのは、何年経っても、変わらず変わらず……オロカモノバカリダーナー!!」
なにかをぶち壊すような音がして、それから雅の鼻に血生臭さとは別の、外の空気が届く。
「『ワダツミ様』ァ!! コッチダコッチダ!! コッチカラ、クダヲマワシテニゲチマオウゼ!!」
パイプ――『ワダツミ様』を“一部”とする海魔の管が波のようにうねったのち、天井を滑り、ディルたちの居る部屋へと吸い込まれるかのように消えて行った。
「一人捕まえながら、逃げやがった。追うぞ」
ディルが雅の肩を叩く。
「待ってください!」
葵の声がして、雅は顔を上げる。
「今まで、どこに?」
「佐藤さんたちを探してたんです。でも、どこにも居ないんです。お願いします。『ワダツミ様』が関わっているのなら、私も一緒に行かせてください!」
「ウスノロに期待はしてねぇよ」
「まーそー言わずにさー。胸ロリは私が見てあげるー。だーかーら、連れて行くのも勝手で良いでしょー? そこのガキには、もー手に負えないことになってるけどさー」
リコリスは東堂をジッと見つめる。
「……ははっ、そうだよな。俺も、ここまでだって思ってんだ。その部屋ん中、見る勇気もねぇ。だから、ヘタレらしくどっかに隠れてるよ。そっちの方が、多分、俺にとっても、そっちにとっても、良いことだと思うから」
東堂はその場に座り込んだ。もう体力が限界らしい。
「白銀も、討伐者なのか?」
自身の足を揉みながら彼は葵に訊ねる。
「あたしは……あたし、は……」
「……あー、良いよ良い。気遣いなんていらねぇ。そうか、次元が違うんだな。住む場所が違うっつーか、そんな感じ? けど、それでも俺はさぁ、お前のことをもう見捨てたくはねぇからさー……よく分かんねぇけど? 頑張れ……みたいな、さ」
「は、い」
葵は曖昧に肯いた。
「行くぞ、クソガキ。甲板に出る。眼球と鼻、口を塞ぐもんを準備しろ。場合によっちゃ、あのアクリルの板をぶち壊す」
「うん」
「そしてポンコツ! テメェはここに居ろ。そこのガキを見守っていろ」
「ワタシも行っちゃ駄目?」
雅が首を縦に振る。
「お姉ちゃんも駄目って言うなら、我慢する」
「降りた階段を今度は登るってぇのは、面倒にも程があるなぁ、おい!」
走り出したディルを雅が追い掛け、そのあとに葵、リコリスと続いて階段に向かう。信者に邪魔されるかと思ったが、『ワダツミ様』の本部を叩かれたことが伝わっているらしく、全員が力無く項垂れていた。
階段を駆け上がること六回。見慣れた甲板に出て、雅はギョッと目を見開いた。
ウネウネと蠢く、触手のような太く長い管。その先端に『ワダツミ様』と称された少女の体が見える。少女の体は管から更に伸びた細い糸のようなもので繋がっており、それが一気に太い管まで回収される。
そして、少女だったその体は一気に肉塊へと変貌を遂げて、太い管の中に収まってしまった。
戦艦を覆っているアクリル板に一際大きな触腕が吸盤を用いて張り付き、ミシミシと音を立てている。このままだと壊されるのも時間の問題である。
雅はゴーグルとマスクを着けて、いざというときに備える。浅瀬であっても、こんな腐った海に非常に近い場所で戦うのは、人体に害を及ぼしかねないほどの影響があるからだ。




