【-日常的な会話と非日常的な会話-】
「俺のせい、か?」
「だから、あなたのせいじゃないって。クラスメイトが十数人も行方知れずだなんて、誰だって泣いちゃうよ」
いつの間にか敬語をやめていた。友人よりも先に初対面の相手と普通に話せるようになるとは思いもしなかった。
「それを伝えたの、俺じゃん。言わない方が良かったのか?」
「でも、葵さんはクラスメイトと会いたかったみたいだから、いずれは知ることだったはずだし、言って正解だったと思うよ」
「…………あー、なんか、嬉しさと悲しさが半分半分だ。嫌われたんじゃねぇの、今ので」
雅は思う。
あの程度で嫌われると思うなんて、どれだけ心に余裕が無いのか、と。ディルのあの、嫌われたって構わないという姿勢を見ていると、自然とこういう考えが付いてしまうのだろう。
「大丈夫。そういう人じゃないから、葵さんは。それは知っているんじゃないの?」
「分かんねぇ。俺、ヘタレだから」
「……それは置いといて」
負のスパイラルに陥りそうになっている東堂にこれ以上、葵のことで話をすべきではないだろうと、雅は本題に入る。
「『ワダツミ様』って知ってる?」
東堂は目を見開き、顔を上げた。
「そのことは、あまり大きな声で口にするな」
「どういうこと?」
「なんつーか……宗教、みたいな」
「あー」
雅は声量を落とした東堂の言いたいことを察した。
宗教絡みの話は公共の場ですべきではないのだ。雅は無宗教で、信仰心の欠片も無い。けれど、宗教に属し、強い信仰心を持つ人はどこにだって居る。日本には宗教の自由があるのだが、他国では宗教一つでいざこざが生まれる。日本ではそう珍しくない仏教ですら宗派で対立があるのだから、信仰心はとても怖ろしい武器に変わる。
そういった、信仰の対象を批判するようなことを、無意識に言ってしまえば命すら危うい。
「勧誘があるかも知れねぇけど、関わるな。断った方が良い。佐藤たちは、入信しているみたいだけど」
「『ワダツミ様』のレベルってどれくらい? 昔に流行った、こっくりさんとか、そのくらい?」
これも声量を極力控えめにして東堂に訊ねる。
「言っただろ、宗教みたいになってんだって。こっくりさんは都市伝説や七不思議みてぇなものだけど、『ワダツミ様』はそんなのとは別だ。白銀にも言っておいてくれ」
「へー、自分で言えば良いのに」
「俺だって自分で言えるもんなら言いたいっつーの。でも、無理だろ。俺、女の扱い方とか知らねぇもん」
東堂が自虐的に言うものだから、雅は思わず噴き出してしまう。
「なんだよ?」
「いや……なんか、普通だなーと思って。それだけだから、気にしないで。別に、ヘタレで笑ってるわけじゃないから」
良いなと、雅は思った。
こんな風に、普通な話ができることがとても懐かしく、葵のことを羨ましいなと思った。そして、東堂への警戒を更に弱める。自分のことをヘタレだのと自虐する男が、強硬手段に出るわけがない。もし、なにかされるような気配があったとしても、討伐者である雅の方が圧倒的に優勢である。そしてディルから形だけだが体術も習っている。変質の力を使わずとも、東堂を下すことは容易だろう。
「それじゃ、配給の手続きに行って来るから。『ワダツミ様』のこととか、教えてくれてどうもありがとう。葵さんにも、ちゃんと伝えておくわ」
「えーと、雪雛、だっけ? 頼んだぞ」
肯いて、雅はコミュニケーションフロアをあとにした。葵も気持ちの整理が付けば甲板に出て、ディルと合流してくれるだろう。その前に第九層で手続きを済ませてしまおう。ここに来るまでの苦しさが嘘のように心は晴れやかだった。懸案事項はあるものの、それ以上に楽しいこともあった。ただし、葵には辛いことの連続でもあっただろう。そう思うと、素直に表情に出して喜べないのもまた事実だ。
「ざっけんなよ、テメェ! 水を引き出せないってどういうことだ、おい!」
第九層に入ってすぐに、そんな喜びと悲しみの狭間で揺れ動く感情を捨てなければならなくなった。臨時的に設けられた査定所となっている第九層で、聞き慣れた男の声がしたからだ。それも、怒り狂っている。
「ですから、ここは臨時の査定所であって、水を預けたり引き出したりすることはできないんですって! その、ここに居る全員は、今日一日の水を用意するだけでも大変なんですから!」
騒ぎの中心になっている男――ディルに近付く。
「なにかあったの?」
怪訝な、そしてあからさまに不快感を露わにした顔で凄まれた。やはりディルに比べたら東堂なんて怖くもなんともないと実感させられる。しかし、ディルも雅が声を掛けたのだと分かると、ささやかではあるものの凄んだ表情に緩みが見えた。
「ここでは水を預けることも、引き出すこともできねぇんだとよ。わざわざ溜め込んで、預けた水が肝心なところで引き出せねぇんじゃ査定所としては最悪だな」
「臨時の査定所なんだから、当然でしょ……この艦内に居る人たちの水と、生活用水を得るためだけでもどれだけの苦労があるかは想像できるじゃん」
「けっ、他人の苦労なんか知るかよ。他人より自分の苦労に見合った対価はあって然るべきだと思うがなぁ」
「……確かに、そうだけど。でも、毎日配給で水と食料は出るみたいだから」
「配給の水をチビチビと飲んで、ちょっとした食料で飢えを満たして、それで納得なんかできんのか、クソガキ? テメェ、自分が命懸けでやって来たことをもう忘れてんじゃねぇだろうなぁ?」
命懸けで水とお金を得て来た。それは紛れもない事実であり、ディルもまたそうである。特にディルは雅以上の死線を潜り抜けて来たはずだ。そんな男が、配給の水と食料だけで満足するわけがない。




