【-現実-】
「ワダツミ様について、葵さんを利用してしまうかも知れませんけど、調べるために付いて行って良いですか?」
素直に口にしてしまう。葵の信用と信頼を失いたくないためだ。嫌われてしまっては、雅はまた意固地に孤独を突き進むことになるだろう。
「構いません。あたし一人じゃ、きっと整理もできそうにありませんし。それにあたしも気になることですから」
「御免なさい」
「いいえ、あたしだって雅さんを監視していたことがあるんですから、お互い様です。それに、雅さんが居てくれた方が心強いです」
すみません、と雅は付け足して小さな会釈をする。葵は朗らかな笑顔を作り、それに応えた。
妙に気負っていた感覚が抜けて行く。この安堵感はとても心地が良かった。
「名前や顔は、憶えていますか?」
「なんとなく、ですけど。彼女たちと再会して、中学の頃を少し思い出せましたし、面影もまだ残っていました。ですので、顔だけならなんとなく分かるんじゃないかと思っています」
三年前のクラスメイトの一握りではあれ、出会うことができた。それも最悪な再会ではあったけれど、葵の記憶は昔のことで一気に溢れ返っているのだろう。
しばし第四層の居住フロアを歩いて回ったが、葵がピンと来るような人物と会うことはできなかった。このまま第三層、第二層、第一層と降りても構わないのだが、それでは一日が終わってしまうだろう。ただでさえ、もう真昼を過ぎていて、お腹も鳴り始めた。しかし、ショッピングフロアの配給票を見た限り、食事と水の配給はもうとっくに終わっている。そもそも、今日初めて来た雅たちに早々、貴重な食料と水を渡すわけがないだろう。配給を受けるにしてもなにかしらの手続きが必要になるに違いない。水は葵頼り、或いはディルに頼ることになるが、確保することは難しくない。問題は食料だ。さすがにウエストポーチに入れている非常食だけでは今後、生きて行くのは難しいはずだ。野菜類を購入するにしても、持ち合わせには限界がある。
「第五層を見て回りませんか? 艦内の人たちのコミュニケーションフロアみたいですから、そっちに居るかも知れませんし」
だから、早めにこの艦内のことを知っている人物と出会わなければならない。そしてそれは、葵のクラスメイトでなければならない。どこの誰とも知らない相手とコミュニケーションを取り、配給を受ける手続きを教えてもらうなど、雅にはできそうにもないからだ。無論、人見知りの葵にだってできるはずもないだろう。だったら、彼女が知っているクラスメイトの方がまだ、話ができる。
「そう……ですね。そんなに急がなくても、良いですし」
急いで居住フロアを見て回ることもできなくはないが、それでは見落としてしまうこともある。葵はそういう意味で、納得してくれたらしい。
第五層に上がり、艦内に居る人たちが自由に交流しているフロアを歩いて回る。ここは必要最低限の鉄柱や鉄骨で支えられているだけで、居住フロアのように一室一室区切られているような箇所も無く、且つ廊下と呼べるような通路さえない。ただ、好きなように人々が横になったり、座って話すフロアだ。一部、パーテーションで区切られているのは運動用のスペースだ。スポーツ用に貸し出しているラケット等は簡易的な物しか無く、本物に比べれば随分と見劣りするだろうが、ストレスを発散するには充分だろう。そういったスペースが複数あるだけで、このフロアはとにかく狭さを感じさせない造りになっている。
「ここまでとは、予想外でした」
雅は率直な感想を零した。
「あたしもです。こんな、快適に暮らせるようになっているなんて」
むしろ外よりも中の方が暮らしやすいのではないかと疑うほどである。疑うが、雅にはどうも外の景色が見えない点が落ち着かない。
そういった違和感が薄れたとき、自身もまたここから出られなくなるのだろう。胸の中がザワめいた。こんなところで妥協はしたくない。忘れないように、努めるべきだ。雅は指で片方の腕を小さく抓り、その痛みで無理やり自分に言い聞かせた。
「あっ」
葵がハッとした表情を見せる。どうやら歩いている内に、記憶の中の人物と出会うことができたらしい。雅にはそれはやはりさっぱり分からないことだが、葵の視線の先に居た男も、彼女に気付いて顔を明るくして駆け寄って来た。
異性、ということだけで雅を数歩後ろに下がらせる。今のところ、異性と関わって良いことが一回も無いのだ。乱暴されそうになり、罵詈雑言を浴びせられたり、痛め付けられたり、果てには海魔の研究の一環で殺されそうだった。驚くべき男運の無さである。
「白銀じゃん。今までどこに居たんだよ? っていうか、どうやってここに来たんだ?」
「こんにちは、東堂君」
「お? 憶えていてくれたんだな。良かった」
割と明朗で快活そうな男――東堂は安堵の息を漏らす。しかし、その表情に雅は騙されないとばかりに、また一歩下がる。こういった男が一番危険なのだ。充分に警戒しなければならない。
「あたしの友人を紹介しますね。雪雛 雅さんです」
「……どうも」
「なんか、すげぇ怪しまれてんだけど。っつーか、友達できたんだな」
「……友達?」
更に雅は東堂の言動を探る。
「えーと、白銀が佐藤にイジられてんの知ってたんだけど、見ることしかできなかったっつーか、そんなんだ。群れなきゃ生きて行けないヘタレなんだよ、俺。周りに人が居て、どうにかなってんだけど、それでも一人じゃなーんもできないやつ」
苦笑いを浮かべ、そして東堂の顔は面目無さそうな色へと変わる。そんな彼を後ろから呼ぶ声がしたが、それを「今、ちょっと手が放せない」と返答して葵と雅に再び向き合う。
今まで会った男の誰よりも、マシかも知れない。
あくまでマシであって、完全に信じ切れるほどの相手ではないのだが、雅はそう感じ取り少し警戒を解く。
「御免なさい。あまり、人と話すのが苦手で……面倒臭そうな女だと思ったんじゃないですか?」
「いや、全然。むしろ、怪しまれんのは当然だし。あ、自己紹介がまだだったよな。東堂 透って言います。あまり俺を過信すんのは勘弁してくれ。さっきも言ったように、ヘタレだからさ……」
ここまで自分を卑下する男と出会ったことがないので、初見としては逆に印象が深く残る。けれどそれは好感とはまた違った、純粋な感想だ。
「葵さんになにかしたら、許しませんから」
「はっ!? べ、別になんかするつもりで話し掛けたわけじゃねーし!」
なんだか露骨な反応だった。雅は心の内側で「ははーん」と察するも、それを応援してやれるほどの余裕は無い。状況は切迫しているのだ。それさえ乗り越えたならば、後押ししてやっても構わないなどという上から目線な気持ちすら抱いた。
「配給の手続きってどこでやるか分かりますか?」
「あー、それなら第九層の査定所? ってところだ。お役所仕事は大体、全部があそこになってるよ」
確かに査定所はお役所仕事である。だからといって、仕事量を増やして良いものかどうかは雅には微妙に分かり辛いところだが。
「ありがとう、これで明日からは配給を受けることができそう」
「困ったときはお互い様だろ」
「……じゃ、葵さん。なにか一言どうぞ」
配給を受けることについて教えてもらったお礼とばかりに、葵に雅は話を振る。東堂もきっと自身と話しているよりは葵と話している方が楽しいだろうという気遣いである。もう少し良い話題の振り方があったような気もするのだが、こういったことには無頓着であるため致し方無いだろう。
「東堂君が生きていてくれて嬉しいです。他のクラスメイトがどこに居るか分かりますか?」
「え、あ、ああ。まぁ、なんとか生き残ってるだけだ。クラスメイトなら、さっき俺を呼んでいた奴もだよ。あと二人足して、四人で生活してる。それと、白銀には良い情報か分かんねぇけど、佐藤のグループの居る」
そこで東堂は俯く。
「あとは……顔見知りって程度の奴らが十人くらいで……残りは、生きてんのかも分かんねぇ」
東堂を含めた四人組と佐藤含めた六人組。そこに十人を足すと二十人ほどである。雅の中学では一クラスが三十五人から四十人ほどだったため、少なくとも十数人は行方知れずになっていることになる。
分かってはいたものの、これが現実だ。雅は葵の様子を窺う。
「そう、ですか」
一筋の涙が零れていた。東堂が慌てふためいているが、「あなたのせいじゃないから」と雅が言って、落ち着かせる。
「気持ちの整理に時間が掛かりそう?」
雅は葵に訊ねる。
「…………すみません」
葵はお辞儀をして、その場を逃げるように走って行った。




