【-駆け抜ける-】
「っ、下がって!」
雅は二人を制止させ、僅かに体を前方の曲がり角に出す。すると待ち構えていた女性が包丁を力強く振り下ろした。重心を下げ、この包丁を避ける。上手く誘いに乗ってくれた。
「『ワダツミ様』の脅威は、取り払わなければならない!」
包丁を握る手を震えさせながら、女性は雅を睨んでいる。
「なにもかも『ワダツミ様』が言ったら、従うんですか?」
「『ワダツミ様』は私たちにとっては絶対の存在!」
「じゃぁ死ねと言われれば、死ぬんですか!?」
「死ぬわよ! 『ワダツミ様』に身を捧げよと言われれば、死ねるわ!」
女性は叫びながら包丁を乱雑に振り回す。けれど、雅には届かない。上体を逸らし、次に足で包丁を持つ両手を蹴飛ばす。呻いて、女性が包丁を落とした。
「早く!」
雅は先にリィと東堂を行かせ、最後に女性が動かないことを確認して、続いた。そして二人を守るため、また先頭に立つ。
「お前、なんで、そんな、強いん、だよ」
東堂は呼吸の合間合間に、雅に訊ねる。まだ五分も走っていないというのに息が切れている。やはり、ここで体力を維持するというのは無理な話なのだろう。
「まだまだ弱いよ。こんなの、相手が素人だから通用するの。プロにはぼっこぼこにされる」
「プロって、なんだ、よ」
「あなたが怖いって言ってた人」
「ああ、そりゃ、無理だ、な。あの人、滅茶苦茶、こえぇ上に、滅茶苦茶、強いんだ、ろ?」
「ええ」
階段が見え、雅たちは足早に降りる。あと一層だ。
「人の臭いがたくさんする。そっちは駄目」
先を行こうとした雅をリィが止め、彼女は逆方向に駆け出した。確かにこのまま先に行くと、コミュニケーションフロアに出てしまう。前後左右ならばまだ対処できるが、全方位から囲まれては対処もなにもあったものではない。
「で、あの女の子は、なに?」
「普通の女の子」
「んなわけ、ねぇだろ。なんで息一つ乱れて、ねぇんだよ」
「逃げることは考えてるのに、運動が足りてないんじゃない? そんな体力じゃ、逃げる前に力尽きちゃうわよ、ヘタレ」
「ヘタレ、言うな!」
東堂は雅の言葉に反抗するように力強く言い放つと、残っている体力を振り絞って走り出す。大きな重荷を背負い込むことになるかと思ったが、こうやって「ヘタレ」と言えば走ってくれるのなら、なんとかなるはずだ。
……どんどん、私、ディルみたいになっているような。
このサディスティックさは、まさにあの男が持っているものだ。さすがにそこまでは似たくはないと思いつつ、雅もまた走り出す。
「居たぞ!」
「追え、追え!!」
「『ワダツミ様』に仇名す者は、なにがなんでも捕らえるんだ!!」
前方に人は居ない。けれど左右から人が押し寄せて来る。雅は両手をその左右の廊下に向けて、接触型による空気の変質を行う。雅たちに触れようとした男、女性がそれより前方に用意された空気に触れ、迸る風圧によって吹き飛ぶ。吹き飛ばされた人はそのまま後ろに押し寄せていた人も巻き込んで、人の波が崩れた。
「すげぇな」
「良いから早く!」
リィは言わずもがなで先を行ってくれるが、東堂は一々言わなければ走ってくれない。そして雅の一挙手一投足に驚いて、立ち止まってしまうため、性質が悪い。
けれど、それが討伐者としての使命だ。襲われる一般人はできる限り、助けたい。日本では重労働を課すだけで済まされるが、国によっては力を持たない一般人は死刑になる。だからこそ、日本で生きる討伐者として守らなければならない。
国が重労働を課そうとも、その一般人を守ろうという体を保とうと、政を遂行しているのなら討伐者はそれに従うまでだ。
第五層の階段を一気に駆け降り、第四層にようやっと到達する。
「ディル、どこ!?」
瞬間、雅の脇腹に男の拳が入る。声が漏れ、鈍痛に耐えられず、膝を折ってしまう。
「ふ、ふふふっ! これでやっと捕まえられるな。『ワダツミ様』に仇名す者め!!」
次の拳を入れられる直前、後ろからディルが現れ、男の頭を掴むと、そのまま壁に叩き付けた。昏倒した男は、その場に崩れ落ちる。
「大声で叫ぶな、鬱陶しい。テメェ、しくじったのか? なんで追われてんだ? さっさと白状しろ。隠し事をしたら、その脇腹にもう一発、拳が飛ぶと思え」
「変だと思っていた部屋に穴が空いてたの。パイプに紛れて、海魔の管が戦艦全体を覆っているわ。大きな音を立たせてしまったから、『ワダツミ様』の秘密を握られたと知られて、追い掛けられているのよ!」
「簡潔に言ってくれて助かるが、大声はよけいだ。次に大きな声を出したら、問答無用で蹴り飛ばすぞ、クソガキ」
額と額がぶつかりそうなほどの距離で言われる。頭突きでも喰らわされるのかと瞼を閉じて身構えていたが、「さっさと起きろ」と言われて恐る恐る瞼を開けると、もうディルは距離を空けていた。雅は言われた通り、脇腹の痛みを堪えつつ立ち上がる。
「おい、あそこに居るぞ!」
「みんなを呼んで来い! 早くしろ!」
「あーあー! 面倒だ。人を相手にすんのは、つまんねぇ! 殺したくねぇのに、どっからともなく湧いて来るんじゃねぇぞ! テメェらは外でお零れを待っているシーマウスか!」
前方からディルを取り押さえようとする男たちを綺麗な足運びで巧みにかわし、かわしたついでに鳩尾に蹴りを入れて、次々と廊下に悶絶して動けなくなる人の山を築いて行く。
「さっさと動け。でねぇと足の踏み場もねぇほどに人を床に転がして行くぞ」
「う、うん!」
ディルに言われて、雅たちが倒れている人を踏み付けないようにしつつ走る。
「お前、なんであの男に従ってんだよ。普段から、俺を蹴ったみたいなことされてんじゃねぇの? なんなの、マゾヒストなの?」
「違うわよ」
「サカるな、クソガキ」
「サカッてない! ヘタレなんて恋愛対象外!」
「そこまで言われる筋合い無くねぇか!?」
「大声を出すなと言ったよなぁ。あと、ガキ! テメェはお荷物だ、付いて来るな、さっさとそこらで蹲って、昏倒されたフリでもしてろ!」
「大声を出させるようなことを言ってんのはディルの方でしょ! あと、助けてもらったからそのお返しに葵さんのところに連れて行こうとしてんのよ!」
「ディルが悪い。あと、あの人、ワタシたちを助けてくれた」
「ちっ、ポンコツめ。どんどん、クソガキに懐いて行くなぁ、テメェは!」
襲い掛かる人を次々と足技だけで昏倒させ、ディルは突き進む。喋りながらこれをやっているのだから、雅以上に余裕がある。
学ぶのだ。その足捌きを。その足運びを。ステップを踏むより小刻みなそれは、リズムを刻むようで見惚れてしまう。
学べる範囲で学ばなければならない。ディルが教えてくれるのは、やり方までだ。それを使えるものまで昇華させるのは、雅自身しか居ない。
「クソ男、こっちこっちー」
T字路の左で、リコリスが手をヒラヒラと泳がせている。
「おい、クソ女。ホントにこっちであってんだろうなぁ?」
「当たり前じゃないのー、クソ男。私の情報が、一度でも外れたことがあるってーの? でさー、なんでクソロリたちの後ろからたくさんの人が押し寄せてんのー? もしかして、あのバゴォンッて音となんか関係あるー?」
「気になる鍵の掛かっている部屋を開けたら、外に通じる管があったんだとよ。いや、中に通じる管か?」
「あーりょーかーい。これで深海級は確定ねー」
リコリスはキャップ帽を脱いで、キヒッと笑いながら天井を指差す。
最後尾の東堂がを追い掛けていた信者が直後、艦内にも関わらず極めて局所的な霧を浴びる。すると、信者たちは、たちまち鼻と口元を押さえてその場で嘔吐を始めた。
「時間稼ぎ時間稼ぎー」
「また、たくさんの香水を混ぜたものを嗅がせているんですか?」
「へ? なーんで襲って来る奴らにそんな良いものを嗅がせなきゃなんないのー? クソな連中にはクソの臭いで充分でしょ」
訊ねるべきではなかった。霧を浴びた信者たちをむしろ哀れに思ってしまう。
「立ち止まっている場合じゃないっしょー。走る走るー」
言われ、雅はいつの間にか東堂に抜かれて自身が最後尾になっていることに気付く。気を取り直して走り出し、そしてリコリスが続く。
「邪魔だ、退きやがれ」
前方でディルが扉の前で立っている二人の男を蹴り飛ばして昏倒させた。




