【-感動の再会とは限らない-】
ディルも相当だけど……あの人も、一緒だ。
揃いも揃って壊れている。雅の印象はそれしかない。人としてのネジが数本ぶっ飛んだイカれ具合は、誰にも真似はできないだろう。
そして思う。「あんなのがあと三人も居るの?」と。ディルとリコリスは五人の内の二人だ。その二人があれなのだから、残り三人もネジがぶっ飛んでいるかも知れない。いや、そうであるはずだ。それほどまでに首都防衛戦とは凄まじいものだったに違いない。雅の知らないほどの恐怖と凄絶さの中で、生き残るために下した決断こそが、人としての大切な部分を欠落させることだった。だから生き残ることができ、そして生き残ってしまったために、おかしな言動が目立つようになってしまった。
ただ、雅は考えてしまうのだ。
そうやって人間性を欠落させたとしても、心までも狂ったわけではないだろう、と。だとすれば、心の深奥に、なにを潜ませているのだろうか、と。
ディルは人殺しはしない。だとすれば、リコリスもなにかしらの義を持っているのかも知れない。それがディルと同じとは限らないが、“人を守るために戦って来たあの女が、人を殺すほどに狂う”だろうか。
「……そっか……それが逆鱗だった、んだ」
どうしてそんな簡単なことに気付かなかったのか。だとすれば、リコリスに謝らなければならない。
こういった考えに至れるのは、ディルという男と出会ったためだ。もしも、初めて会った相手がリコリスだったなら、雅は謝罪しようとは思いもしなかっただろう。
だからと言って、敬慕以上の感情を持っているのではと勘繰られてはたまったものではない。今後、あの女と出会ったときにはその方向に話が行かないように気を付けなければならないだろう。
そもそも、何故、ディルが居ないときにディルの話をしなければならないのか。師事したのは自分自身だが、これだけ話題に挙げられると煩わしい。葵でさえ、二言目には「ディルさんとは~」である。たまには真っ当な話をしたいのだ。どこに行ってもディルの話題が出て来るのは正直なところ、そろそろ鬱陶しい気持ちが強くなる。
「はぁ…………葵さんを探そうか」
ついでに艦内の探索も済ませてしまおう。
雅は重い足取りで廊下を進み、この階層――ショッピングフロアという名の商業施設を見て回る。広大なスペースをパーテーションで仕切り、個々が別々の品物を販売している。この階層は、主食の野菜類が並んでいるようだ。そもそも肉類は『水』、『土』、『木』の使い手によって完全に外界と隔絶された施設で育てられた家畜からしか得られないため、需要と供給のバランスが崩壊しており、高価なもので、たとえ戦艦の外であったとしても滅多に食べられるものではないのだ。
しかし、それはともかくとして、販売とは別に配給もあるらしく、どのパーテーションで仕切られたスペースにも配給表として紙が貼られている。これならば使い手ではない一般人も、どうにか生きるための食料にありつける。それでも、水の配給はシビアだ。配給表を見ても、一日分の量が少なく見積もられている。雅が五等級海魔を討伐した際、査定所で言い渡された量よりも少ない。
「働かざる者、喰うべからずとは言うけれど……働かざる者、飲むべからずって感じ」
だが、この水分量でも一日を辛うじて過ごすには足りる分量だろう。ここには恐らく生活用水は含まれていない。艦内のトイレはまだ覗いていないが、そこの環境があまりにも劣悪だったなら、感染病が蔓延していて人一人生きてはいないはずだ。よって、用を足す際の不快感は比較的無いものと想像できる。ここに居る全ての人間が利用できるのならば、快適とは言えないまでも暮らしに妥協できてしまう。
外に出ることを諦めてしまうほどに、整っている。この状態に至らせ、それを維持させるのは難しいことだ。逃げ込まざるを得なかった討伐者たちが築いた、生き残ることだけを考えた世界が艦内には広がっていた。
別の階層も、そのまた別の階層も、どこもかしこも似たようなものだ。居住フロアもまた、変わらない。
妥協した世界、妥協せざるを得ない場所。それがこの艦内の情景だった。
「葵さんは、居住フロアを見て回っていると思うけど……」
誰かが住人を管理し、名簿リストを作っているのなら、その人を頼って、そこからクラスメイトを見つけ出すこともできるはずだが、まずその管理者がどこに居るのかが不明瞭だ。となれば、きっと葵は一つ一つ丁寧に見て回る。そういう性格の友人だと分かっているからこそ、居場所を当てやすい。
とはいえ、居住フロアは船底から始まって、この艦内の第四層まで広がっている。第五層はコミュニケーションフロア。第六層から第八層までがショッピングフロア。そして第九層に臨時査定所。第十層となる甲板が野菜を育てるフロアに違いない。
「ちょっと待ってよ、なんでアンタが生きてんの。死んだもんだと思ってたんだけど」
耳に入って来た言葉が葵に向けられたものだと察した。スムーズに耳に入って来たのは、無意識の内に使い手としての能力が発現してしまったためだろうか。
こういうことはままあるのだ。風が音を運んで来る。実際には震撼した空気に自らが変質させた空気が触れることで、すんなりと探している人物に関わる言葉が耳に届くわけだが、この空気の変質だけは無意識で、無感覚なのだ。だから非常に耳が良い。しかし、いつでも都合良くとは行かない。雅ですら空気を変質させることで音を鼓膜まで響かせる方法は分からない。運良く起こり、運悪く起こらない。中途半端なこの能力については、誰にも話していない。
「生きていらっしゃったんですね、嬉しいです」
「はっ、なぁにが『嬉しいです』よ。あんた、どうせざまぁみろとか思ってたんでしょ。ってか、いつここに来たの? ってか、来たなら来たで、邪魔にしかならないんだけど。なんで今になって、あんたの顔を見なきゃならないわけ」
雅は恐る恐る声のする方へと向かい、様子を窺う。葵は嬉しそうにしているが、その話し相手たちは全く嬉しそうにしていない。一方的に葵を責めているようにも見える。
「ねぇ、千恵? ここで喧嘩とかしたら、ワダツミ様が怒るよ。こんな奴、無視すれば良いんだし、行こうよ」
千恵と呼ばれた、葵のクラスメイトであろう女の子を取り巻いている内の一人がボソリと呟く。それも雅の耳にはハッキリと届いた。
「ワダツミ、様? それは一体、どういう方なんですか?」
「あんたに教えたって意味無いよ。行こ、みんな」
問いに答えず、千恵とその取り巻きたちは廊下の奥へと進んで行った。葵は彼女たちを追おうと足を一歩踏み出したが、そこで足が動かなくなってしまったらしい。追い掛けさせるために発破を掛けるべきところだったのかも知れないが、雅は静かに葵の傍に行くことを選んだ。
「御免、話が聞こえてました。今のが葵さんの友人ですか?」
「……はい。佐藤 千恵さんです。あたしに無理な要求を突き付けたり、中学の外まで買い物をして来るよう言った方でもあります」
それは聞きながらに察することができた。突っぱねられている様を見れば、誰だってそう思うのではないだろうか。しかし、葵は再会できたこと自体が嬉しいらしい。クラスメイトが生きていることが、それほど嬉しいということだ。それがあんな、自分自身を拒絶するような相手であってもだ。
私にも居たっけ……そういえば。
しかし、そうやって想い出に浸っている場合では無い。
「“ワダツミ様”、ってなんでしょう?」
「分かりません。答えてくださらなかったので」
あの千恵という子と葵の会話の中で唯一、分からなかったのがその「ワダツミ様」である。漢字で表せば「海神」。腐った海のどこに神様などが居ると言うのだろうか。
「ちょっと気になりますよね」
「はい。彼女たちが、妙なことに首を突っ込んでいないか、心配です」
気に掛けるほどの価値がある子たちだろうか、と雅は疑問に思いつつも軽い相槌を打って、同意していることを表す。
「他に話のできそうなクラスメイトは見つけられなかったんですか?」
「さっき、彼女たちと出会ったばかりなんです。探せば、きっと他の子も見つけられると思います」
葵は力強く言うが、あのシーマウスの襲撃を受けて、彼女が通っていた中学の全生徒が無事にこの戦艦まで辿り着けたとは到底思えない。必ず、複数人――数十人単位の犠牲者は居たはずだ。その中に、葵のクラスメイトが居ないとは言い切れない。ただ、希望を捨てていない葵の瞳を見て、雅はそんな悲観的な現実を突き付けることはできなかった。
それよりも、「ワダツミ様」が気に掛かる。葵の「慈善」については、深く言及することを雅は控えることにした。言ったところで、葵はきっと諦めない。それよりも、彼女の「慈善」に付き合い、「ワダツミ様」について調べることの方が重要である。
友人を利用するような形になっちゃうけれど……。
僅かな後ろめたさがあった。




