【-絶対に認めない-】
「なんともない?」
雅は抱き締めていたリィがどこも怪我をしていないか確かめる。
「お姉ちゃんは?」
「大丈夫だよ」
お気に入りの服は破片で破れ、切り傷が一筋ほど出来てしまったが、あれだけの破裂音の傍に居て、外傷がたった一つだけというのは奇跡に近い。
「あなたたち、一体なにをして、」
「黙っててください!」
雅は駆け付けた査定所の人に怒鳴り、先を行くリィを追い、ぶち破った扉の向こう側を見つめる。
「…………そう、こういうこと、ね」
この部屋にはなにもない。あるとすれば、他とは違って壁に穴が空いているだけだ。だが、雅の投擲した短剣は、使い物にならなくなって転がっている。壁に穴を空けたのならば、短剣の残骸は中では無く、外に無ければならない。
つまり、雅の短剣がぶち空けたわけでもなく、最初から穴が空いていた。そして、その“穴から雅が見た管が外側から、艦内へと侵入している”。管は天井に張り付いて、あたかもパイプの一種であるかのように見せ掛けられていた。
「これが『ワダツミ様』の正体」
クルリと振り返った雅が、目を見開く。
駆け付けた査定所の人が雅に向かって部屋に転がっていた鉄パイプを振り下ろそうとしていたからだ。けれど、長い間、こういった戦いをして来なかったためか、動きは遅かった。少なくとも今日、ディルと戦闘訓練をした雅に避けられない攻撃ではない。
「『ワダツミ様』の秘密は、守られなければならない!」
「あなた、見て見ぬフリをしていたの?! でも、残念。今の音を聞いて、他の人たちも一気に押し寄せるわ」
「残念なのは、そちらの方でしょう? ここの扉が開けられていると分かれば、『ワダツミ様』に付き従う信者が押し掛けます。そうなればあなたもお手上げでしょう?」
「……お手上げ?」
雅は首を傾げる。
「あなたたちは特権階級とも呼ばれる『水』の力を持っていながら、それでも誰かのためにと討伐者になったはず。なのに、逃げ込んだだけで堕落した。そんなあなたたちを、この私が、相手にできないとでも思っているの?」
絶対の地位に着くこともできる貴重な『水』の討伐者が、堕落し、ここでの暮らしを良しとし、外で生きようともせずに、“ここで暮らすためだけの水”を変質させ続けている。
許されないんだ、そんなことは。外がどんなに辛くとも、ここには理想郷など存在しない。
「そこを退いて」
「『ワダツミ様』の秘密は、守られなければ、ならないんだ!」
「あなたが守りたかったのは、仮初の平穏でしかないわ!」
雅は鉄パイプを避け、残った方の短剣を振りかざす。しかし、そこで腕を止める。
殺してはならない。
怒りに身を任せて、これを振り下ろしたならば、胸に刻み、常に後悔し続けている殺しをまた行うことになる。審査のときに殺してしまった、その負い目を、忘れることになる。
なにより、ディルの言い付けを守れない。
動きの止まった雅に、男が鉄パイプを振り回す。それを避けて、どうしようかと困り果てていると、リィがスッと男の傍に寄る。
「これを見た者は、子供であれ死んでもらわなければならない!」
男は年端も行かない子供を先に狙う。
子供を守ることは、年上の役目だ。この世界ではなにより、子供は生き残るのが難しいのだから。
その子供を――子供の形を取っているリィを攻撃することは全ての規範から外れている。
「絶対に認めない!」
指差した箇所を基点に、空気の変質が起こる。リィと男の間に生じた変質に鉄パイプが触れる。男の腕が見えない壁に弾かれて、重心は後ろに傾いた。すかさず雅は隙だらけになった男の懐にまで距離を詰め、短剣を握っていない右手で掌底を繰り出し、男の顎を下から上に打ち上げた。その一撃で男は昏倒し、仰向けに倒れる。手から落ちた鉄パイプがカランッと乾いた音を立てた。
「隙を作ってくれてありがと、リィ。でも、あんな危ないことはしちゃ駄目だよ?」
「うん」
「じゃ、他の信者が来る前に逃げようか」
「うん」
一本だけになった短剣を鞘に収め、二人揃って部屋を出た。あの扉をぶち破った音が、どこまで届いたのかは、音の近場に居たために判断が付かない。しかし、この層に居る『ワダツミ様』に付き従っている人は間違いなく、押し寄せる。
記憶を確かに入り組んだ廊下を走る。通常時に使われている階段は使えない。使えたとしても、下で待ち伏せられている。だとしたら、普段から使われていないところの階段を使うしかない。
油圧式のパルプを回す。先ほどよりももっと重い扉だが、力の限り押すことでなんとか開かせる。
艦内から艦外を伝って渡る特殊通路。客船型戦艦へと改修された際に設けられた特殊な脱出口だ。
先ほどの部屋と同じく、腐った海から漂う言いようのない臭いが久方振りに鼻を刺激する。ウエストポーチからゴーグルとマスクを取り出して装着し、リィより先にまず雅が通路を進み、一段一段を慎重に降りて行く。手すりはあるが、艦内のように安心できる足場では無い。網が掛けられ、浅瀬ながら腐った海が透けて見える。そんなところに落ちたならば、まず助からない。だからどうしても慎重になってしまう。
「見つけたぞ!」
雅は手すりを頼りにしつつ、ほぼ一段飛ばしに階段を降り切る。
「跳んで!」
雅は振り返り、叫ぶ。リィが跳躍し、その体を全身で受け止める。網掛け式の通路で体を打ち付ける。肋骨や足の骨を折る覚悟で受け止めたのだが、上手く彼女の体重をいなすことができたらしく、すぐに立ち上がることができた。しかし、そのまま止まってはいられない。階段を怖れもせずに降りて来る男たちを見て、リィを先に走らせる。しかし、二人の足はすぐに止まる。
艦外から館内に続く出入り口は油圧式の扉で塞がれていた。考えれば分かることだが、通常使われていない通路は、通常、使えないように固く閉ざされている。そしてこの扉は艦外からは開けられない仕組みになっている。
諦め掛けたそのとき、重い扉が悲鳴を上げつつ開かれる。
「お前――雪雛だっけ? こっちだ!」
意外なことに、扉を中から開けたのは東堂だった。二人は急いで艦内に入り、彼が扉をすぐさま閉める。そして彼と協力して油圧式パルプを回し、施錠を完了させる。
「なんで、私があの通路を使うと思ったの?」
雅はゴーグルとマスクをウエストポーチに収めながら訊ねる。
「ん、ああ。俺はヘタレだからな。初めてここに来たとき、艦内の隅々まで見て回ったんだ。開かない扉とか開く扉とか逐一調べて、もしも海魔が艦内に入り込んだとき、逃げ込んでひたすら籠城できる場所を、探してたんだ。物凄い音がして、それが『ワダツミ様』と関連があるなら、きっとタダじゃすまない。普通の階段が使えないなら、あとはここしか無いと思ったんだ」
「……ヘタレが活きたってこと?」
「うるせぇ! 確かに、あのこえぇ奴には敵わねぇよ。でも、俺だって『ワダツミ様』なんて信じちゃいないんだよ」
けれど、これは東堂に助けられたのは事実だ。雅は「ありがと」と軽くもお礼を言う。
「お姉ちゃん、走らなきゃ」
「分かってる。それより、あなたは私たちと一緒に居なければ、見逃されるんじゃない? さっきだってほとんど体を外には出していなかったわけだし」
「ここまで来たら共犯だろ。白銀を見つけるまで、付いて行かせてもらうからな」
散々ながらにヘタレと心の中で罵っていた雅だったが、この状況で葵のことを心配し、更には自分自身を助けてくれた東堂を抜本的に見直すことにした。ただし、「付いて行く」と言ったところは未だ、臆病者の証である。
男なら「付いて来い」と言ってもらいたいものだと、雅は小さくとも心の中で貶した。
三人で走り出す。第九層から第六層まであの通路で降りた。あと二層を無事に乗り切れればディルと合流できるはずだ。




