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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-第十部-】
313/323

【-妖怪の類-】


「お願いしますよぉ! こんなこと、ケッパーさんの特訓を受けた榎木 楓さんにしか頼めないんですからぁ!」

「男気の欠片も無い台詞を叫ぶのやめてもらえませんか」

 首都を目指す途中で立ち寄った街の査定所で、年上のようで年上のようには見えない、ケッパーが二次元を語っていたところの「ショタ」のような風貌をした査定所の担当者が泣き付いて来て、楓は辟易していた。この街に寄ったのは食料調達と靴の買い替え、あとは水の確保だったため査定所に寄るのは必然だったのだが、同時に妙なことまで頼み込まれてしまいそうな状態にあり、非常に参っている。


 お願いします。

 嫌です。


 このやり取りをもう三十分はしている。そしてその三十分で、この年上ショタ男は未だに諦めない。諦めないどころか泣き落としに掛かろうとしている。

「私は首都を目指しているんです。早くみんなに追い付かなきゃ行けないんです。なのにどうして、寄り道をしている暇があるって言うんですか」


「だって、こんな不可思議な調査なんて、誰も引き受けないですし、なによりあの周辺でちょっと大きな討伐者と海魔の戦闘があったらしくて、誰も近寄ってくれないんです」


 年上なのに年下にしか見えない男性は、長すぎる袖で目に蓄えた涙を拭く。ケッパーに出会ってから長い間、男の生態というものについて沢山、観察して来たつもりではあるが、この男性だけは楓が作り上げたカテゴリーのどこにも含まれない。かと言って、男気が皆無なこの男性にときめくかと言われれば、一切、ときめかない。楓の理想はもっと別にある。だからこそ、鬱陶しいという気持ちが先に来る。


 年上で知的で、自身を子供扱いしない男性。それが楓の理想である。それと掛け離れたこの査定所の男性と、間違っても恋愛感情など抱くことは無いだろうと、楓は溜め息をつきながら思う。


 こんなことを考えてしまうのも、いわゆる生存本能のデメリットである。決戦が近付いていることもあり、更には女としての感情も湧いて出て来てしまったために、意識せずとも男の立ち振る舞いに目を向けるようになってしまった。昔の楓ならば、「鬱陶しい」などという感情など抱かず、「女々しい人」という感想だけで終わらせていたはずだ。その違いが、殊更、楓の感情を逆撫でする。


 しかし、このまま押し問答を繰り返していても埒が明かない。三十分続けた結果、この男性が折れるということは無いと分かったため、ここは楓が折れるしかないらしい。

 なにより、こんな不毛なやり取りをずっとし続ける方が、寄り道以上に時間を潰してしまっている気がしてならなかったからだ。


「分かりました、分かりましたよ。それで、不可思議な調査ってなんですか」

「やってくれるんですか!」

「顔を近付けるのやめてくれません? そういう人、大嫌いなので」

 この不可思議な調査を終わらせたら、二度とこの査定所には来るものか。そう固く決意をしつつ、男性を言葉の刃で下がらせる。

「すみません……情報を精査した書類はこちらになります」


 書類。


 その言葉だけで楓は立ち眩みを覚えそうだった。そういった読み物は出来ることなら目を向けたくない。頭の中が文字の羅列でパンクしそうになる。だから読書などしたことが無いし、書類等の文字の並んだ紙としっかりと向き合ったことすらない。それでも文字の読み書きが出来るのは、軽犯罪を重ねていた頃に覚えたためだ。相手の所有物がどのようなもので、どれだけの価値があるのか。そういったことを知るためには、どうしても文字が読めるようになる必要があり、そして人を騙すために文字を書けなければならなかった。


 負の学習遺産なのだが、それで読み書きができるようになったのだから、軽犯罪はともかく知識としては良かったのではないだろうか。そんなことを思いつつ、露骨に嫌そうな表情を浮かべながら楓は書類に並べられた文章を読んで行く。


「理解していただけましたか?」

「まだ読んでます!」

 黙ってくれないとどこまで読んだか分からなくなってしまう。なので大声で担当の男性を威圧する。ただでさえ読書をしないのだ。難しい文体を忌々しく思いながら、一行ずつゆっくりと確実に読み込んで行く。

 時間にして約十分。三枚程度しかない書類をようやく読み終わったあと、楓は目頭を二本の指で挟んで揉む。もう目が疲れてしまった。これ以上は読み物に関わりたくない。


「絶対零度領域の拡大に伴う海魔の棲息地の変動、でしたっけ? 具体的なことが書かれていなかったと思うので訊きますけど、絶対零度領域ってなんですか?」


「この先の山道をしばらく登った先に、昔の人が作った見晴らし台の跡地があるんです。もう建造物なんて微塵も残っていませんが、そこは山の中でも比較的広い平地となっているんです。そこに、いつからか絶対零度領域――どれだけ砕いても、どれだけ溶かしても瞬く間に大地を、植物を、森林を凍て付かせる領域が生じました。体感温度としては約マイナス5度程度と絶対零度の表すマイナス273.15度にははるかに及びませんが、砕いても溶かしても尚、範囲を広げ続ける謎の銀世界のことを私たちはそう呼ぶことにしたんです。そして、この凍て付いた空間をどうやら海魔は嫌っているらしく、潜んでいた海魔も、そうでない海魔も総じて移動を始めたんです。そのせいで、周辺に被害が及んでいるそうです。この街も例外ではありません。今のところ、討伐者の方々が防衛に回っているため、犠牲者は出ていないそうですが、日々、数が増えているそうですので、いつ防衛の限界点を突破されるか分かりません」

「その絶対零度領域の中に入った人は?」

「おりましたが、白銀の世界には一匹の海魔らしき生物が居座っているらしく、返り討ちに遭っています。殺されたり、喰われてはいませんが、負傷して撤退するばかりです。人数も一人、二人、五人、十人……この前は二十人ほどを回しましたが、全員が一匹の海魔らしき生物に手も足も出ず、負傷して戻って来ています。大怪我では無く、軽い怪我や凍傷に過ぎませんが、それでも撤退する理由を訊いてみれば『到底、太刀打ちできない』としか答えてくれませんし、『討てる気がしない』と仰る討伐者すら居るほどです。これ以上の討伐者を調査に当てると、街の防衛が怪しくなります。白銀の世界の主に、私たちは手も足も出ないのです」

「そんな危険な場所にたった一人で乗り込ませるあなたの思考は、おかしいと思いませんか?」

 二十人で太刀打ちできない白銀の世界の主に、たった一人で挑ませようとしているのだ。さすがの楓も不満を隠すことはできない上に、そんな危険な調査に行く気すら起きない。

「ケッパーさんに鍛えられた榎木 楓さんならなんとかなると思ったんですけど」


「どれだけ二十年前の生き残りに甘えていたんですか……」


「しょうがないじゃないですか! あれほど頼りになる五人も居ませんでしたよ?! 全員、頭がおかしい人ばかりでしたけど、不気味な調査については乗り気になる方々ばかりな上に、その問題を必ず解決して生きて帰って来るんですから! 私たちとしても頼らざるを得なかったんです!」

 今はそんなことも言えなくなってしまいましたけど、と虚しく担当の男性は呟いた。

「……はぁ、話し合いや文章を読むよりも、体を動かす方がまだマシなんですよね」

 溜め息をつきながら、楓は街で買った周辺の地図を取り出し、カウンターに置く。

「絶対零度領域はどの辺りまで範囲が拡大していますか? あと、中心点と思われる場所――見晴らし台跡地はどの辺りですか?」

「行ってくださるんですか!?」

「行くだけです。無理だと思ったら、ここに報告せずに先を急ぎます。解決できてもここには戻りません。要するに、一々、報告するために戻る時間が惜しいんです」

 楓はまたも深い溜め息をつく。早くみんなに会いたいという思いに反して、やらなければならないことが立ちはだかる。これを放り出したままでも良いのだが、討伐者として甚大な被害が出る前に処理しなければならない。討伐者になったその時から、人を守ろうという思いはある。だから、引き受けざるを得ない。

 担当の男性が赤ペンを取り出し、自身の手元にある書類と地図を交互に眺めながら、手早く絶対零度領域の境界線を引いて行く。そして最後に赤い丸を付けて、見晴らし台の位置を示す。

「白銀の世界の主についての情報はありますか?」


「狼、だそうです」

「狼ですか」

「ヒトツメの狼だそうです」

「……一つ目?」


「日本では一つ目小僧などの妖怪が有名でしょうか。とにかく、目が一つしかない狼なんです。隻眼というわけではなく、両目が置かれるべき顔の部位の中央に、目が一つ。それも普段は閉じているそうです。それに遭遇した途端、猛烈な吹雪に見舞われ、視界を遮られるだけでなく、手持ちの食料や水が全て凍て付くのだとか」


「へ、へぇ……」

 楓の額から冷や汗が伝う。


 海魔という化け物が跋扈(ばっこ)する世界において、昔話にしか出て来ない妖怪やお化けに怯えるのは自分だけだろう。現実に存在するモノと、現実に存在しないかも知れないモノ。どちらを怖れるかと言えば、楓は後者を選ぶ。海魔はまだ良い。姿形がどれだけ醜悪でも、この世に存在しているモノとして認識できる。しかし、妖怪やお化けの類は話にしか出て来ず、現実に居るかすらも分からないモノなのだ。無いかも知れない。しかし有るかも知れない。そんな二つの要素を兼ね備えた夢と現の境目にある妖怪を怯えるのは、年相応のことなのかも知れないが、討伐者としては失格なような気さえする。

「ちなみに、海魔としての名称は?」

「それが海魔らしくないという理由で、海魔としては登録していないのが現状です。他の海魔が絶対零度領域から逃げる点から見て、全く別の生物だと思っていただいた方がよろしいかと」

「そ、そうですか」

 まさか本当に妖怪やお化けの類ではないかと物怖じしてしまう。しかし、引き受けると決めた以上、もう引き下がることもできない。なんとなく、この男性に弱みを握られるのだけは御免である。

 楓は地図をポーチに戻し、査定所をあとにした。そう言えば、ダム近くの都市から出たら一先ずはポーチよりも容量の大きいバッグやリュックサックを購入しようかと考えていたが、なんだかんだでこのベルトに取り付けているポーチだけでなんとかなってしまっている。水筒ももっと大きな物に買い替えるつもりだったが、結局、このままである。


「軽い方が動きやすいから仕方が無いですよね」

 楓にとって、身動きが取りにくいことはなによりも辛いことなのだ。しかし、こんな軽装備ではいつかどこかで野垂れ死んでしまいそうだ。早急にこの問題も解決しなければならないだろう。


 仲間に――白銀 葵に会うことができれば、水不足は解消される。となると、当面の問題はやはり食料や衣服といったところだろうか。


 そんな風に別のことを考えて、妖怪やお化けといった類のことは考えないようにした。

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