【-売り言葉に買い言葉-】
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「『辞めない』、『退かない』、『諦めない』の精神はどこに行ったって言うのよ!」
リコリスと共に戦艦に乗り込み――乗り込むためにも紆余曲折があったのだが、ともかくも艦内で雅はディルと再会を果たし、怒り心頭といった具合でそう叫んだ。
客船型戦艦の入り口は浅瀬に乗り上げてから、使い手たちの力で改良が加えられたらしく、腐った海に面していない浜から直接入り込めるように船底に近い場所にあった。人が乗り込む際はその入り口が開き、そして閉じられる。シーマウスは木々やコンクリートなどを齧ることができても、『金使い』の力によって強化が施された戦艦に穴を空けることはできないらしい。
船底から入って、甲板まで上がるには十分ほどを要した。広い艦内は階層によって使われ方が異なっているらしく、階段を登る度に、また違った一面を見せた。居住スペースに始まり、コミュニケーションフロア、そして臨時査定所にショッピングフロアなどもある。小さな町一つ分を戦艦一隻に圧縮したようなところだった。無論、艦内に入った時点で、放出している香りは全てリコリスによって消し去られている。こんな人の多いところでごちゃ混ぜになった香水の匂いを垂れ流していては、気分を悪くする人が続出するだろう。
そして、甲板は透明なアクリル板によって、グルッと一周――外に面する全てが塞がれていた。これにより、外の景色を見ることはできても、外の空気を吸うことはできそうにない。腐った海から吹く風を浴びれば、徐々に健康を害するのだからこの処置は致し方の無いことなのだろう。浜辺の町で辛うじて暮らせるのは、家や垣根、塀などによって、この腐った海から吹く風を常に浴びずに済むためだ。しかし、これほど腐った海に面したところに戦艦がある場合は、不本意であっても浴び続けてしまう。だからこそ、アクリル板で甲板を覆い尽くさなければならなかったのだろう。
その、外を見ることのできる唯一の場所にディルは居た。女――リコリスは「ディルはクソ野郎で馬鹿だから、高いところに居るに決まっているからー」と言ったことは、半ば当たっていた。だが、馬鹿だから甲板に居たわけではないだろう。雅には単純に、甲板に出ている人は少なく、中の喧騒を嫌ってのことだとしか思えなかった。
「それはお偉方が掲げた言葉だ」
「それを偉そうに説明していた人はどこの誰でしたっけ?」
「はっ、俺はお偉方の言葉なんざどうでも良いと思っているからな。テメェが信じようと信じまいと、どっちだって良かった。ついでに死んでくれたら楽だと思ってなぁ」
言葉は辛辣であり、悪びれもしない。そんなディルを腹立たしく思い、そして同時に、どうしてこの男の思考パターンを予測できなかったのだろうかと悔しくも思う。
「さて、あんたのロリを返却するから、私の外套を返せこのクズ」
「そのまま引き取ってくれて構わねぇよ、俺は?」
「ふーん? じゃー、私がこのロリたちを食べちゃっても構わないってことー?」
「ああ、好きにしろ。まぁそういう世界もあるんだとクソガキどもは知って、得するんじゃねぇの? 知らねぇけど」
「勝手に話を進めないでよ!」
雅は全力で二人の会話の仲裁に入る。こんな売り言葉に買い言葉で人身売買のような契約が成されてたまるものかという強い意思があった。
「ディルが私たちを置いて逃げたのは事実でしょ」
「言っただろ。全て俺が基準だ。テメェらが遅かった、ただそれだけの話だ。勝手に野垂れ死んでも俺は一向に構わない。テメェが俺に交渉を持ち掛けて来たときから散々、言ったつもりなんだがなぁ」
鋭い視線、そして義眼が与えて来る威圧感に雅は視線を逸らしてしまう。言っていることは真実だ。散々、言われ続けて来たことだ。
だが、実際に、本当の本当に置いてけぼりにされるとは思っていなかった。それが雅にはショックだった。
「ロリとの話はその辺で、ほら、私の外套を返しなさい、クズ野郎」
胡坐を掻いて座っているディルにリコリスが手を差し出し、外套の返却を要求する。
「……はっ! テメェも道連れにできたんだから、返してやるよ」
バサッと外套をリコリスに投げて寄越す。リコリスはその外套をすぐさま羽織る。目深に被ったキャップ帽のせいで、表情を見ることは敵わない。
「ほんっと、最悪。ここだけには入りたくなかったってーのに。あれだけたくさんの芳香を混ぜ込んだ匂いでも、あんたゲロ吐かねーし。どんだけクセーところを歩き回ってたんだって話、この壊れた男」
「同じようにネジがぶっ飛んでる壊れた女に言われたって微塵も傷付かねぇなぁ」
「…………それじゃー、ロリは返却するけど、今後一切、私の動向に関わらないでねー、クソ野郎。ロリにはすこーしばかり、借りを作っているから、幾つか手伝ってもらうことがあるかも知れないけどねー、この感じだとそれぐらいは許容範囲内ってーか、許容範囲外? まーどっちにしたって、こっちの自由って感じだからー、自由にさせてもらうけどー。じゃーねー、二度と視界に入らないでねー、“死神”」
「こっちの台詞だ、“疫病神”。テメェのせいで、俺に面倒事が舞い込んで来ないことを祈るばっかりだ」
呆れ口調でリコリスはディルを罵り、そしてディルも反発するかのように罵り返した。リコリスはその後、なにも言うことなく甲板から艦内へと向かった。
「ウスノロ、テメェは自分のクラスメイトやらを探さなくて良いのか?」
「その、思ったよりも広いので、次にちゃんと出会えるか分からないので」
「なら安心しろ。俺は甲板にしか居ねぇ。クソガキもそれを知れば、いつかは甲板に顔を出す。だから好きにクラスメイトやらを探しに行け」
葵はしばし悩んでいるようだったが、やがて決心したように雅とディル、そしてリィに向かって軽くお辞儀をすると艦内へと走って行った。
「テメェも、どこかへ行け。俺はここで楽にしていたい」
リィもディルの言葉に肯いている。この二人はいつだって一緒だ。そして、レイクハンターの一件から、この男のリィに対する過保護振りはより酷くなったように感じられる。
「なにか考えていることがあるんじゃないの?」
「クソガキに言ったところで、分かるわけねぇと思うが」
「言ってくれなきゃ分かるかどうかも分かんないじゃん!」
強気に雅は追及する。ディルが自分自身で「ゴミ」と言っていたこの戦艦に入るなんてことは、考えにくいことなのだ。たとえ、あのリコリスという女やシーマウスの襲来があったとしても、袋小路と言っていた逃げ場のないこの場所に走ったのは、それなりの理由があるに違いない。
葵のお願いを叶えるためにわざわざここに来た、とか?
そんなことも考えてしまう。この男は、時に乱暴だが、時に不可解な優しさを見せるのだ。
「くせぇんだよ」
「え、リコリスさんの香りならもう消えて、」
「あの女に『さん』付けとかしてんじぇねぇ、殺すぞ」
ビクッとするほどに凄まれてしまった。それほどまでに、ディルはあの女が嫌いらしい。
「わ、分かった」
「……外の浅瀬にずっと潜んでいるのかも知れねぇが、シーマウスとは違う海魔が居る可能性がある」
「だから戦艦に?」
「ここに居る人間全員を仕留めたくて、ずっと見張っているかのように潜んでいるなら、等級としてはかなり上の海魔だろうよ。そいつを仕留めれば水も金も稼げる。そいつが、どうして戦艦そのものを襲おうとしていねぇのかは不明だが、とにかくはここで様子を探る」
「そう、なんだ」
「あとな、艦内にリィの同類か或いはそれに近いなにかが居る。人のフリをしてんのか、それとも海魔のフリをしてんのか、強かな奴が紛れ込んでいる」
「そこまで鼻が良いのに、なんでリコリスの香りでは気分が悪くなったりしないの? というより、あの人とはどういう関係?」
なにより、そこが雅にとっては重要だった。ディルとリコリスの、知己の間柄のような会話が見ていて心苦しかったのだ。敬慕しているからこそ、師事している相手だからこそ、親しそうに話をする様を見るのは辛いものがある。




