【-隣町へ-】
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「ポイントAからZに本部より通達。そちらの反応はどうか?」
女は耳元に手を当てて、ブツブツと独白する。
「…………現状、残っているポイント、報告せよ」
更に独白を続け、その後、奇声を上げつつ空を見上げた。
「残ってんのがGとPだけってなんなのよ! あー、ほんとムカつくー。あり得ないあり得ないあり得ないー。死ねー、マジで死ねー。死んじまえー!!」
唐突に浜の砂を蹴り飛ばし、続いて近場にあった石ころを拾い上げると乱暴に腐り果てた海へと放り投げた。
「あーサイアクー。サイアクも最悪! GとPも死んだーなんなのよーどれだけ苦労してると思ってんのよー」
納得の行く成果が得られなかったのか、女は更に狂ったように浜辺で暴れ回る。
いつまでもこんなところに居たって仕方が無い。さっさと次の狩り場に行くべきだ。女は苛立ちながらそんな風に考えるも、しかしながら浅瀬に乗り上げている客船型戦艦を一瞥したのち、唸り声を上げて、ダランッと脱力する。
特に義理は無い。助けてもらった恩義なんてものは存在しない。それでも、そこに“それ”が居るかも知れない以上、ここから立ち去ることが出来ない。
だが、任されてしまったのだ。自身が立ち寄り、その折に潰れた町の住人の一人に、託されてしまった。
別にその住人に助けてもらったわけではない。その住人が好きだったわけでもない。その住人に生きていて欲しかったわけでもない。無い無い尽くしにも関わらず、ここに残らなければならない理由が“ある”。
「ほんっと、最悪」
呟き、次に女はボロの水色の外套を翻しながら振り返る。
「まーた出た。まー良いや、良い暇潰し……っていうか、この苛々をぶつける良い相手かしら」
フラフラと歩き、浜から道路へと乗り上げて、その群れの中に女は身を投じる。
「今日は一段と機嫌が悪いからねー。ちゃんと殺す気で掛かって来なきゃ…………あー御免。私が殺されるわけ無いんだわ。あんたたちみたいな雑魚に殺されるとか、無いわー。いや、ほんと、無いわー」
ブツブツと独白を続けながら女は狂乱に塗れた表情を浮かべる。
待つ時間も、報告される時間も大嫌いだ。だが、この時間ばかりは嫌いではない。体を動かしている間は生きている実感が味わえる。
『人で無し』ながらに、生きていると、思えるのだから。
*
「旅って、もっと準備するものだと私は思ってたよ……」
雅は歩きつつ、愚痴を零す。
それもこれも、病院で完成した義眼を嵌め込み終えたあとのディルが急ぎ足で支度をして、次の日の朝に雅と葵を置いて出て行こうとしていたからだ。眠気眼でそれを目の当たりにし、慌てて葵を起こして、碌な準備もしないままに家を出てしまった。
前日、葵とのやり取りのあとに水は全て査定所に預けたのだが、それ以外の準備はまるでできていない。いつも通り、いやレイクハンター討伐時に切り詰めるだけ切り詰めた道具の数々は所持している。
自身の得物である短剣は左右の腰に一本ずつ鞘に収めて携えて、更にウエストポーチには『穢れた水』とその蒸気をいざというときに防ぐためのゴーグルとマスクなどの小道具を入れている。そして、この世の全てとも言うべきお金の入った財布はスラックスのポケットに。命綱である水筒が一本で足りるのかどうかは怪しいのだが、葵が居るのだから最低限度の水を得ることは難しくないはずだ。そして、彼女も葵と似たような装備で身を包んでいる。
異なるのは雅のように水筒を持参せず、また手袋が指貫グローブであるということ。また、ふくよかな胸に恵まれている葵はやや胸元に余裕のある服を着ている。かと言って見えるように露出しているわけではない。それが逆に雅との胸囲の差を分かりやすくしてしまっている。
しかし、胸にコンプレックスを抱いていることをここに居る誰にも悟られては行けない。特にディルには「胸無し」と言われたこともあるため、より一層の注意が必要である。そして、あのとき、激昂してしまったことを思い出して雅は恥じた。
「旅だぁ? ウスノロが住んでいた町は歩いて行ける距離だろうがよ。旅ってのはもっと果てしなく遠いところを目指して歩くことを言うんだよ。今じゃ、移動手段は足か海路ぐらいしかねぇからな」
そう、葵の住んでいた町は歩いて行ける距離にある。しかし、それは逆に言えば海魔によって潰された町がほぼ隣接している状態にあるということでもある。だから、雅が住んでいる町は討伐者の数も多かったのだ。単に姫崎 岬が全ての元凶だったというわけでもない。当然の如く起こり得る事象――まさに自然の摂理そのものだ。
「……飛行機は?」
「空を飛んでいる海魔に撃墜されたいなら乗るんだな。大陸の方じゃ、一応はまだ飛んでいるらしいが、それは下に陸地があるからだからな」
どうやら空路も駄目なようだ。確かに空で海魔の襲撃を受ければ、まず助からない。なにせ気圧が違う上に外に出られない。ついでに穴でも空けられれば機内との気圧差で乗っている人は外に吸い出されてしまう。
「ワタシは乗ってみたい」
「ポンコツは乗せるわけには行かねぇな。色々な意味で」
それには雅も葵も賛成だった。
「で、ウスノロ。分かんねぇことがある。テメェはなんで生きているんだ? 査定所送りになったのが三年前なのか? テメェとそこのクソガキは大して年齢が違わないように見えるんだが、そうだとしても海魔に襲われた町でテメェが生きて逃げ出すことができたなんて想像もできやしねぇんだが」
葵の言葉を信じるならば、三年前から彼女は査定所で働いていたことになる。その前は高校生だった。それが全て三年前ということならば、雅が同い年だと思っていた葵は単純計算で三歳ほど年上ということになる。これでは友人であっても、敬語口調を続けなければならないのではないかと雅は少々、不安になってしまう。ディルは問題外として、目上の人と話すことはあっても、同い年で敬語を遣わずに済む相手が居ないからだ。
「高校は、雅さんの住んでいらっしゃる町に通っていました」
「じゃぁ葵さんが言っていた、クラスメイトって……中学時代の?」
高校に進学したことを話していたので、クラスメイトの話はてっきり高校時代のものだと勘違いしてしまった。
「はい。それで、その……中学一年生の頃――海魔に襲われたそのとき、その町に居なかったんです。たまたま、町の外に出ていたんです。いわゆる買い出し…………じゃ、ありませんね。使いっぱしりってやつです。それもとんでもなく無茶な要求で、中学校を抜け出して雅さんの住んでいる町まで全力疾走して、それでも絶対に間に合わないような無茶だったんですけど、そのたまたま中学校から抜け出していたときに、海魔が襲って来たんです」
「……じゃぁ、なにか? ウスノロが顔見知りだとか言っているクラスメイトは、テメェ自身を蔑んで苦しめていた奴らのことなのか?」
葵は小さく肯いた。
「そんなのは自業自得だと思わねぇか、なぁウスノロ。テメェを苦しめていた奴らは死んでねぇのかそれとも死んだのか、それすらも分からねぇがまぁ、半分生きて半分死んでいるようなもんじゃねぇか。ざまぁみろとは思わないのか? なんで救いを求めるんだ? 俺には分かんねぇなぁ、本当に。テメェの慈善が、俺には分かんねぇ」
ディルは雅には『偽善』と言ったのに対して葵には『慈善』と言った。それはきっと、葵の心が雅ほど廃れていないと見抜いているからだ。清らかとまでは言いがたいが、まだ薄汚れていない。雅のように、善を引っ張り出して自分の行いを正当化しようとする意思が葵からは感じられないからだ。悔しく、悲しいことだが、雅も葵の行いは『慈善』以外には思えなかった。
「顔見知り、ですし。そんな風に思ったこと、無いんです」
「見知った相手だからなんて気持ちは、俺には理解し切れない感情だな。人見知りで臆病なウスノロのクセに、出来もしねぇ『慈善』に思いを馳せるなんて、そんなことはさっさと辞めちまえよ」
葵はなにも答えなかった。心の葛藤かなにかがあったのかも知れないが、表情からそれを窺い知ることはできなかった。
「町が襲われたあとは、私の居る町の中学と高校に?」
「……はい。そちらに使いっぱしりで走らされたこともあって、戻れなくなってしまったので」
海魔が襲われた町を通り抜けて、雅の暮らしている町とは逆にあるまた別の町に行くことはできそうになかったのだろう。海魔を猛獣に喩えれば、数百と蔓延っている町の中を安全に、且つ怪我もせずに通り抜けるのはほぼ不可能だ。ついでに猛獣と違って、海魔には銃の類があまり通用しない。そもそも、その手のものは『上層部』の管轄になっており、ましてや日本では入手することすら難しい。
どうであれ、これで葵が雅とほぼ同い年であることは分かった。それだけで満足しておいた方が良いのだろうと雅は思い、これ以上の詮索をやめることにした。
「で、テメェの町を襲った海魔はなんなんだ?」
雅とは違い、ディルは塵一つとして葵の気持ちを汲んではいなかったのだが。
「シーマウスです」




