【-だから進む-】
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「榎木 楓さんはさすがだなぁ。ケッパーさんに鍛えられたことはありますよ」
年齢不相応な体躯と顔付きをした男性は査定所の受付で、のほほんとした表情のまま楓を褒める。その褒められている側の彼女は両手を重度の凍傷、また露出していた肌のほとんども軽度ではあるが凍傷になっており、顔にも包帯が巻かれていて、決してのほほんとした表情で見ていられるような格好ではない。
「私の両手って、壊死してませんよね? そうなっていたら、今後の戦い方について色々と考えることになるんですが」
「両手が使えなくなっても討伐者は辞めないんですね」
「辞める辞めないというわけではなく、私にはこの生き方しか多分、できないと思うので」
それ以外の生き方を見つけられない。なりたくてなったわけではない。最初は罪滅ぼしから始めた。けれど、今となっては、もしもケッパーと会っていなかったなら自分はどういう生き方をしていたのか、想像すらできない。
だから辞める辞めないではなく、この生き方しかできないと表現した。他になりたいものがあったとしても、恐らく自分は討伐者で在り続けるのだろうという、曖昧な予想が出来上がりつつある。
「重度とはいえ、その後の処置によって幸い壊死していません。血は指先まで巡っていますし、細胞も活動を続けています。ただ、しばらくは痛むでしょう。なので、短剣を持つのもままならないかも知れません」
「んー、蹴り技については教わってないんですよ。ディルさんが居てくれれば」
しかし、それも無理な話なのだろう。ケッパーがそれを選んだように、リコリスがそれを受け入れたように、残りの三人もまたそれを選び、受け入れたはずだ。だから、もうあの“死神”の異名を持つ男からなにかを教わることも、ボコボコにされることも無いのだろう。
「雅さんなら、習得している可能性はある、か」
そもそも楓があの男にボコボコにされた回数は二回だけ。たった二回だ。それに比べて、あの男に鍛えられていた雅さんは何十回とボコボコにされているはずだ。となれば、相応に蹴り技について無意識の内に習得している可能性は高い。
「両手が使えないからってすぐに足を使った戦い方を覚えようという切り替えの仕方が、僕には分かりかねるんですが」
「だって短剣を持てない以上、旅の途中で海魔に襲われたとき、対処の仕様が無いじゃないですか」
「それは、そちらに任せれば良いのでは?」
言いつつ男は視線をやや下に向ける。
楓の後ろに付いて歩く氷像の狼は『おすわり』している。ヒトツメは閉じられたまま開かれず、口元は開いて犬種特有の体温調整のために舌を出して呼吸を――呼吸をしている風にしている。
「絶対零度領域は榎木 楓さんが目標に到達後、数日を掛けて消失しました。いえ、正確には凍っていたものが全て溶けて行きました。不思議なことに凍結していた草木は組織が壊れていてもおかしくないはずなのに、溶けたあとも枯れていないそうです。圧迫されていた海魔の棲息も、これのおかげで解消され、この街を含めた付近を襲う海魔の数も激減。おかげさまで、僕もまだ少し生きられるようです。ありがとうございました」
「でも、目標地点にある氷塊は砕けないんですよね?」
「砕けない……と言うよりも、砕いてもすぐに元通りになると言った方がよろしいでしょう。なので、あれはこちらでも手を付けないことにしました。『火使い』でもどうしようもない氷塊ですから、海魔でもどうこうできる代物じゃありませんよ。しめ縄でも巻いて、近付き辛い雰囲気でも出しておいた方が、そちらの銀世界の主さんを怒らせずに済みそうです。けれど、あの中にあなたのご友人が、仲間がいらっしゃるのでは?」
「あー、居るには居るんですけど、気にしないでください。間に合わなかった私が全て悪いんです」
この氷像の狼に葵の意思が移っていると語っても、きっと信じてはくれないだろう。氷塊の中央に残されている白銀 葵と東堂 透の肉体は氷塊が砕け散らない限り永遠に朽ち果てず、そして葵の意思も、氷塊が砕け散らない限りは氷像の狼という形態をもって具現化し続ける。なので、この話を素直に聞いている氷像の狼こそが楓にとって、探していた友人でありそして仲間の一人だ。
「どうにかする術があれば、どうにかしてあげたいところなんですけど……私の頭じゃ、ちょっと無理そうです」
「なら、その点についてはこちらで研究させて頂きます。あ、物騒なことは決してしませんよ。ただ氷塊の分析を行うというだけです。変な行動を取らないよう、僕が統率した査定所の面子で行かせていただきます」
「それが何気に一番心配なんですけど」
「心配なようでしたら、全てが終わってからということで」
「……確かに、そっちの方が私も立ち会うことができて良さそうです」
信用していないわけではないが、あの氷塊に第三者が検査するところは、しっかりと見ておきたい。妙な真似はしないだろうが、研究に没頭する人は場合によってはおかしな行動を取ることもあると聞く。そういったときの、もしもを楓が防止するのだ。
「では、今回の任務の報酬は紙面に記した通りのものとなります」
「いやいや、これは多すぎますって」
「問題ありません。複数の街の危機を救ったんです。金額も水も、両方ともこちらで、榎木 楓さんのものとして、しっかりと管理させて頂きます」
どれだけ言っても、この男はきっと引き下がらない。変なところで折れない心の持ち主なのだ。だから、ここは楓が折れるしかない。
「そんなので、結婚生活が上手く行くんですかねぇ」
「まだ婚約した段階で、解消される不安もあるんですから怖いことを言わないでください」
マリッジブルーというものが女性にはあるらしいが、婚約の段階の場合、男性側は破棄される可能性に常に怯えなければならないらしい。それでも、もうほぼ結婚することが決まっているのだから堂々としていれば良いのにと楓は思う。
「それでは、そろそろ行きます」
「はい。本当に、ありがとうございました」
男が頭を下げて感謝の意を示しているところに、楓は手を振りつつ、氷像の狼の頭を少しだけ撫でる。化獣は姿勢を戻し、査定所を出て行く彼女のあとを付いて行く。
「気合いを入れて行きましょうか」
査定所を出てすぐに楓は大きく背伸びをする。両手はジンジンと痛みを訴え、絶対零度領域で露出させていた肌もピリピリと日焼けに似た痛みを訴えるが、それも時間と共に解消されるのならば苦では無い。
「そういえば、葵さんの場合は外套がそういう形になるんですね」
氷塊の中で葵と透を守るように広がっていた水色の外套は、既に氷像の狼が身に纏っている。どうやって中から取り出し、身に纏わせたのかまでは分からないが、とにかく形として有るのだから、この現象は受け入れるしかない。
楓がケッパーから受け継いだ外套は袖を通すものだったが、氷像の狼が纏っている外套は、フード付きだが袖の無い外套だ。言うなればマントや雨合羽に近い。それが狼のサイズまで縮小されて、犬の服のようになっている。見ているとなにやら愛くるしさが出て来て、撫で回したくなってしまうが、ヒトツメであることと、相手が葵であることを踏まえると、そう易々と撫で繰り回すことはできない。
「さぁ、目指すは首都。遅れを取り戻すために、急ぎ足で行きますよ。途中で野垂れ死にすることがないよう、安全面には気を遣って行きますが!」
楓は意気揚々と言い放ち、歩き出す。氷像の獣は小さく鳴いて、一歩ずつ進み始める。その足元は一瞬だけ凍り、化獣の足が地面から離れるとまた溶けて元に戻る。そんな変質を繰り返しながら、足跡は作られて行く。
そんな氷像の狼を眺めながら、楓は思う。
白銀 葵は人として歩んで来た道のりを、これから先は化獣としての足跡を残して生きて行くことになる。けれど、進んだ距離は決して、人だろうと化獣だろうと違わないのだと。
一人の化け者と一匹の化獣は、仲間のためにひたすら歩を進める。




