【-小さなお願い事-】
「ここではどうやって水を調達しているんですか?」
「一日に二回、使い手の全員と協力して、四等級から五等級の海魔を狩りに出ています。シーマウスも数さえ多ければ、水は充分に得ることができますから、あの自然増殖には助かっている面もあるんです」
「助かっている、だぁ?」
ディルは査定所の人に凄んで見せる。
「テメェら、元は討伐者じゃねぇのか? なんでこの中で満足してやがんだ。逃げ込んだなら、脱出する方法を少しは考えやがれ、クソが」
「では、具体的にはどうやれば脱出できるんですか? そう言って、作戦を立てて脱出を図った討伐者のほとんどはシーマウスの餌食になっているんです。シーマウスだけでなく、浜辺に打ち上げられている分、他の海魔と遭遇する確率も高いんですよ?」
「……牙を抜かれてんなぁ、テメェら。あぁ、はいはい分かった分かった分かりました。テメェらの言い分は真っ当だ。シーマウスを一気に追い払う術なんてどこにもない。追い払う程度ではどうしようもねぇほどの速度で繁殖するんなら、俺も手出しなんてできねぇしなぁ」
反抗心を露わにしながら、ディルはここで引き下がった。いざこざをこれ以上大きくすると配当の手続きを受けさせてもらえないと踏んだのだろう。査定所の人としても、こんな危険な男なんてすぐに出て行ってもらいたいと思うはずだ。配給が出ないのでは、さすがのディルも外に出ざるを得なくなる。
もっとも、この男が外に出てもシーマウスの餌食になるなんて思えないのだが。
「配給の手続きはここでするようにと言われたんですけど、どうすれば良いんですか?」
雅は引き下がったディルの代わりに、査定所の人に訊ねる。専用の用紙を渡されるが、雅はそれをあと三枚要求する。葵、リィ、ディルの分も貰わなければならない。リコリスの分も済ませようかとも思ったのだが、そのために更にもう一枚貰うと、恐らくディルに悟られる。あのリコリスが、単純な喉の渇きや飢えで死ぬような使い手ではないと判断し、四枚で済ますことにした。
出生年月日や年齢を書く欄は無く、手続きの日にちと名前、そして『配給を希望する』に丸を付ける簡易なものだった。これならリィも配給を受けられる。リィの分はディルに書かせ、葵の分は雅が書いた。そしてその四枚を査定所に提出して第九層から階段を登って、甲板に出た。
「リィは?」
「どっか行った。甲板のどっかには居るだろ。そこらにあるもんを勝手に盗るほどのポンコツじゃねぇし、好きにさせている」
「過保護じゃない?」
「テメェが言うな」
「御免なさい」
これでリィの話題は終わった。ディルを過保護にさせてしまったのは、雅の至らなさが原因の一つとしてあるのだ。だから、そう言われたらこう答えるしかない。
「で、ウスノロは見つけられたか?」
「見つけた。それで、クラスメイトと何人か再会できて、十数人は行方知れずなことを知って、気持ちの整理を付けるために一人にさせた」
「はっ、十数人だけなら、全滅してねぇだけマシだろうがよ」
辛辣な言葉が出るかと思いきや、普段とは比べ物にならないほどの優しい言葉だった。
「他には?」
「『ワダツミ様』の話題があった」
甲板のどこにでもなく、テキトーにディルは腰を降ろして透明なアクリル板に遮られた外の景色を眺めている。
「海に神様が居るかねぇ」
「私も居ないと思う。でも、ここじゃ『ワダツミ様』は宗教みたいなものなんだって。新しく入って来た人には勧誘が来る可能性もあるらしいから、騒動を起こさないでよ?」
「テキトーにあしらってやるよ、そんな面倒なもんは」
「ディルの場合、そのテキトーにあしらう部分が、相手の逆鱗に触れる場合があるから」
正直に話してみたが、暴力が飛んで来ることはなかった。
「宗教沙汰には首を突っ込みたくはねぇ。怒らせないように断れば良いんならどうとでもなる。が、『ワダツミ様』の話題もそう易々と出して良いもんじゃねぇんだろ?」
「察するのが早い」
「テメェの脳味噌よりは詰まってるからな」
軽い罵倒が入れられるが、こんなものはジャブのようなものでそれほど痛くない。
「信仰するのは自由だ。他者を巻き込んでも構わない。けれど、死人が出るほどの騒ぎになるほどの偶像は、巨悪に変わる。そうなりたくねぇなら、勧誘は受けないことだ」
「分かってるよ。中には入らず、外から様子を窺う。それがディルに出来なくて、私に出来ること、でしょ?」
「はっ、クソガキも分かって来たじゃねぇか」
「でもね、ディル。今日、置いてけぼりにされたときは……辛かったよ」
そう零すと、ディルは小さな舌打ちをして「面倒臭ぇ」と呟く。
「あなたがそういう人だってことは分かってた。分かってて私はあなたに付き纏っている。けれど、いざその時が来たら、辛いんだなって、感じた」
聞いているかも分からないディルに雅は胸の奥から溢れ出る言葉を続ける。
「だから、ほんっとうに、面倒臭いことを言うけれど…………置いてけぼりは、受け入れる。受け入れるから、見捨てるのだけは、しないでよ」
置いてけぼりを喰らっても、それが見捨てられたと感じるものじゃないのなら幾らでも耐えられる。しかし、今日のような半ば見捨てられたような状況は、耐えられない。
「泣き虫だな、クソガキ」
「泣いてない」
「正直なところ、テメェがどうなろうが知ったこっちゃねぇが」
ディルは大きな欠伸をしたのち、続ける。
「俺の手足のように動いて……まぁ幾らかの自由は与えてやるが、テメェがそれなりに使えるものだと分かったなら、言う通りにしてやるよ。今日のように『ワダツミ様』とやらの情報を得て来たのは、テメェを評価するに値するもんだ」
「ほんと?」
「かと言って、図に乗るなよ。俺はまだテメェをこれっぽっちも認めていねぇ。リコリスに似たように働くように言われてんのも察しは付いている。そこはテメェの自由だ。誰に付こうが構わねぇ。だが、テメェが俺になにかをさせたいって言うなら、言い付けは守れ」
「言い付け?」
「リコリスの動向を俺に教えろ。それともう一つ」
ディルは横になり、雅の居る方とは逆を向いた。
「成果を上げようと首を突っ込み過ぎて、死なねぇことだ」
「……ありがと」
「お礼を言われるようなことは言っちゃいねぇんだがなぁ」
ククククッと嘲るように笑い、その後、ディルはなにも言わなくなった。雅はその隣に腰を降ろし、座ったまま瞼を閉じる。今はこの、まどろみに身を任せることにした。




