【-適切な関係の距離-】
「あー、クソロリかー。待ってねー、今、充電中だからー」
タオルを巻かずに、自身の全てを曝け出した状態でリコリスは心地良さに酔い痴れていた。
「ここ、たくさんの人が使う場所だと思うんですけど、なんであなた一人なんですか?」
「知らないよーそんなのは。私が使う場所は私が基準……なんて、あのクソな男の言葉を遣いたくなんてないから、自分で確かめてみたらー?」
チョイチョイッと指で浴槽に入ってみろという動きをさせたので、雅は首を傾げつつも足先を浴槽の中に入れる。
「冷たっ! え、これ、氷水ですか!?」
「違う違うー、私が浸かるまではお湯だったよー」
「……よく分かんないんですけど」
「まーいわゆる、置換かなー。それ繰り返している感じー。分かんなくて良いよー。でーどうよー? 入れるわけないっしょー? 私にしてみたら、これフツーだから。冷たくなったり熱くなったりー、それでまー良いところで充電は完了するからさー」
やはり、リコリスはなにかが違う。雅は浴槽に入ることができず、ただジッと見つめる。
「んー、なにか報告でもあんのかなー、クソロリ?」
「『ワダツミ様』って知ってますか?」
大浴場でありながら、ここは驚くほど声が反響しない。なので、小さな声ならば周囲の喧騒に掻き消される。だから思い切って、雅はリコリスに訊ねた。
「……『ワダツミ様』、かー。へー、そういうのがあるんだー? まー、今日一日、中を回ったらそんな話が耳に入って来たかなー。多分だけどー、私とクソロリの持ってる情報はまだ一緒だと思うんだよねー。だから報告は、もっとなにか分かってからで良いよー。それまでは胸を大きくさせることでも頑張ってみたらー?」
「胸の話はしないでください」
「なんでー?」
リコリスはザバッと浴槽の冷水を左右に掻いて、雅に近付くとそのまま一気に浴槽へと引きずり込んだ。
「冷たっ……じゃなくて、ヌル、い?!」
先ほど、足先で感じたほどの冷たさではなかった。冷水ではなくぬるま湯だ。しかし、リコリスがタオルの隙間に手を滑り込ませて来て、驚いている場合ではない。
「どこ、触って! やめ、てください!」
「胸はねー、揉んだ方が大きくなるんだよー」
「それ聞きますけど、本当か嘘か怪しいじゃないですか!」
「んー、じゃぁこの可愛い、」
「なにを言おうとしてるんですか!?」
そして、この女は胸のどこを触ろうとしているのか。さすがの雅も声を荒げた。更には実際にそこを触られて、小さな悲鳴を上げてしまった。大声にしなかったのは、こんなことで周囲の同性の人たちに奇異の目で見られたくなかったからだ。
「あー、クソロリが思った以上に可愛いー。胸ロリもこれくらい初心な反応してくれんのかなー。すっげーおもしろーい」
「面白半分で人の体を触るのはやめてください」
リコリスの腕から逃れ、息を「ハーハー」と荒いものにしながら雅は懇願する。
「今のはねー、私のことを探れってディルに言われた分の腹いせだからー」
「え……甲板に居たんですか?」
「居たと言えば居たし、居なかったと言えば居なかった。私、情報収集は得意だからねー。悪口とか言ったら一瞬で分かっちゃうからー」
ぬるま湯では心も体も冷えて来る。なので雅は失礼ながらもリコリスから離れるようにして浴槽から出る。
「ディルもそうですけど、リコリスさんも大概ですよね。他の討伐者と比べると、頭一つ抜きん出ている、みたいな」
ディルがこの場に居ないのだから『さん』付けはしなくて良いだろう。
「生き残るために必死だったからー、その分、やれないこととやれることの判断が覚束なくなっちゃってー、やれないこともやってみようって気持ちで色んなことを試してみたら、できちゃったみたいなねー。でも、あのクソ男はちょっとおかしい」
リコリスは一度、浴槽の中に沈んでから、すぐに浮上して大きく息を吸い、そして吐いた。
「私ですら馬鹿げていると思うほどのイカれた男。まず五行を全て扱えるクインテットになるまでの経過も馬鹿げていたし、その異常なまでの執念も、私怨すら超えた怨念にすら感じられる。そして、武器を持たずに、変質の力も使わずに最下級の海魔なら捻じ伏せられるほどの体術を習得してる。まさに“死神”。なんでも殺して回る“死神”。でも、その異名の由来はまた別にある」
「でも、人は殺さない」
雅は静かに続ける。
「リコリスさんが私に対して、あれほど激怒した理由が分かりました。あなたが人を殺すなんて、あり得ないんですよね。過去のことを考えれば、そこにすぐに至れるはずだったんですけど、ちょっとここに来る前に色々あって疑心暗鬼になっていました。すいませんでした、謝罪します」
「……物分かりの良いロリは大好きだよー。ただねーただねー、あんまり私のことを過信するのも禁物ねー。物事には良い距離と悪い距離があるでしょー? 今、あなたが謝罪してくれたことで、良い距離に是正されたと思って良いけどさー、それ以上の距離の詰め方をすると、これは悪い距離なんだよー。だから、分かるね?」
「はい、あなたの強さに期待はしませんし、あなたを頼ろうとは思いません。ただ今のままを続けます」
「それでよろしい。あー、ディルが先に目を付けてなかったら私が無茶苦茶にしてやったのになー」
舌舐めずりをするリコリスに頬を引き攣らせつつ、雅はお辞儀をしたのち葵とリィの元に戻った。
「どうでした?」
「多分ですけど、忠告通りに動いていれば襲われる心配は無いと思います」
「忠告通り、ですか」
「助けてもらった以上、仕方が無いですよ」
「それもそうですね」
「ぎもぢいい~」
リィが体を深くまで浸からせて、もう、お湯に溶けてしまいそうな声を発する。だが、あまりお湯に浸かりすぎるとのぼせてしまう。あと五分くらいで出てしまおう。




