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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-第十部-】
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【-死神らしいこと-】


「めーいーちゃん。あーそびーましょっ♪」

 虚空に向かって少女はリズム良く言葉を紡ぐ。しかし、誰も居ない――彼女しか居ない牢屋の中では言葉は音となって反響し、ただ遠くへと飛んで行くだけだった。

「なーによー、まだご機嫌斜めってことー? いつまでも私が表に出ているわけにも行かないんだよー? もー、そこんところちゃんと分かってよねー」


 あっは♪ と笑いながら、少女は牢屋の中に備えられたベッドで横になる。


「でもでもー、いつになったら外に出してくれるんだろーねー、この街の人はさー」


 またも虚空に向かって言葉を放つ。


 ジギタリスが死んだ日、死神が黒椿という名前を貰った日、鳴は心の深奥に入り込んで出て来なくなってしまった。仕方が無いので、死神である黒椿が表に出て、その後の日々を送っている。黒髪は真っ白に染まり、瞳も強膜との境目以外は真っ白に。そしてジギタリスの置き土産である白い外套を纏った。そのあまりにも白過ぎる姿を見て、命からがら辿り着いた街の人は、黒椿を、或いは鳴を人ならざる者――海魔なのではないかと疑い、そしてこの牢屋に放り込んだのだ。


 確かに特級海魔は人に擬態する能力を持つ。ラピッドウルフ、ギリィなどがそれらに分類されるのだが、極めて稀有な海魔であって、数十年に一度程度にしかその存在が確認されていないほどだ。これについては鳴がジギタリスから教わった知識である。そこから黒椿が引っ張り出して、自身のものとしている。そうして考えてみれば、黒椿が人間であることは紛れも無い事実であるはずなのだが、この数十年に一度という稀有な確認情報が逆に街の人を混乱させたに違いない。


 即ち、その“数十年に一度の存在がこの街に現れた”と。ジギタリスよりは真っ白では無いにせよ、とにかく人より人らしくない容姿をしている黒椿を、或いは鳴を――標坂 鳴を放置することは街にとって不幸を招くだろうという結論が出された。その結論を出したのが、討伐者や査定所の面々なのだから、ほとほと厄介である。本来ならば力を合わせて海魔を討伐する仲間が、現在、自身を海魔ではないかと疑っているのだ。この件に関しては、ジギタリスが遺してくれた外套も、リコリスの遺言も機能してはくれなかった。


 この街の牢屋に入れられて、既に二週間は経過している。あのあと、雪雛 雅がディルとリィと共に首都へ至れたのかどうか、それすらも牢屋に居る黒椿には、鳴には届かない。しかし、逆にそういった話が牢屋にすら響いて来ないのだから、まだ彼女たちは首都には至れていないのだろうという推測は立つ。鳴の力は『音』。外で反響する音を拾い上げて、聞き取ることができる。心音から嘘を見抜くことも可能だ。鳴のその力でもってしても黒椿の耳には噂話ですら首都の話題が出て来ないのだ。だから、彼女たちは未だどこかを彷徨っているということになる。最後の街からこの街まで引き返したのがひょっとすると間違いだったのかも知れない。せめて最後の街だったなら、あの病院で関わった人から自身が人間である証明をしてもらえるところだった。一つ二つほど離れた別の街にまで退いてしまったが故の、この扱いである。それにしても、二週間も牢屋に居て、まるで動こうとしていないのだからそろそろ外に出してくれても良いだろうと黒椿は思う。このような鉄格子なら、『音』の変質を行って轟音に変えてしまえば簡単に消し去れる。しかし、それでは敵性と判断されかねない。だから、自分から牢屋から出ようとはしていないというのに。


 ……ひょっとすると独り言と思われているような発言の数々で奇妙な少女と思われているのかも知れない。黒椿にとっては、主人格であり、宿主でもある標坂 鳴の精神を表にどうにかして引っ張り出そうとしているだけなのだが、周囲はそれが分からない。


 しかし、だからといってこの独り言をやめれば外に出してくれるという保証も無く。


「打つ手無しってのは嫌よ、本当に嫌。だってつまらないもの。あーあ、つまんないつまんないつまんない。こんなところで時間を喰っている暇なんて、私たちには無いはずなのに」

 リコリスの遺言を鳴の裏側から黒椿は耳にしていた。あれは遺言というよりも、残されていた全ての力を放出し、自身を犠牲にしてでも届けたかったまさに魂の叫びだ。黒椿にはできない。自分自身を消失する恐怖からは逃れられない。しかし、リコリスはそれをやってのけた。だからこそ、黒椿はリコリスを尊敬する。死神であっても、鳴の中に潜み、そして人を選んだ理由の中には、彼女の魂の叫びを聞いたことも含まれている。無論、自身が見つめ続けていた鳴が成長し、命令するのではなく命令されたことが最もな要因であるのだが。


「死神だって退屈はするのよ? もー、本当にいい加減にしないと、この鉄格子を『音』に変えちゃうんだから」

 不敵な笑みを浮かべ、決して鳴ならば作らない狡猾な表情を作り、鉄格子を人差し指がツゥーッと艶めかしく伝う。しかし、鉄格子を破ることはなく、翻って再び黒椿はベッドで横になった。

「下らないわ、実に下らない。そうやって遊んじゃったら、鳴の評価が下がっちゃう。それだけは嫌、嫌よ。鳴のために生きることにしたんだから、私が私の価値を下げるようなことをしては行けないわ」


 右腕に刻まれた黒い蛇の刺青を眺める。あの時、刈り取った魂は全て影の王から逃げるために放出した。そのため、この刺青は今、力を失っている。あの力を振るうためには、自身の死神の力を振るうためにはまた命を刈り取らなければならない。かと言って、人間の命を刈り取るわけではなく、海魔の命を刈り取ることに決めたのだから、力の充填にはまだまだ時間を掛けることになりそうだ。なにせ、この街に居る限りは、下手に刺青に命を充填させるような、“極致”の変質を用いることは危険極まりない。“異端者”どころの騒ぎでは無く、本当に殺されるかも知れない。死神からすれば、殺される前に殺したいところなのだが、これまた鳴に従属することを決めたがために、人殺しはできない。そして、鳴が死んでしまうような愚かな行動を取ることもできない。


 だからこの街では、静かにしている他に無いのだ。死神である黒椿にとっては非常に不本意ではあるのだが、そういったことも人の世にはあるのだと自身に言い聞かせることで抑えている。今の黒椿がやらなければならないこと。それは心の深奥に引きこもってしまった鳴を引っ張り出すこと。これが最優先である。鳴が表に戻って来るならば、自分本位な行動は慎む。言葉に関してはもう既に手遅れだ。今更、改めれば逆に怪しまれるかも知れない。


 正直なところ、鳴が表に戻って来てくれるならば、大抵のことはやってのけるつもりではいる。それがどんなに無茶で無謀なことであっても、それで鳴が出て来てくれるならば黒椿はやり遂げたい。現状、そのような兆しが見えないからこそ、こうやって牢屋で無意味に時間を浪費しているのだが、心の傷は時間経過でも埋まることを黒椿は知っている。なにせ鳴の裏側で多数の精神を作り出し、教育していたのだ。彼ら彼女らが過去にジギタリスに挑み、完敗したときには、やはり時間経過で彼ら彼女らの精神は少しずつ元気になって行った。鳴の場合、主人格であるため、どれほどの時間が掛かるかは分からないが、とにかく時間というものは人にとっては許容し切れない情報等を纏めるために必要なものであるということは分かる。


 それでも、と黒椿は思う。


「そんなに時間は無いのよ? 鳴」

 心の中の鳴に語り掛けるが、返事は無い。溜め息をつきつつ起き上がり、鉄格子の窓から僅かばかり差し込む、曇り空から見える朧月の光に誘われて、そこから見える僅かな外の景色を眺める。

「歌? 綺麗……とても綺麗ね」

 鉄格子の掛けられた窓から入り込んで来た歌声に黒椿は心を躍らせる。『音使い』であるが故に、沢山の音を聴いて来た。その中でも、この歌声は飛び切りのものだ。ここに入れられての二週間がどうでも良くなるくらいに自然と耳に入り込み、心に沁み渡る。

「ただ、聴き続ければ毒になるわね。本当に良い歌声なのに、勿体無い。そんな風にしか、歌声に力を載せられないなんて」

 言いつつ黒椿は窓の鉄格子と、その隙間の空気に指を滑らせて諸共、音圧の壁とする。響き渡っていた歌声は、音圧の壁によって妨げられ、再び牢屋に静寂が訪れる。


 しかし、時間にして約十分後。その静寂は破られる。荒々しく上階の扉を開ける音がし、続いて怒気を孕んだ足音を立てながら何者かが階下にある牢屋へと降りて来て、黒椿が入っている鉄格子の前で止まる。


「あたしの歌を拒んだでしょ?」


「あら、あなたが唄っていたの?」

 狡猾そうな笑みを浮かべながら、さも知らなかったとばかりに黒椿が言い放つと、何者かは鉄格子を両手で握り締め、大きな音を立てたのち、彼女を睨む。

「もう一度言う。あたしの歌を拒んだわね?」

「ええ、ええそうね。拒んだわよ? でも、とても良い歌声だったわ、ほんとよ? そこに『音』の変質が加えられていなければ、ずっと聴いていたって良かったくらい」

「いつ気付いた?」


「聴いた瞬間から。歌は人の心を掌握する。時として人を鼓舞し、人を扇動し、人を奮い立たせる。けれど、時としてそれは歌を妄信する者たちによって神格化され、狂信者が生まれ、街や国一つ、或いは軍隊を崩壊させる歌に変貌する。あなたの歌声には、そういった心に働き掛ける力が混じっていたから聴こえないようにさせてもらっただけよ。“異端者”の『音使い』さん?」


「……あー♪」

 ただの発声練習と思いきや、「あ」という発音を媒介にして黒椿の体が後方に吹き飛ばされた。片手を背に回し、『音』の変質を行い、石造りの壁に激突する前に音圧をクッションにする。


「『音使い』さんには悪いけれど、自身が発生させた音や歌から変質させているんじゃ、私には敵わないわ。それとも『音使い』とは異なるのかしら? だって私――私じゃない私は一度もそんなワンクッション置いた変質を行ったことは無いもの。空気に触れれば音になる。空間を見つめれば音に変わる。でもあなたは、音を立ててからじゃないと攻撃に転じられない。けれど、声に力が込められるのなら、さしずめ『歌使い』と言ったところかしら。自身が“起こした音”なら変質を加えられるようだけど、それって本来の変質をちょっと工夫したからでしょう?」

「どうしてあたしの歌を拒む?」


「セイレーンと呼ばれる海魔が居るのよ。どれだけ離れていても耳に届き、人の心をかどわかし、殺し合わせる。そうやって死体を貪る海魔。あなたの歌声は、それに近いみたいだから。ああでも、人同士を争わせるような音波では無かったわね。どちらかと言うと、子守唄(ララバイ)かしら? ゆっくり、穏やかに、そして安らぎを得てこの街の人が眠れるようにという変質が加えられた歌。ただ、聴き続けていたら私が私の意図しないタイミングで眠ってしまいそうだったから防がせてもらったのよ」


 笑みを崩すことなく、まるで相手を蔑むように言い放ちながら黒椿は相手の出方を探る。


「ぐっ……けれど、牢屋に入れられている人がなにを言ったって、」

 鉄格子に指を滑らし、それらは音となって相手の眼前から消失する。音と言っても、大きさを考慮していない轟音。そのため、相手は両耳を塞ぐだけでなく、あまりにも激しい音にやられて眩暈を起こしている。

「牢屋に入れられては居たわ? けれど、出られなかったわけじゃないのよ? ほんとのほんとよ? けれど、あなたは牢屋に入れられても居ないのにその程度なのね。少し失望したわ。でも、ありがとうとは伝えなければならないわ。あなたが街の人を眠らせてくれたおかげで、私の轟音を聴いて飛び起きるようなことが無いんだもの。まぁ、ただ一人起きていたあなたにとっては、そしてこんな目の前だったなら、さっきの音で鼓膜が破れちゃったかも知れないけれど」


 どうかしら? と付け加えながら、黒椿は今にも倒れそうになっている相手――少女の体を抱き止める。


「鼓膜はギリギリ破れていないのかしら。けれど、三半規管が少しだけおかしくなっちゃったかも知れないわね。立っていられないくらいに目が回って、気分が悪いんじゃない? そのまま気絶してしまっても良いのよ?」

「あな……た、何者、よ。この街で、あたしの歌を拒むなら……覚悟、しなさいよ。どうなるか、分かったものじゃない、わ」

「この街には住んでいないの。あと、こんなところで時間を潰していられるほど暇でも無いの。でも、二週間ほど滞在していたのは私じゃない私のため」

「私じゃない、私?」

「それはあなたには関係の無いことよ。それじゃ私、ここを出て行くから。ああでも、牢屋から出るってだけでもう少しだけこの街を見させてもらうわ。ちょっとあなたに興味が湧いてしまったの。この街の人がどうやって生きていて、どうやって過ごしているのか。そして、あなたはその生活の中にどう関わっているのか。見物させてもらうわ。んー、でもこのままあなたを連れ回すわけにも行かないし」


 抱き止めていた少女を鉄格子が焼失した牢屋の中にあるベッドに横たわらせる。


「さよーならー、次に会う時はもう少しだけ私に注意してねー。今日みたいに返り討ちに遭いたくは無いでしょう? だってあなたの服の中、仕込みの済まされた武器ばかりで、手合わせするだけでも楽しそうなんですもの。私の中の私たちの武器より多種多様な戦い方を、今度は見させて欲しいわ。死神として断言するけれど、またきっとあなたとは会うわ。それも、とても赤の他人として過ごせないほどに、ね」

 黒椿は地上へと繋がる階段を上がって行く。査定所の使い手、及び討伐者は先ほどの少女の歌声によって深い眠りに落ちているらしく、誰一人として黒椿の足音や姿に気付く者は居ない。そして査定所の出口まで至ったところで、彼女はふとなにかを思い付いたかのように柏手(かしわで)を打ち、ニヤリと笑みを零す。


「死神らしいこと、してみましょうか」

 呟いて、踵を返す。白い外套が翻り、風を受けてはためく。しかしその外套の長さは彼女の体躯にはいささか大きいように見える。


「ねぇ、あなたはどうして唄い続けるのかしら? 教えてくれたら、協力してあげても良いわよ? 一緒にやんちゃしてあげる。ふふふ、ふふふふ……あっはははは♪」


 その提案が正義か悪か、その判断を下せる者は、まだここには居ない。

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