【-幕間、或いは女が居る理由-】
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女は行きずりの男と体を交えた。その男は数日後、急襲して来た海魔の群れに喰われて死んだ。しかし、女はその男が死ぬ間際まで傍に居た。
それは女が壊れていたから、或いは人としての感性が欠落していたからというわけでは決して無い。
ただ、男が急襲して来た海魔から女を守ろうと、『人で無し』の自分を守ろうと動いたからだ。だから喰われる前の、死の瀬戸際に立ち、今にも体から生気が抜け落ちそうな男の傍から、女は離れなかった。
女は忘れていた。自身は討伐者であるが、それでも誰かに守られることの喜びを、誰かを大切に想われる心というものを。
女は“疫病神”である。しかし、そう呼ばれることには慣れていた。そう呼ばれてしまう理由について、誰にもきっと伝わらないからだ。だが、男は“疫病神”の女を、きっとそうだと知っておきながら、守ろうとした。
だから、女は男の瀬戸際に放った言葉を叶えようと決めた。毎日をテキトーに暮らし、暇を持て余し、耐え切れずに闘争の中に飛び込むが如く、海魔と戦い続けている女がそのように決断したのはひょっとすると産まれて初めてのことだったかも知れない。
男の願いはただ一つ。「自分の娘を守ってくれ」ということだった。どのような容姿で、どのくらいの年齢かは知らない。ただ、守ってくれと言われた。
そして女はそれを了承したのだ。満足そうな顔をしながら男は喰われて行った。女が助けたところで、きっと命の灯火は潰えていた。
だからといって、男の体が海魔の体へと収まるその様を見て、激昂しなかったわけではない。
気付けば女は押し寄せる全ての海魔を跳ね除けて、生き残っていた。町は廃墟と化し、まさに世界の終わりを絵に描いたような光景がそこにはあった。
しかし、希望はあった。浅瀬に乗り上げた戦艦である。海魔が急襲した際、多くの人々がその戦艦へと逃げ込む様を、戦いの最中に見届けていた。
行きずりの男に、娘が居たことは驚きだったのだが、ひょっとすると男が守ってくれと頼んだ娘も、あの戦艦の中に逃げ込んだかも知れない。だとすれば、虱潰しに捜索すればきっと見つけ出すことができるだろう。
ただ、見つけることができなかったならば?
女はその可能性が、とても怖かった。口約束とは言え、その約束を叶えると言ってしまった。だから女は、自ら戦艦に乗り込むことはできなかった。なにより、女自身が中に入ってしまって、一体どうするというのか。
この町を襲った海魔は最下級とは言え、繁殖能力が怖ろしく高い。その海魔を殺し尽くすまで、外は決して安全ではないのだ。
だから、女は三年間、その廃墟となった町から離れることはなかった。
そして三年間、目的の娘――葵という名の娘を見つけることもできなかった。
だが、契機が訪れた。
白銀 葵。男の苗字と、男が口にした娘の名前を持つ少女が、女の前に現れたのだ。“死神”と行動を共にしていたことは癪であったが、まさにそれは運命的な出会いであった。
きっと、これは契機であり天命であるのだろう。
女はそう考えた。だからこそ、この場所から彼女を脱出させなければならない。そのためならば、あの頭のネジが外れている“死神”と、また手を組むことだってしよう。屈辱的では無い。むしろ、手を組まなければ安心できない。
あの男は狂ってはいるが、腕は確かだ。そして女が生き残るための、その生き様を二十年前に心に刻み付けてくれた張本人でもある。
ただ、白銀 葵は渡さない。どれだけ“死神”が文句や御託を並べようと、この場所から出たあとは、必ず連れて行く。
なにせ、彼女と雪雛 雅の友情は、いつ崩壊してもおかしくない橋の上で成り立っている。
友情になど、実のところ興味は無い。『人で無し』の自分にはそんなことは、もう過去の情念であるからだ。
しかし、その友情という目に見えない代物が、崩れ去る瞬間を見るのは出来る限り避けたい。
もう知ってしまっている。白銀 葵が雪雛 雅に嘘をついたということを。それを雪雛 雅が知った時、果たして同じように友情を維持し続けることができるのだろうか。
「それよりも、あのクソ男……知らないはずが無いと思うんだけどなー」
女は呟く。
「“雪雛”は、人類の最初の希望だったんじゃなかったっけー」




