【プロローグ 04】
「……借金でしょ、一々言わなくても分かってるわよ」
前回のレイクハンター騒動でディルは義眼を失った。変質した物を更に変質――いわゆる再変質と呼ばれる技だが、それはどんな使い手、討伐者も同様に難しいらしい。
なので、重くなく、そして軽くもなく、しっくりと来る素材と、それを作ることのできる職人に依頼することになる。変質の力を用いずに造られる物ならば、そこから変質への流れはスムーズに行く。ただし、当然のことながらオーダーメイドで割高になる。
それよりも気に掛かるのは、ボロの黒い外套である。
「あの時、千切ったよね? なんで再生するの?」
「ああん? テメェに教える義理はねぇな」
レイクハンター騒動で袖の部分を千切った。雅はそれを目撃している。しかし、今、ディルが身に付けている外套の袖はちゃんとある。しかし、ボロであるところは変わらない。綺麗には再生できないにしても、一体、どのような材料で縫われているのか気になって仕方が無い。
「再生するのは便利だとして、なんでそれを着ているの? 思い入れでもあるの?」
「……さぁな。あってもクソガキに教えるかよ」
ディルはふんぞり返りつつ、テーブルに両足を図々しく乗せつつ、天井を意味も無く眺めている。
この男はリィを理由にしているが、まだこの町から出たくないのかも知れない。
そんな疑惑を雅は持つ。この町は浜辺に面していて、決して暮らしやすいところではない。ほとんどの人々は山々へと居場所を移したが、故郷を捨てられない人たちがまだここでは暮らしている。こういった町は少なくない。だから査定所も浜辺の町に多く設けられていて、山奥にその数は少ないと聞く。そもそも、海魔が出やすい場所に討伐者が集まりやすいのだから浜辺の町に査定所が多いのは当然のことで、そしてこの町がどうにか無人化せずに残っているのも討伐者によって水と金銭の経済が回っているためである。おかげで一流と呼ばれる職人は――鍛冶に限らず、様々な職人は危険を承知の上で浜に近い町に多い。圧倒的に稼げるからだ。おかげでディルの義眼も目処が立った。
「義眼が出来上がり次第、この町を出る。そう決めた」
「おぅ、頑張れや」
「あなたも一緒に来るんでしょ!」
他人事のように言ったディルに思わずツッコミを入れ、それに雅はカァッと頬を赤くし、その様を見てディルがククククッと笑う。
「このままじゃいつまで経っても、のんびりしてそうだからよ。ここの海魔の数も相当数、減ったでしょ」
「浜から来るのはともかく、山側に潜んでいた海魔はほとんど殺したな。しばらくは山に潜もうとする海魔も減るんじゃねぇか? たった一日で起こった殺戮ショーの臭いが残るんだからなぁ」
その殺戮ショーを行ったのはディルである。他人事のように言っているのを見れば、雅に全く感化されていないのも丸分かりだ。この男がやり甲斐を挫きに来ているのも丸分かりだ。だから、そう簡単には雅も折れない。
「どこに行こうか、葵さん」
「ええと、その……恐縮なのですが、あたしが希望を出してもよろしいでしょうか?」
いつもはディルと雅のやり取りに慌てふためいたり、ニコニコと笑っていたりとするだけで滅多に話に入らない葵が、珍しく会話に入って来た。ディルが両足を下げ、姿勢を僅かに正した。どうやらディルもそれなりに驚いているらしい。
「すぐにとは言いませんけど、あたしの産まれた町、に行ってくださいませんか?」
「ウスノロの産まれた町だぁ?」
論外とでも言いたそうな――表情で言っているディルの声に葵はビクッと肩を震わせた。
「その……三年前に、海魔に潰された町、なんです。ただ……その、町の人はまだ生きているらしくて」
「町が海魔に潰されたのに、まだ町の人は生きているの?」
「はい。ほら、十年くらい前に戦艦が客船型に改修されたの、ご存知ですか?」
「あの海魔討伐の役にも立たないゴミになったやつか」
戦艦をゴミと言うのもどうだろうか。こうやって一々、ディルの発言に心の中でツッコミを入れていてはキリが無いと判断し、雅は葵の話の先を求める。
「そこに、町の人が移って、どうにか生き残っているんです。ただ、その客船型戦艦は燃料も無くて、座礁して動くこともままならないらしいので、町の人がこのままだと死んでしまうのも時間の問題、と言いますか……」
海魔を滅ぼすのに世界中の艦と名の付くものは海に出た。けれど、大海に潜む海魔にはこれらは全く歯が立たなかった。そのほとんどが大海に沈み、そして腐った海に投げ出された乗組員は死んで行った。こうしたことから、残された僅かばかりの戦艦は、人が住めるように改修が始まった。砲台や機銃は全て廃棄され、出来得る限りのスペースの確保、そして大規模な改修の果てに客船型と呼ばれる艦は出来たのだ。
戦闘に使えないのならせめて人を運ぶ、或いは住むことのできる艦にという意向で、エンジンも改良に改良が重ねられて海上に置いては驚くべき速さで進む。そこに討伐者が数十人乗り込むことで、大海に現れる海魔からの襲撃を阻止して逃げ切る。人を運ぶのだから、このときは討伐は対象外となる。そもそも、大海において討伐者は不利なのだ。そんなところで討伐などできるわけもない。
恐らくは葵の町に漂着することになった客船型戦艦も、その内の一つに違いない。そして、もう役目を果たすことのできない艦であることも、彼女の話から分かる。
「町を襲われて、なんでまた袋小路な戦艦に逃げ込むかねぇ。二度と外に出られねぇだろ。どうやって生き残ってんだ?」
興味を持ったらしいディルが葵に訊ねる。
「一部の『水使い』が中に。あとは、町を取り戻すためにとやって来た討伐者が、それを遂行できずに艦に逃げ込んで、どうにか……一応、使い手が居るだけで、水は確保できます。食料は艦内で『土使い』と『木使い』が栽培しているらしいです」
「『土使い』も『木使い』も使いようだな。種から野菜に木までってところか。牙を抜かれた狼かよ。現実逃避も甚だしいだろ。なにゴミん中で暢気に暮らしてんだよ。頭おかしいんじゃねぇのそいつら」
ここに居ない者にまで罵声を浴びせるディルだったが、葵は神妙な面持ちを崩さない。
「どうか、町を復興させて欲しいとまでは言いません。ただ、艦に残っている町の人たちを、助けてはくれませんか?」
「はっ、助けるだぁ? 俺がそいつらを助けて、なにか利益があんのか? 水も金も全て俺の物になるのか? 教えろよ、ウスノロ。この俺に――このイカれた俺に、“なに”が、できるんだ?」
「……あそこには知り合いも、居るんです。ディルさんなら、きっと救えるはずなんです。水やお金が欲しいなら、あたしの通帳と保管してもらっている水を全部、出しますから」
「残念ながら、俺は助ける救う云々の感情を持ち合わせていなくてな」
「嘘つき」
雅が耐え切れず、ディルに向かって言い放つ。
「その客船型戦艦に逃げ込んでいる状況は、海魔に襲われているから起こっている。だったら、それはディルの言う、『海魔に襲われている人だけ助ける』に含まれるじゃない」
ディルは舌打ちをし、続いて「あーあっ」と呆れ返ったような声を漏らす。
「全てを投げ打ってでも救いたい。そんなもんがこの世に存在すんのか…………生憎、その手のものは過去に置いて来てんだよ。分かんねぇな……分かんねぇ」
しばしディルはリィを見つめる。何故、見つめられているのか分からないらしく、彼女は首を可愛らしく横に傾げるだけだった。
「分かんねぇが、そこのクソガキが物は言いようで、どうにか俺を突き動かそうとしている態度に心底ムカつくが、ウスノロがそれほどまでに俺の力を、どうしても、どーしても、どうしても、求めているんなら仕方がねぇ」
「本当ですか?」
「すっげぇ行きたくねぇが、リィが行きたいなら行ってやる」
ディルは再び、そして葵も加わってリィを見つめる。
「ワタシは、行きたいところに行くの。葵お姉ちゃんが行きたいところは、ワタシの行きたいところなのかな? 分からないけど、ディルが行きたくないところに行くのは、結構好き」
「最悪だな、このポンコツ」
今日一番の強い舌打ちをして、ディルは立ち上がると、そのまま外へと出て行ってしまった。
「承諾してくれた、と考えてよろしいのでしょうか?」
「良いよ。だってディルはワタシのお願いを絶対に聞いてくれるもん」
リィは小さくはにかんだのち、トトトトッと駆けて、ディルのあとを追い掛けて行った。
「けれど、どうして今になって産まれた町のことを?」
ディルが居なくなったので、葵も話しやすいだろうと踏み、雅は訊ねる。
未だ敬語を用いて話してはいるが、雅も葵も一応ながら友人と認識している。あとは過程の問題で、徐々に余所余所しさは無くなって行くだろう。
「生まれ育った町、ですし」
「それ以外にもなにかありそうな気がしたんですけれど」
「……雅さんは、中学を卒業してから討伐者になられたんですよね?」
「ええ」
「あたしは、その、高校に進学したんです。でも、中学は義務教育で水も食料も出して貰えていましたけど、高校は……」
葵は少しだけ、言いにくいのか黙ってしまった。
「中学までは一般人と使い手を纏めて教育をさせる。けれど、高校と大学は入試という名目で若者を隔離。その中から使い手を見つけ次第、引き抜く。残りの一般人はそのまま、重労働行き、ですよね」
それがこの腐った世界での『教育』である。驚くことに、査定所を訪れなければ一般人はこのことに気付かない。秘匿され、隔離され、そして重労働が課されるのだ。
「クラスメイト……と呼べるほどではありませんが、あたしの知り合いが、居るんです」
生きることに必死になりすぎた雅には、中学時代の友人ことを、ぼんやりとしか思い出すことすらできない。どうやら記憶は、勉強したことは頭に入れて、それ以外の人間関係は必要に値しないと判断してキッパリと切り捨てたのだろう。
「もしかして好きな人とか居たんですか?」
「そんなわけないじゃないですか」
勘繰りは外れになった。葵の返答がいつもよりも早い上に、雅と同じく表情に出やすい彼女が全く動揺の色を見せていないのだから、間違いなくよけいな詮索だった。
「なんだか、すみません」
「良いんです。そういうの、ちょっと憧れていた時期もありましたし……良いですよね、恋愛って。あたしには縁遠いものですけど」
「私もです」
一瞬だけ葵は「え?」という顔をしたが、すぐにそれを感情の裏側に隠した。
「危険なところに行かせる友人は、最低でしょうか」
「そんなことありませんよ。友人の力になれるなら、危ないところにだって行きますよ」
とは言いつつも、あまりにも危険な場所であるなら雅も承諾できなかっただろう。
やはりディルが行くから、という要因が強い。あの男が行くのなら、当分は死に目に遭うことは無いだろう。そんなしたたかさから来る発言でもあった。
「ディルさんが一緒ですものね」
「へ……っえ?」
「雅さん、ちょっとだけディルさんを慕ってますもんね」
ほんの少し、小さじ一杯程度ですけれど、と付け足しつつ葵は両手を重ねつつ、笑顔を作る。
どういう意味かしばし分からず、思考を停止させていた雅だったが、徐々にその頬も耳朶も赤くなって行く。
「別にそんなんじゃないんですけど!」
どこをどうすれば慕えると言うのだろうか。雅はそんな思いを込めて、力強く言い放つ。
性格は悪い、頭はイカれている。顔も海魔との戦いで、お世辞にも整っているとは言いがたい。そんなどこにも良いところがない男のどこに、慕う要素があるのかと、雅は視線で葵に訴え掛ける。
ただ、その小さじ一杯程度ほど慕っているということに対して、言い返すことはできなかった。恋慕については全否定することができたものの、自らのどこかに、本当に慕うという感情があるのなら、恐らく間違いなく今、ディルにそれは向けられている。それは事実だ。事実だからこそ、色々と理由を付けて否定したくなる。あんな男にこんな、他者を敬慕するという初々しい感情を奪われたのだと考えるだけで腹立たしいからだ。
「えーでも、雅さんってディルさんと話しているとき楽しそうじゃないですか」
「だから私、マゾヒストじゃないんですけど」
言い争っている中、ディルは常に罵声を雅に浴びせている。それに対して楽しそうにしていては、雅は罵られることが快感であるかのような、そういった人種に自分がなってしまったのではないかと嘆いてしまう。断じて、マゾヒストではないのだ。そう自身に言い聞かせて、葵に否定を続ける。
「私は、あの男が居れば当分は生きていられると思った。ただそれだけなんです!」
葵はフフフッと笑いながら「そうですね」と答えた。
本当に伝わっているかどうかは、分からなかった。




