【-ぶち破る-】
「あとは『ワダツミ様』の正体か」
「そうね、アレが海魔ではないことは、ギリィが嗅ぎ分けているんでしょ? でも、海魔の臭いがする」
ディルとリコリスが話している中で、雅は蹌踉めきながら立ち上がり、フラフラとディルに歩み寄る。
「今朝に『ワダツミ様』を見たの。そのとき、廊下の管を直感的におかしく感じた、の」
震え声で雅は続ける。おかしさの正体を、二人の会話を聞きつつ、記憶を精査して導き出す。
「『ワダツミ様』が部屋に入る前に見た管の行く先と、入ったあとの管の行く先が、“一本だけ変わっていたから”、なんだ」
『ワダツミ様』を背後から観察したとき、そのパイプは部屋に“一本”しか通じてはいなかった。しかし、『ワダツミ様』が部屋に入り、雅がそれを確認後、また廊下に戻ってパイプを見たとき、それは部屋に通じるように、中途半端な箇所で折れ曲がって、“二本”に増えていた。錯覚ではなく、確かにそうなっていた。だから、違和感を覚えたのだ。
「……よりにもよって、深海級か」
「深海級?」
「肥え太った一等級海魔の総称よー。大体は沖合いに生息しているのー。だから、こんな浅瀬にまで出ているのは、おかしいんだけどー……クソロリのそれが本当なら、この船、非常にまずいことになるわ」
ディルが東堂に再び詰め寄る。
「おい、ガキ。『ワダツミ様』は普段、どこに居る?」
「第四層の居住フロア。そこの、一番大きな部屋が『ワダツミ様』を信仰する人たちの集会所に、なっている、けど」
東堂は震えながら続ける。
「な、んだよ。なんなんだよ。明日、明日は、待ちに待った肉の出る、日、なのに」
強い舌打ちをして、ディルが翻る。
「ちょっと、クソ男? まさかここから逃げ出すなんて言わないわよねー」
「ああん?」
「もし、ここから出ようとか企んでいるなら、私はあんたを全力で止めるわ。その理由が分かる? この、リコリスという一人の女が、クソ同然に思っている男に、頼み込むってことよ。この戦艦に、そして外の廃墟に巣くう海魔を、一緒に討伐してくれって、ね」
「テメェは俺をなんだと思っていやがる? ここで逃げるほど馬鹿な討伐者じゃねぇ。テメェに頼まれずとも、目の前に一攫千金とも言えるような海魔が居るってんなら、討つだけだ。なにせ俺は、人殺しはしない、海魔を殺すことだけが大好きな、“死神”だからなぁ」
リコリスがその答えに満足したように、ディルと似通った気色の悪い笑みを浮かべる。
「水と金にがめついままでありがとー、クソ男。“疫病神”のこの私が、僭越ながら『ワダツミ様』を掻き乱してあげるわー」
「テメェに謙虚なんて言葉はねぇだろうが」
「分かってんじゃーん。あー、さっさと終わらせてしまいたいわー。全てを終わらせて、胸ロリをタップリと堪能させてもらうからー」
「わ、たしも行く!」
雅は二人に進言する。
「戦えんのか?」
「わ、かんないけど」
「分かんねぇなら、ここで待っていろ」
「戦える! から!」
喉で声が詰まりつつも、なんとか発声する。
「ディル。ワタシと一緒に、お姉ちゃんも連れて行って。その方が、絶対に良い」
リィが雅の手を強く握り締めながら、とても小さな声で、呟いた。リコリスはケラケラと嗤い、ディルは苛立ちを表しながらも「来い」と一言だけ告げ、歩き出した。
「頼む、よ。白銀だけじゃない……佐藤たちも、助けてやって、くれよ」
あとを追おうとしたところで雅は東堂に手を掴まれて、止められた。
「葵さんは助けられる。でも、それ以外を救えるかどうかは私には分かんない。それを知っているのは、あの先を進んだ二人だけ」
「お前ら……なんなんだよ?」
「討伐者。あなたみたいな普通の人とは違う、戦うことでしか生きる糧も、生きている意味も見出せない人間なの」
ここには一般人を重労働に課すような外の過酷な環境は無い。ただ、楽をして暮らしているだけだ。その裏側で、討伐者はシーマウスを狩って水を得るために命を張り、使い手は野菜を育てている。一般人を守るためにこの透明なアクリル板を用意したのも討伐者や使い手なのだろう。
だから、雅には東堂の願いが図々しいものにしか感じ取れなかった。こっちは命を懸けるのだ。願っただけで叶うのなら、雅だって討伐者になんかなってはいない。
雅は東堂の手を払い、リィの手を引いて二人に続いて甲板を降りて行く。振り返らない。ここにある堕落した環境に染まる前に、普通の環境に生きたかったと思ってしまう前に、ここを出る。その前に、この戦艦に巣くう海魔を狩る。それで終わりだ。時間は無い。時間を掛ければ、“肉”を食べさせられてしまう。無知のまま食べ続けることは悪では無い。しかし、知りつつ食べることは、一部を除いて、この上ないほどに狂っている。そのような狂人には、なりたくない。
ディルの足は迷わず第四層に向かっている。
「私はこっちを確かめるから」
その背中に一声掛けて、九階層の『ワダツミ様』が入って行った扉の先を確かめるべく別行動を取る。リィにどちらに行くか視線で促す。けれど、彼女は雅の手を離さなかった。
「言っておくが、クソガキ」
「リィになにかあったら許さないんでしょ。前に聞いた。大丈夫だから」
「はっ、それで良い」
「じゃーねー。あとで落ち合いましょー。安心してー、あなたの大切なお師匠様に手なんか出したりしないからー」
雅はリコリスの茶化すような台詞に返事ができず、硬直している合間に二人は階段を降りて行ってしまった。呼吸を整え、リィと共に廊下を歩く。
「どうしてディルのところに行かないの?」
「お姉ちゃんが一人だと、危ないことがあったときに助けられないから」
「ありがと」
葵の嘘に傷付いて、心苦しい雅には心に沁みる一言だった。優しい嘘と、傷付ける嘘があると人は言う。嘘にも大小があり、つく側の人間も苦しいのだと人は言う。
しかし、雅にしてみればそれは嘘をつく側の言い訳だ。どれだけの御託を並べても、有りもしないことを語ったことの事実は無くならない。自身の発言に向き合わず、人と人との関わりに必要な会話から逃げ出しただけだ。
現実を見なければならない。嘘は幻想であり、どこにも無い。
雅は嘘をつけない。つこうとすれば顔に出る。だから、嘘をつける人間の、そのズルさに対する、これはただの嫉妬なのかも知れない。
しかし、傷付いたのは自分である。だからこそ、何故、嘘をついたのかを知りたい。
そして、その嘘を問い質す前に、目の前の扉の先にあるものを明らかにしなければならない。
「鍵は……当然、閉まっているよね」
扉の取っ手を掴み、迷わず力を込めてみるものの扉が開く様子は無い。ガチャガチャと、わざとらしく音を立ててみたが、中で誰かが動くような気配も感じられない。
「お姉ちゃんなら、行けるでしょ?」
「どうだろ、行けるかな」
改修前は客船型ではなかった、ただの戦艦だったことを考えると、一室一室の扉は重く、そして分厚いはずだ。それを打ち破るほどの加速を掛けて、短剣で扉をぶち破るのは至難の業だ。
「艦内図って無いかな?」
「あそこ」
リィが指差した壁のところに、この階層の全てを記した艦内図が貼り付けてあった。やはり廊下は複雑に入り組んでいる。臨時の査定所までの道のりは大き目の廊下を進めば迷わず到達できるが、この部屋に至るためには少しばかりその廊下を逸れなければならない。そして、迷わないように用意された立て看板が、より一層、査定所以外の場所に入ることを拒んでいるかのように感じられる。
「うん、大体は分かった」
となれば、下準備をしなければならない。リィの手を引いて、雅は記憶した艦内図を頼りに廊下を歩き、基点を決めて指差した場所の空気を変質させる。それに触れないように移動して、曲がり角でまた空気の変質を行う。そうやって複雑ながらも基点を五個ほど作る。最初の場所から加速して、曲がり角で加速して、査定所のギリギリ一つ前で折り返し、また曲がり角で加速させ、最後に扉の前で方向転換と同時に加速させる。これだけの行程を踏めば、短剣でもぶち破れるはずだ。ただ、扉をぶち破ったあと、戦艦に穴すらも空けかねないのが唯一の懸念すべきところだろうか。
「でも、扉をぶち破った時点で、ほとんど速度は削がれるはずだから……穴はさすがに空かない、か」
短剣で合金をぶち破るのだ。これだけの加速を持ってしても、そもそも破壊できるかすら怪しい。それも、大切な武器の一つを投げることになるため、もしぶち壊せてもその短剣は使い物にならなくなってしまう。そうなると雅は残った短剣の一本で海魔に立ち向かわなければならなくなる。
「なにか、不安?」
「……ううん、不安なことは後々で解消できる。だから、これで良いんだ」
最後の空気の変質を行う。扉の前で置いている変質した空気の少し奥、最初の投擲すべき場所だ。雅とリィは扉の前から距離を取り、短剣を構える。狙った場所に投げ付ける。これが思いのほか難しい。ディルが淡々とやったような正確な軌道を描くことはできない。だから、今までやった中で一番、的を狙えていたアンダースローでの投擲を雅は信じる。
投げた短剣はクルクルと回転しながらも扉の前を通過し、その奥の変質した空気に触れる。直後、音も無く短剣が廊下の奥へと突き進んで行く。衝撃に備え、雅はリィの体を抱き締めながら蹲る。
昔、砲撃が行われたなら、きっとこのような音だろうと思えるほどの破壊の音色が第九階層に響き渡った。それと同時に雅の体に凄まじいほどの衝撃が襲い掛かる。扉の破片と思われる物が大量に飛び散り、その一つが服の袖を掠めた。繊維は切れ、そして皮膚も軽く裂いて、一筋の血の色が浮かび上がった。




