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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-崩れる友情と壊れた女-】
46/323

【-明日に備えて-】

「『ワダツミ様』、か」


 入浴中の出来事を思い出すように雅はポツリと言う。

「あんな、リィちゃんと変わらないくらいの子が、『ワダツミ様』なんておかしいと思いませんか? 言葉遣いも、無理して大人っぽくしている感じがしましたし」

「ねぇ、リィ? あの子、あなたと同じ感じ、かな?」

 この小さな女の子、リィはこう見えて特級海魔だ。同じく、『ワダツミ様』が特級海魔であり、人に化けた海魔だったなら、それはもう同類のリィにしか判別が付かない。或いは、リィと毎日を過ごして来たディルだけか。

 リィは「うーん」と唸って、首を横に振った。

「そんな感じはしなかった」

「そう……人に化けている海魔じゃないなら、まだ安心できるわ」

「でもね、ほんの少し……臭った。人とは違う、臭い」

「だとすると、『ワダツミ様』は海魔ではないけれど、海魔に接触してその臭いが体に付いていた、と推測できますね。けれど、あんな小さな子が海魔と接触して、それで生きていられるなんて、思えません」

 その意見には雅も賛成だった。最下級の海魔でさえ、一般人では持て余す存在だ。あの五等級のシーマウスのように群れで襲われたら、敵わない。

 そのような、危険極まりない海魔と『ワダツミ様』がどのようにして接触しており、そしてできるのかはまだ分からない。リィの言う臭いと葵が立てた推察が、ひょっとしたらズレている場合もある。だが、雅にはそのようなズレというものを感じることはできない。


 だからといって、ディルやリコリスに頼るのも筋違いだ。リコリスに至っては頼ること自体を禁じられている。恐らくはディルだって頼る意味で報告しに行けば、機嫌を損ねる。あくまで一つの推論として持ち上げて、あとはあの男の気分次第で口走る言葉を待つしかない。


「どこに行っても、なにをやっても、結局はディルに至っちゃう」

 雅は愚痴を零しつつ大きな溜め息をついた。

「それ、雅さんがいつもディルさんのことを考えているからじゃないんですか?」


「……まっさかぁ」


 空笑いをしつつ、葵の言葉を受け流す。

「いや、ほんと、そういうの良いから」

 無言の圧迫に耐えられず、雅は更に続けて言った。

「おい、クソガキども。テメェら、俺になにか話すことはねぇか?」

 噂をすればなんとやらで、ディルは雅の後ろに立っていた。突然の現れ方は心臓に悪いのでやめてもらいたい上に、後ろに立つなら立つで気配を消すのもやめてもらいたい。

「今の話、聞いてた?」

「テメェらの私事に興味はねぇんだよ。さっさと今日の報告をしろ。その顔だと、なにかあったってことだろうが」


 凄まじい洞察力だ。


 が、隠すことでもないので雅と葵は互いに互いの情報を補強しながら、今日一日あったことを全て包み隠さず話し通した。無論、リコリスのことも雅は伝えた。このときは『さん』付けをしないように注意し、上手くこの男の地雷を踏まないように気を付けた。

「その『ワダツミ様』ってぇのが、クソガキよりも更に小さいガキかよ」

 『ワダツミ様』をガキと言い放ったので、雅は周囲に気を配る。大丈夫だ、殺気立っている様子は無い。崇拝している『ワダツミ様』をこのように貶したとなったら、ディルにどのような報復が行われるか知れたことではないからだ。


 ディルの心配をしているわけではなく、この男に返り討ちに遭うであろう人たちを心配してのことだ。


「小さな子を崇め奉るっておかしくない?」


「不思議じゃねぇな。むしろ少年少女は崇拝や畏怖の存在として利用されることの方が多い。神の子、悪魔の生まれ変わり、天才、神童、巫女に御子、王子に王女。そして、生贄。天草四郎やジャンヌダルクは良い例だな。どちらも俺から見れば、ガキだ」


「じゃぁ、あの子も利用されているってこと?」

「リィが臭いを嗅ぎ分けたんなら、そのガキは間違いなく海魔と接触している。それを見た大人たちが、あたかも海魔を手懐けているように見えたから、『ワダツミ様』なんて呼んでいるのかも知れねぇ。けれど、利用されているのはむしろ、大人だろうなぁ」

 ディルが階段に向かって歩き出したので、雅たちもその後ろを付いて行く。

「もしも、そのガキが大人よりも聡い頭を持っていたのなら、絶好の機会だっただろうよ。なにせこの世界じゃ、ガキは生き辛い。必ず誰かの庇護が必要だ。その庇護を受けたこともないガキだったなら、大人の行き過ぎた信仰心を利用することで、今現在の地位を築き上げたとも考えられなくもない。一人信じれば、あとはこの閉鎖空間ではネズミ講だ。それだけで、絶対の庇護が約束される。ただ、問題はどうやってガキが海魔の臭いを漂わせているか、だが」

 階段を登り切って、甲板に出てしまった。どうやらディルはここで寝るつもりらしい。リィはなにも言わずディルに寄り添うのだろうが、そうなると、雅と葵もここで寝ることが確定してしまった。


「あのクソい査定所が一枚噛んでいるなら、そう難しくはない話だ」

「狩った海魔をあの子の元に運んで、近場に置いておくことで臭いが、付く?」

「でもそれって、難しいことじゃありませんか? そんなカラクリに『ワダツミ様』を信じ切っている誰かが気付いたら、すぐにあの子の地位は失墜してしまいます」

「その通りだ。だから、あのクソい査定所が利用されていることはねぇんだろう。そして、毎日の水を命懸けで取りに行っている牙の折れた討伐者どもも、これには関わっていねぇと考える。すると、だ。あとはもう、そのガキ自身が本当に、なにかしらの方法で海魔を飼い慣らしているか、どうにかして接触しているとしか考えられねぇ」

 今日一日の情報ではそれが限度だな、とディルは言って、また甲板で横になった。


「『ワダツミ様』に付いて行けば、なにか分かるのでしょうか?」

「やめろ。信仰者の数が増え過ぎている。ガキがなにかやっている最中に外で見張りでも立たせていたら、揃って捕まるぞ。しかもガキの言葉一つでなんでも信じやがる状態になってんなら、『普段からワタシを信仰している者たちへの褒美』とでも言ってしまえば、男が寄ってたかる。テメェらの体が危ねぇ。テメェらが傷付く姿を見るのは最高の楽しみだが、そういうゲスい行為で辱めを受ける姿ってぇのは、見ていて、なんにも楽しくもねぇからな」

 雅も葵も揃って、身震いを覚えた。そして、人並みの感覚を持ち合わせているらしいディルに心の中で感謝をする。「首を突っ込み過ぎるな」と言われていたのに、もう追及のために無茶をするところであった。言い付け通り、これ以上の詮索を今日はやめた方が良さそうだ。


「あのさ、ディル。甲板で寝るなら毛布かなにかぐらい用意しておこうよ」

 手元には体を拭いた三人分のタオル類があるが、まさかこんなものを敷いたり体に掛けて寝るわけにも行かない。なにより湿っていて、寝心地は悪いはずだ。ただでさえずぶ濡れのままの下着を身に付けているので、これ以上の湿り気はなにより嫌だった。ほぼ毎日が曇り空ではあるのだが、太陽そのものが放出する熱が奪われたわけではない。雲と雲の間にほんの少し、日が差すこともあり、甲板はまだ暖かさを残している。

 雅は着替える前の、ずぶ濡れのままの服とバスタオルを乾かすため、目立たないところにそれらを置き、そしてリィと葵も誘って、彼女たちの分も甲板に置いた。


「ディルも服、濡れたままなんじゃないの?」

「は? 焚き火でもすりゃ、こんなものはすぐ乾くだろうが」

「……まさか、戦艦に入る前になにか拾っておいて、私たちが来る前にそれで火を起こして、甲板で服を乾かしていたってこと?」

 ディルはなにも答えない。しかし、それで雅には充分に分かった。

「なんでそう……はぁ、もう良い。そうそう、期待しちゃ駄目なんだった。自分自身で生き抜くことを考えなきゃ」

「ちょっとは考えるようになったな、クソガキ」

「誰のせいよ」

 イヤミにもならない言葉を吐き捨てて、雅は濡れた服の傍に腰を降ろした。


「あの、雅さん? あたし、東堂君に呼ばれているんで、ちょっとの間、出掛けて来ますね」

「え、うん……ああ、大浴場のことを教えてくれたとき、葵さんにだけ耳打ちしていたけど、それ?」

「はい」

 東堂も抜け目無いというか、姑息な手段を用いるというか。雅はそんな風に彼を心の中で貶しつつ、了承する。


 これで一晩、葵が帰って来なかったなら東堂になんて言ってやろうか。そんなことを考えながら、雅は体を縮こまらせつつ横になる。明日の朝は早めに起きて、この夜に干すことになってしまった衣服を片付けなければならない。この時間ともなれば、もう甲板に人は居ないといっても、朝はこの裏手の方で育てられている野菜を収穫する人が現れるだろう。そんな人に、自分たちの干しっ放しの衣服を、たとえ下着が含まれていなくとも見られたくはない。


「あー、お腹空いたなー」

 呟きつつ、ウエストポーチから非常食の一つを取り出し、一口一口を大切に味わう。そして、入浴後からずっと乾いていた喉を、小瓶に注いでいた水を飲むことで潤す。非常食はあと四つ。水も小瓶で数えて四本。これで五日間は生きられる計算である。明日から配給を受けられるとはいえ、飢えと乾きに溺れて、ここで全て平らげてしまうのは愚策に思えた。ここを脱出したあと、何日も放浪するかも知れない。そういったときのために、残りは取っておかなければならない。水筒の水を飲まなかったのは、何日分残っているか分からないからだ。


 雅はやって来る睡魔に身を預けつつ、今日一日のことを振り返る。


 自分の町を出て、知らない道を歩き、知らない景色を見た。


 海魔に潰された町を、廃墟を見た。シーマウスという怒涛の如く押し寄せる海魔の群れから必死に逃げた。そしてディルに置いてけぼりにされた。


 リコリスという女と出会った。その女の手によって助けられたが、あまりにも酷い香りに嘔吐してしまった。


 浅瀬に乗り上げた客船型戦艦に入った。そこでディルと再会した。


 リコリスから忠告を受けた。葵さんはクラスメイトと再会できた。佐藤、東堂という二人のことを教えてもらった。


 ここの査定所は水を預けたり引き出したりすることができなかった。けれど、配給の申請をすることはできた。


 ディルに素直な感情を伝えた。少しだけ、ディルに認めてもらえた。


 あとのことはもう、薄っすらと眠りに落ちながら、頭の中を流れて行った。

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