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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-第十部-】
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【-甘やかすつもりはどこにもない-】

「化獣になった葵さん? 色々言いたいことがあるんですけど、良いですか?」

 楓は短剣を構えたまま、ありとあらゆる感情を顔から消し去る。

「あなたの身の上話なんてどーでも良くて、なによりあなたが自分自身を『道化』とのたまうことすら下らない。あなたは、どうして欲しいんですか? 共感して欲しいんですか? 化獣めと罵って欲しいんですか? まぁ、あなたの希望なんてどっちであっても叶える気なんて無いんですが」

 そして言い切る。

「人を殺したことも無いような人生で、なぁにをグダグダと、つまんないことを考えちゃっているんですか? あなたの人生なんて、私の人生に比べたら百倍はマシなんですよ。そう、捨てられた寂しさも、一人で生き抜く恐怖も、傷を舐め合う日々も、なにも、これっぽっちも、一つも経験していないあなたの言葉は私には届きません。感情が無い、『道化』、そんなのはどうだって良い。冷酷無比なあなたであっても私には関係が無い。自分自身を曝け出すことが化獣だと言うのなら、一体この世界ではどれくらいの人間が化獣になっているんでしょうか。だから、その面倒臭い冷酷無比な自分を受け入れて、『慈善』と『道化』を混じり合わせて、さっさとこんな自分だけ絶対に安全なところに引きこもるのはやめてください」

 分かってもらえない苦しみか、氷像の狼は唸る。しかし、なにを分かれと言うのかと楓は逆に問い掛けたい。


 葵の抱えている心の奥にある澱み、穢れは楓にしてみればどれもこれも陳腐な物なのだ。


 同情するほどに悲痛な人生を歩んでいない。


 動物を殺した苦しみを共感しろと言われても、強盗をした時の取っ組み合いで人を殺してしまった苦しみを未だ抱き続けている楓には共感し難い。人も動物も、命を奪うという行為は同じだとのたまうのならば、現在でも僅かではあっても家畜の肉に有り付けているありがたみを今一度、理解するべきなのだ。犬の命を軽んじてはいない。助けられるならば助けるべきであったし、助けられないならばそれは仕方が無いことだった。

 なにより、葵自身が助けることを諦めたのだ。イジメに近いものに遭っていたとは言え、逆らい続けることはできた。自身の命を賭してでも仔犬を守ろうという強い意思があったならば、きっと仔犬の目を潰すというおかしな行為に走ることもなかった。


 人生における苦しみは、いつだって自分の誤った選択や言動から起こる。それは誰にだってあることで、共感するべきことじゃない。誰もが背負い、誰もが担いで、引き摺って、そしていつまでも胸に留まらせて自戒する。そういったものに共感もなにもありはしない。


「過去の自分と向き合ってください。それが生きるということです」

 取り戻せないものにいつまでも縋り続けてはならない。過去にはいつだって突き放されるもの。未来は追い縋っても届かないもの。だからこそ現実を直視して歩み続ける。


 それが嫌だと言うのなら――

 それはただのワガママだ。


 氷像の狼は交渉決裂とでも言いたそうに大きく吠えたのち、氷塊の上から飛び退いてジグザグに疾走する。楓も金属の短剣を握り締めたまま、距離を保ちながらジグザグに走る。

 速度は狼が勝る。しかし、その速度に呆気に取られていてはいつまでも攻勢には出られない。どれだけの速度があったとしても、いつかは走る楓を捉えて接近する。その接近は同時に、楓の攻撃範囲に氷像の狼が入るということでもある。


 右斜め前方。やや盛り上がった氷の地面を跳ねて、上空から体を捻りながら大きな大きな氷の爪を振り下ろして来る。楓は地面への変質を中断させ、銀盤となった地面を滑りながら金属の短剣を三節棍に変質させ、一本に繋げて氷爪を受け止め、そして前方に跳ね除ける。

 斬撃、剣戟の部類が氷に通るかどうかはよく分からない。一点を突くのならば、恐らくはそちらの方が向いている。しかし、三節棍による打撃の方が、固い薄いを通り越して、氷像の狼の全体を振動させることができる。氷同士の結合が緩めば、砕ける、或いは決壊という形で化獣へ攻撃が通っている証拠となるだろう。

 前へと跳ね除けた氷像の狼が体勢を整える前に根を三つに割り、一番端を持って、鎖で繋がっている二本の棍を激しく振り回しながら、遠心力を交えさせて走りながら地面に叩き付けるように大きく振り下ろす。


 地面の氷は割れたが、氷像の狼は避けている。素早く二節を引き戻し、クルクルと回しながら地面を何度も何度も鞭を扱うかのように打つ。これは氷像の狼をこちらの体勢が整うまでの間、少しでも近付かせないためだ。いわゆる威嚇であるが、通用しているかどうかは定かでは無い。

 なにせ、この氷像の狼は人智を越えた動きをする。視界に収めていたはずなのに、そのあまりの速さと吹雪に混じってしまってすぐに見失ってしまった。


「後ろっ?!」

 瞬間的に危険を察知して振り返りながら横に跳ねた楓に、氷像の狼はヒトツメをゆっくりと見開く。空間すらも凍結させる、視線と言う名の光線。凍結した空間とそして先ほどまで自身が居た場所を眺めながら、楓は苦笑いを浮かべる。

 最初にこの光線を放ったとき、氷像の狼は右足を狙った。しかし、今の光線は楓の全身を凍て付かせるために放たれたものだ。つまり、葵は力の限りを持って、楓を凍て付かせ、氷と化して殺そうとしている。


 楓の言葉に触発されて、不安定な感情が爆発し、人殺しをしてはならないというストッパーが彼女の意思から外れたのだ。

 銀盤の上を華麗に滑りながら、ブレーキを掛けるようにして一定の位置で足元を金属に変質させて止まる。


「距離を取るのはまずいでしょうか」

 しかし、もう距離を取ってしまった。案の定、氷像の狼は吹雪に溶けて疾走し、楓の視界から消えてしまった。来た道を引き返すように楓はまた駆け出して、先ほど氷像の狼が空間を凍結させたことで出来た氷塊を三節棍で叩き折り、隙間を通り抜けて翻る。崩れる氷塊、舞い上がる氷の結晶。その先で、閉じられていた氷像の狼の瞼が再び見開かれる。

 左に飛び退く。光線が空間を凍結させ、崩れ行くはずの氷塊すら巻き込んで、中空に十字の氷塊が生じる。


 直感的に、これをそのままにしておいてはならないと楓は思い、三節棍を短弓へと変質させる。そして矢は――

「ここに、有る!」

 強く言葉を紡ぎ、同時に右手が空気から変質を終えた鉄の矢を握る。素早く弦に乗せて、十字の氷塊の中心部目掛けて射る。

 空気を裂くように氷塊の中心部を貫いた鉄の矢の衝撃に――たったそれだけの衝撃によって氷塊が脆く、崩れて行く。


 氷像の狼の吠える。


 砕け散り、地面に落ちて形を失った物を除いた、氷塊の残骸が全て中空で氷弾となって、その先端を鋭利な物へと変質させたのち、氷像の狼が再度吠えたところで一挙に楓へと射出される。

 砕いたことは間違いではない。砕いていなければ氷像の狼の咆哮一つで、十字の氷塊は無数の礫に切り替わり、現状よりもはるかに絶望的な量の氷弾となっていた。

 かと言って、これらを全て弾くことはできそうにない。弓は短剣へと戻したが、それでも氷弾の速度と数に圧倒されてしまう。


 本気で来るのなら、本気でぶつからなきゃ駄目ですか。


 楓は目を据わらせ、全身から電撃を放出する。

「コネクト!」

 そう叫び、剣身が鉄粉となって弾け、更に楓を中心に銀盤が10メートルほどの円状の鉄板へと一挙に変質し、直後、舞い上がった複数の鉄花弁が前方を縦横無尽に駆け巡り、全ての氷弾を止めるだけでなく、鋭く回転することで粉々に砕き切った。

「これを使わずにあなたを説得する。そう決めていましたが、それも私のワガママだったみたいです。あなたが全身全霊で殺しに掛かるのなら、私は全身全霊をもってそれを防がなければならない。だから、これからの私が全力の私です。あなたが“化獣”だと言うのなら、私だってきっと“化け者”です。それでも、この力で人に仇名す生命を討つことができるのなら、堂々とその汚名を、異名を受け入れます」

 人と人が争っている場合ではない。化獣と化け者もまた争っている場合ではない。両者にとって損にしかならないことをこのまま続けるよりも、両者にとって得になることをやった方が良い。それは、海魔を討伐すること。世界を壊そうとしている海魔を討ち、とにかく生き残る。海魔を討ったあとにどのような罵詈雑言が浴びせられるかは分からない。それでも、生き残って生き残って生き残って、そして化獣と化け者として死ぬ。それがきっと、穏やかな最期であると思うから。


 氷像の狼が唸り声を上げる。尾が七本に分かたれ、扇子のように開かれると鋭利な氷弾を七つ、一挙に撃ち放つ。楓は動かず、鉄花弁がそれら全てを弾き、砕く。

 更に狼は唸る。開かれた七つの尾は大きく大きく肥大化し、それら全てが楓を四方八方から刺し貫こうと弧を描きながら奔る。

 今までの氷弾はそれほどの威力を有してはいなかった。しかし、この高速で空間を突き抜けて来る氷の尾は、鉄花弁では防げないほどの威力を持っている。展開した鉄板の上から少しでもはみ出せば、楓の『雷』と『金』が合わさった“極致”の力は半減してしまう。それだけではなく、氷像の狼は鉄板の上に乗ろうとはしない。わざわざ敵の有利な地形に入り込もうという気が無いのだ。こうして遠距離から、強引に鉄板から銀盤へと引き摺り出そうとしている。


 楓の周囲一帯を砂鉄が舞う。

「コネクト」

 砂鉄が電撃と重なり、磁力を持って繋がると一時的な蛇腹剣となり、楓が力強く柄を振るった直後、うねりながら砂鉄の剣身は楓の周囲を駆け巡り、押し寄せる七本の尾を受け止める。

 いや、絡め取った。電流と砂鉄が織り成す蛇腹剣には僅かな隙間が生じる。それは楓が意図しても砂鉄の展開範囲によって生じる剣身の無い死角とも言うべきところだ。七本の尾はそれを的確に通過しようと奔り抜けて来た。


 しかし、その僅かな隙間に尾が入った瞬間、展開していた砂鉄を一挙に集結させることで、それらは鉄へと変貌し、受け止めた。それが七本の尾全てに起こった。その局所的な収束と伸縮により、七本の尾は鉄の輪から抜けなくなった。七本の尾は全て、砂鉄と電撃が織り成す中空に出来上がった穴にはまったのだ。


「砕いて逃げても良いはずですが、それが出来ないということは」

 楓は目を見開く。

「それほど仔犬を傷付けたことを後悔しているということですか!?」

 電撃が弾けながら宙に浮く鉄の輪に振動が奔る。捉えていた七本の尾を一気に切り落とす。氷像の狼が悲鳴のような雄叫びを上げ、続いて口元を開く。瞬間、楓は鉄板上からの離脱を已む得なく行い、鉄花弁が地面に落ちて砂鉄と化し、それらは彼女の手元の柄に収束すると元の短剣へと形態を戻す。


 楓が変質させた鉄板全体が猛烈な吹雪に見舞われる。氷像の狼から吐き出される吐息(ブレス)はドラゴニュートを彷彿とさせるほどに強力であり、変質させたはずの鉄板は瞬く間に氷漬けにされ、銀盤へと変貌する。氷像の狼が吐いた吹雪によって引き起こした温度差によって発生した霧は更に濃くなり、もはや数メートル先すらも視認できない。太陽光が照らし出し、存在を誇張していた氷像の狼そのものも完全に見えなくなってしまった。それは、日の光すらも霧が遮ることで、楓と氷像の狼が繰り広げていた戦場に暗闇が落ちたことを意味する。


『動物を痛め付けることの苦しみが分からないなんて』

 氷の結晶が肌に触れると、葵の声が楓の体に響く。『音使い』の鳴は音波や音の反響を用いることで離れたところまで声を届かせることが出来ていたが、リコリスがそうであったように、吹雪による氷の結晶と水滴によって触れた者に対してのみ声が聞こえるようにしているようだ。

「愛玩動物を痛め付け、死なせたのはあなたでしょう?」

『そうすることでしかあたしはあたしで居ることができなかった!!』

「でも結局、そこであなたの精神は限界に達して、『水使い』になったんじゃないんですか? あたしがあたしで居られなくなった? その理屈だと、どっちに転んだって、あなたはあなたで居られない状態にあったんだと思いますが」


 真正面から氷像の狼が飛び掛かって来る。その速度、その脚力、そして重量に圧倒されて短剣で噛み付かれることだけは防ぐが、組み敷かれてしまう。

『こんなにも苦しいのなら、仔犬を傷付けない方が良かった!!』

「そう、ですか」

 氷の牙が今にも首に触れそうな極限状態の中で、楓は言葉を続ける。


「だったら、あなたは死にたいって言うんですか?!」

 目が見開きそうになった直前に、楓は氷像の狼の腹を蹴り抜いて、強引に上を向かせる。冷気の光線は上空を貫き、空間に氷の柱が築かれる。

「仔犬のために傷付いて、仔犬のために苦しんで――だったらその仔犬のために死んだら良かったんじゃないんですか!? なのにあなたは“生きること”を選んだんです!! その選択が、私たちを引き合わせることになった! その選択を私は間違いだとは言わせません。絶対に、絶対の絶対に、言わせない。雅さんとの出会いも、葵さんとの出会いも、誠さんとの出会いも、鳴さんとの出会いも!」


 氷の爪で地面を抉りながら狼は楓に奔る。周辺に電撃を放出し、狼の接近を拒む。


「あのやたらと怖い男の人との出会いも! 飄々としてわけの分からない女の人との出会いも! セクハラ発言しかしない二次元に生きる男との出会いも! 厳つくて近寄り辛い男の人との出会いも!! 優男過ぎて逆に怖い男の人との出会いも! 全部全部全部! 間違いなんかじゃ、ない!」

 地面を変質させている暇は無い。楓は短剣に電撃を纏わせ、走り出す。氷像の狼が電撃の威嚇範囲から飛び出て来た彼女にカウンターとばかりに半回転し、真下から真上へ氷の爪を振り上げた。


 その爪撃は楓の頬を掠めるが、しかし、楓の短剣は氷像の狼の腹部を刺し貫く。砕け散った氷像の狼の腹部から迸る氷の結晶が肌を打ち、狼の呻き声と葵の悲鳴が聴覚と脳内を駆け巡る。


「痛いですか?」

 言いながら楓は更に深く短剣を押し込む。

「この痛みは、あなたが弱かったせいで傷付けてしまった仔犬が感じた強い強い痛み! そしてあなたが、苦しみではなく仔犬を傷付けたときに感じなければならなかった心の痛み! それらを合わせてここで感じてください。そして、道化だろうと慈善だろうと関係無い。私たちと接したその時と変わらないあなたの生き様をもう一度、この世界のために見せ付けてください!!」


 指先が凍っているのかというほどに感覚が無い。防寒用の手袋をしているのに短剣の柄から伝わる冷たさが楓の両手を凍傷へと至らしめている。だが、力の限り押し込まなければ、ひょっとするとこの氷像の狼は光線や吐息ではない、まだなにか別の奥の手を繰り出して来るかも知れない。


 なにより、もう終わらせたい。


 過去に囚われている葵を解放したい。過去からずっと“喪失”し、“昇華”した際も暴走し切れなかった冷めたもう一人の自分を、受け入れてもらいたい。

 だからこそ今、葵は叫んでいるのだ。だからこそ氷像の狼もまた吠えているのだ。心の痛みを引き出さなければならない。無理やり塞いだ傷口をもう一度開き、膿を全て放出させなければならない。


 楓はここで一度も自身を慮るつもりはない。


 どれだけの迷惑を掛けただろうか。思い返せば返すほど、楓のワガママはどれもこれも雅や葵、誠や鳴を困らせるものばかりだったに違いない。

 こんな自分が暴走した時に必死に止めようとしてくれたみんなのためなら、楓はどれだけ傷付こうと構わない。この凍傷で、指の一本や二本が壊死しようとも、葵が元に戻ってくれるのならば、それで一向に構わない。

 だから楓は引き下がらない。もう戻らない。ただ進み続けるために、苦難苦行を乗り越えると誓ったのだ。


『嫌、嫌嫌嫌嫌!! 嫌!!』

「私も相当なワガママを言って来ましたが」

 短剣から電撃を流し込む。氷は半導体だが、通らないわけではない。

「葵さんのワガママを容認できるほど度量のある人間でも無いですし、大人でもありませんから!!」

 更に電撃を流し、ようやく氷像の狼は完全に動かなくなった。


 動かなくなり、そして楓の眼前で砕け散った。

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