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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-第十部-】
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【-万全の準備で-】


「厚着なんて私らしくないなぁ」

 季節としては秋。しかし絶対零度領域に乗り込もうとしている楓は外套の上に更に防寒着を身に纏い、更に軽量化されたヘッドランプを装着し、手袋も対海魔用ではなく、ミトンでは武器が持ちにくいため、それとは異なるものの防寒用手袋。ポーチは雅のようにワンショルダーバッグに一時的に変え、中には着替えや非常食、ランプとコンロを詰め込んである。戦闘時にはこのワンショルダーバッグは放り出す方向で考えているため、どれもこれも頑丈にできているものを採用した。防寒着の上から巻いた時計には方角も見れるコンパスも備わり、更に地図は濡れないように透明なビニールによる加工が施され、防寒着の左のポケットに折り畳まれて入れられている。ラミメート加工では折り畳めないため、この加工が選ばれた。あとは防寒着用のベルトに金属の短剣を収める鞘を取り付けられた。動きは鈍重になってしまうが、咄嗟の時にすぐさま抜くことができる。


 どれもこれも、男の配慮によって用意されたものである。それを素直に装備してしまう自分も自分であるのだが、これほどの用意がされていては無碍にもできない。


 そのため丈の短いスカートを脱いで、渋々、ズボンを着用することになった。ケッパーに強要されて来たスカートも自身を織り成す大事なアイデンティティであるため、これはどうにも落ち着かない。下着が見えないにも関わらず、落ち着かな過ぎて恥ずかしさを覚えるほどだ。

「僕のできる最大限の援助はここまでです。絶対零度領域内には、すみませんが戦闘経験が無い僕が入っても邪魔になるだけでしょう。だから、あなたが先ほど飲んだ水に細工をさせて頂きました」

「まさか」

「はい。僕はここで待機していますが絶対零度領域内で倒れ、また別の場所に放り出された際にすぐに救助に行けるよう、“居場所が分かるように変質させた水”を飲んで頂きました。リコリスさんの真似事で、しかもたった一人限定ですが」


 リコリスも似たようなことをして、残滓を日本全国の至る所に忍ばせていたらしいのだが、実は日本全国の至る所に居る人間の内部にも残滓を忍ばせていたらしい。そのどれもが、この男のように飲んだ相手の“居場所が分かるように変質が行われた水”によるもので、各地を訪れた際に水に関わるあらゆるところにこれを行っていたそうだ。楓は聞いていないが、リコリスの戦争の始まりを告げる命の叫びを、この男も体内から耳にしたらしい。


「こう、監視されている感じが好かないんですけど」

「リコリスさんのように聞き耳まで立てられません。ただ位置が分かるという程度です。あの人のそれは、僕たちのような変質と違うような気がしますし……というか、ちょっと聞き耳も立てられないか試したんですけど、どう頑張っても駄目でした」

 普通の『水使い』にはできないだろう。なにせリコリスは自分自身という『水』を相手に忍ばせる、或いは色々な地点に残滓として残すのだ。残したものが『水』だが、同時に自分自身。だから音を聞き取ることができた。視覚を持たないのは、水は音で波紋を描き、振動することで聞き取れるが、『見る』という行為は受動的な盗聴とは異なり、能動的な動きとなる。残滓として残している『水』はそれに適していなかった。楓の足りない頭でそう結論を出したが、イマイチ自信が無い――そして、あのリコリスだったならひょっとしたら盗み見ることさえできたんじゃないかという一種の憧れのようなものが混じっているからだろう。あの人ならやりかねない、あの人ならできたんじゃ、そんな彼女の異常性をよく知っているからこそ渦巻くやり切れない想いというやつだろう。

「それじゃ、行くとしますか」


「あの、榎木 楓さん?」

 言い辛そうに男は続ける。

「絶対零度領域を調査して欲しいというのは、確かに僕たち査定所からの依頼ですけど、無理なら無理と仰って下さっても良かったんですよ? なのに、痛い目を見たというのに再挑戦するなんて……なにか、理由でもあるんですか?」


「あなたは結婚する予定があるんですよね?」

「は、はい」

「絶対零度領域が広がれば、そこから逃げて来た海魔の数が増える。そう言っていたじゃないですか。それであなたが働いている街に海魔が大量に押し寄せて来て、私のことを認めてくれた人が悲しむような事態が起こってしまったら、責任の取りようがありません。それがまず二割。残り八割は私的な事情です。絶対零度領域の根幹で待っている人は、私の大切な仲間のはず。そして、その人はまずこのようなことを望んでやっているわけがないんです。いわゆる“喪失”で足りなかった“暴走”をここで起こしているだけなんです。だから止めたい。仲間として、絶対に止めたい」

「……分かりました。くれぐれも、ご無理はなさらずに」

「私がまたどこかに放り出されたら回収よろしくお願いします。一度目は右足の軽い凍傷で済ましてくれましたけど、二度目となるとひょっとするとどこかの部位を壊死させて来るぐらいの凍傷を負わせて来る可能性があるので」


 暴走は自分自身では止められない。止まった時には、なにもかもが手遅れになる。まだ人を殺しておらず、大きな凍傷すら負わせていないのは、葵の意思が一線を越えないように変質の力に抵抗しているためだ。けれど、変質の力がその意思を越えた場合、想像を絶する被害を周囲一帯にもたらすだろう。


 恐らく、最初の犠牲になるのはこれから二度目の挑戦をしようとしている楓だろう。そうならないためにも、甘えや迷いは捨て去らなければならない。銀世界の主が全力で襲い掛かって来るのなら、楓も全力で掛かる。


「殺す気で……とは言っても、相手は氷の塊ですから、壊してもキリが無いかも知れませんが、やるしかありませんよね」

 それでも、葵の暴走が止まるまで、根気良く続けるしかないのだ。

 楓は絶対零度領域に再び足を踏み入れる。体感温度が一気に下がる。防寒着の上に巻いている時計の気温計測機能はあっと言う間に零度を下回り、凍える寒さを伝える温度を示す。相変わらず、入ってすぐの著しい環境の変化である。山道を登った先の広場を目指す。距離にすればさほど無い。そして高所でも無い。しかし、雪山を登るのではなく氷山を登るような感覚である。なにせ踏み締めるものは雪ではなく、踏み締めればパリパリと氷は割れ、足を上げればパキパキとまた割れた氷は繋がって行く。つまり、これでは足跡すら残らない。だから、踏み締めるという行為に変質の力を加え、地面に変質させた鉄の足跡を残して行く。


 今まで変質は手を使わなければ行えなかった。しかし、“昇華”したおかげか、足で踏み締めた地面も鉄に変えられる。それが、あの幼竜を救う時に発現した自身の『雷』と合わさった変質の『極致』を用いるのに必要な条件としてあるからだろうか。


 いずれにせよ、コツは掴みつつある。空気の変質も、『雷』だけに留まらず『金』の変質が行えるようになりつつある。病室で鉄の短弓を鉄の短剣に戻していた際に、ついでに男に訊ねたのだ。「自分は咄嗟に空気を変質させて鉄の矢にしました。けれど、今、矢を作ろうと空気に触れていても全く、変質できる気がしません。どういうことでしょう?」と。


 男性曰く「空気を“物”として見ることができない限り変質はできません。咄嗟にできたのは、射るべき矢が無いことに気付いた榎木 楓さんはいわゆる“無い物ねだり”をしたんじゃないですか? 矢が“無い”から“有って欲しい”と虚空にねだった。すると、そこにあった空気をあなたは無意識の内に“物”として認識したんです。これからも空気は物体、或いは“触れられるもの”と思えば、少しずつ変質させられるようになるかも知れません。その再変質の原理は、僕には分かりませんが、“それ”ができて“これ”ができないなんて、そんな使い手も討伐者も多分、居ませんよ」


 雅は空気に『風』の力を付与している。葵は空気を凍結させて『氷』の爪を作る。誠は『光』から剣を生み出す。鳴は空間に『音』の壁を作る。けれど自分は鉄の短剣に『雷』を纏わせる程度――その程度しか空気への干渉をして来なかった。要するに『雷』で空気に変質を促すことはできても、『金』でそれを行えなかった。それは『雷』は空気に依存するものという認識があり、『金』は物体に触れなければならないという思い込みがあったため、なのだろうか。


 実際、空気への干渉するというのは難しい。あの二十年前の生き残りの中でもそれをやってのけていたのはリコリスとジギタリスくらいではないだろうか。ディルもやってやれなさそうな気もしないでもない。あの人は頭一つ抜けているくらいに狂っていた上に、おかしい変質の強みを持っていた。特に雅から聞かされた中には、融点や強度なども考慮して最適な金属へと変質させていたらしい。狂人の中にある恐るべき勤勉さだ。狂っていても海魔を討つためならば勉強を惜しまないという異常な執着心。


 ただ、それを見習うべきではないだろう。あの男が金属についての知識を頭に入れていたのは、あの男の戦い方に必要だったからだ。ならば楓も同じような戦い方をするかと言えば別となる。楓はケッパーから渡された金属の短剣を主軸に戦う。足場作りにも最近は『金』の変質を用いるようにもなった。しかし、融点や強度にまで拘りを持たない。

 と言うよりも、どれだけ変質を促したところで、その変質させた金属はきっと、楓が武器として扱っている短剣と同じ性質となる。なにせ楓は“これ以外の金属を考えて変質させたことがない”のだ。それでも足で干渉した時、地面に金属が作り出されるのは、楓の知っている範囲での金属に変質されているためとなる。


 そして、楓の持っている金属の短剣はちょっとやそっとでは折れないどころか欠けもしない。再変質は理由にならない。それを学ぶ前にも随分と乱暴な扱い方をしたが、一切の異常が出ることはなかったのだ。そして楓の足りない知識で再変質しても、必ず同じ硬度となり、同じ鋭さを持つ。今更ながらにケッパーはどこからこの金属を得て、短剣に加工してもらったのだろうか。さすがに薄気味悪さを覚える。それこそ『金使い』のエキスパートに用意してもらった金属を最高の鍛冶師によって加工してもらったとしか思えない。


「ケッパーにそんな人が居るとも思えないんですけどねー」

 まさか、と思う人物は居る。ケッパーのことを友人と言っていた男である。鍛冶師についても思い当たる人物が居る――というよりも思い当たる竜が居る。ただし、その竜については恐らく先代となる。

 狂い、壊れた男と狂い竜と言われたドラゴニュート。そんな危険な輩の手によって作られたのがこの金属の短剣だとするならば、今後、様々な不運が楓に降り掛かりそうである。更には“禍津神”に鍛え上げられた点も足して、多くの災難も舌舐めずりをして待っていそうだ。

「ま、良いんですけどねー、私はそんなんじゃ潰れたりしませんから」


 どれだけの困難が待ち受けようと、楓は折れない。天真爛漫で快活な少女の心はもう砕け散ることもない。“昇華”の果てに見たケッパーの優しさを知ったのだから。

 楓は絶対零度領域を進む。対策という対策は立てた。なので、一回目よりも気は楽だ。なにも知らないことよりも知ったことによる強みが出て来る。僅かに出ている肌が感じる寒さにも慣れた。あとは氷像の狼と対面したとき、上手く立ち回ることができるかどうかというところなのだが。

 これだけ進んでも氷像の狼は姿を現さない。視界もそれほど悪くない。吹雪くことが出現の前兆と捉えるのならば、まだ進んでも構わないところではあるが、これではまるで誘われているようだ。奥に奥に進むことを、むしろ向こう側が許している。葵という意思が楓になにかを伝えようとしている、というのは希望的観測過ぎるだろうか。

「……いいえ、希望的観測という言葉は不必要ですね」

 ここまで進んで、吹雪くどころか絶対零度領域は楓の侵入を拒んでいない。明らかに奥へ奥へと招いている。危険と見るか、それとも好機と捉えるかは人それぞれだが楓は躊躇わずにひたすら山道を進む。

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