【-雅のように観察して-】
「十匹か、多いな。でもこの数なら討つのはそれほど難しくない」
「二十だ。九匹はナーガ、空に十匹。これはマッドブレイヴ。命を捨てた突撃にさえ気を付ければ、対空措置は必要無い」
誠は悠里の数に異を唱えつつ、更に一点を見つめる。
「ただ一匹――一体か? 海魔でも人間でもない“モノ”が混ざっている。あれが十九匹の海魔を統率している。人間に海魔の血を注入して造り出された人魔。なんの海魔の血が入れられているか判別できるまで、真正面から戦うのは無茶だ」
「人魔? 初めて聞いたぞ」
「僕も見るのは二度目だよ」
一体の人魔を誠はジッと見つめ続ける。
「やッと、見つケた……わタシの、故郷ゥウウウウ」
唸るように発せられた言葉が、味方の戦意を削いでいる。恐らくここに、人語を話す海魔が訪れたことは無いに違いない。むしろ、それほど高度な海魔が訪れていたなら、ここは既に滅んでいる。
あのナスタチウムが用意した『変成岩』という変質し続ける物体から発せられるのは強者の討伐者の気配だ。それもずっと変質を続けているのだから、討伐者が何人も居るように偽装できる。だから人語を話すほど高度な海魔は避け、一部の下等級の海魔がその気配を認識できずに訪れていたに違いない。
だが、今回ばかりは話が別だ。
あの人魔は、この町を「故郷」と呼んだ。即ち、ここから外へと出て行った者の成れの果てだ。ならば、この町がどういった理屈で守られているかも把握している。たとえ脳が海魔の精神に侵されていようと、記憶を海魔の精神が漁り、見つけ出す。結果、一般人だけの町にこれだけの海魔が集まる結果となった。
「この町から出て行った者はどれくらい居るんだ?」
「外の世界を見たいという理由で、数十人は居る」
「あの人魔の姿に――人として残っている部分に見覚えは? 死んだ人間は人魔の実験の対象外だ。だから、君の言っていた大切な人じゃないことだけは断言する」
僅かばかり、そこに意識が向いていたためか悠里は誠の言葉を聞いて、小さく息を零した。大切な人の死体が冒涜されていないことが、なによりも彼にとっては安心できることだったのだ。
「無い」
そして悠里はいつも通りの顔に戻り、一言で返して来た。
「故郷と呼ぶなら人魔一人でやって来てもらいたかったところだけど、海魔にも群れを成して行動する習性がある。人魔の相手は僕がする。君は空からのマッドブレイヴによる特攻に気を配るように言って、ナーガの対処を。場合によっては僕もナーガの始末に加わる」
「海魔が来た途端、人が変わったように指示を出して来るんだな」
「でなきゃ、甚大な被害が出そうだからね。討伐者としてはまだまだ未熟者だけど、外の世界で生きて来た経験から物は言わせてもらうよ。農作業をしていたおかげで体も良い感じに温まっている。このまま僕は行くよ。僕の傍には誰にも来させないで、誰も死なせたくない」
人魔に流れる海魔の血がどういった類の習性を持ったものであるかを読み取るまでは、迂闊に近付けない。
しかし、一般人が『変成岩』の恩恵を受けたからと言って、意気揚々と周囲の海魔を狩ることも時間が掛かるに違いない。だとすれば、相手の手の内が全く分からない状態であっても人魔を止める役割を担うのは、誠にしかできない。面倒事を選ぶなんて、実に自分らしくないと思いつつ、作り上げてしまった「討伐者としての自分」を形ではなく本物として示す場としては相応しい。
相応しいけど、下手を打って死ぬかも知れないけど。
なにが起こるか分からないのが海魔との戦いだ。死闘にもなり得るというのに、相手がまさかの人魔である。死線を潜り抜けるのは間違いない。
「僕は壁の外で戦うよ。君は通常通り、二枚構成の壁の一枚を越えさせたところで対応。そこならマッドブレイヴも狙いにくいかも知れないから」
とは言っても、あのマッドブレイヴはなにも考えずに特攻して来るから、どんなに狭いところでも突っ込んで来る可能性は否めない。なんにせよ、ここで誠が悠里に指示を出している時間が惜しい。
石造りの壁の頂上から、もう一つ向こうの石造りの壁へと跳躍して飛び移り、ややその高さに怯えつつも地上へと飛び降りる。
「グレアム」
自然と口からドラゴニュートの名が零れ落ちていた。そして、それが引き金となったのか、誠の全身から光が迸り、真下に輝きを放つと、それが地上とのクッションとなり、無傷で着地を終える。
「……今のは、スルトを殴り飛ばしたときの力に、似ていた、な」
内側にはグレアムの力がある。そして誠の『光』の力と混ざり、スルトを殴り飛ばせるだけの力へと“昇華”した。そう考えるのが妥当であるが、まだ感覚を掴めない。今の着地も、月光の鎧を纏うだけで済んでいた。掴んでもいない力を追い求めるのは実戦ではやってはならないだろう。
「はぁ、やだなぁ」
九匹のナーガが誠を睨んでいる。等級は二等級。半人半蛇の海魔。ドラゴニュートのように人の姿と竜の姿を持ち合わせているわけでもなく、そして戦闘に対する本能は持っていても、人語を会得していない。ドラゴニュートからは「蛇」と罵られる彼の者だが、選定の街撤退戦においてはナスタチウムに任せっ放しだった。
「ほんっと、雅には助けてもらっているって感じだよ」
しかし、習性を知らないわけではない。選定の街撤退戦後において、雅はナスタチウムからナーガの習性について訊ねていた。そしてディルから借り受けていた手帳に書かれていた情報とも照会していた。それを『下層部』施設で過ごしている間に、聞かされたことがある。なにも起こっていなかった、楓との手合わせの毎日の中にあった平和な日常の中で、次のことを必死になって考えていたのはひょっとすると雅だけだったかも知れない。
「爪での攻撃、蛇のように這いずりながら動く。上半身は人型だけれど、下半身と同じく鱗を持つ。カメレオンのように体色を変えて肌色に見せているだけ。視力は低いが、発達した耳が音を聞き取って獲物の場所を感知する。ガラガラ蛇のように威嚇時、尻尾の先で音を鳴らす。同時にこの音が仲間との合図ともなっている。爪による攻撃だけでなく、尻尾で巻き付き、得物を絞め殺す場合もあり、その時は周囲の同胞と動きを合わせる傾向がある。場合によって噛み付くこともあるが、毒は無い。ただし、海魔に噛まれることが人体にどれほど害であるかは重々、理解すること」
これを全部、雅は頭に叩き込んでいるんだから凄まじい。ナーガを見て、その習性について言葉に出来たのはたまたま聞いていたからである。これで全く知らない海魔であったなら、誠は未知の人魔と海魔に囲まれて戦うことになっていた。
自身で言ったことに最大限の注意を払いつつ、既にナーガが尻尾の先で音を鳴らしていることから、誠を獲物と断定し、威嚇では無く九匹によって捕食しようとしていることが窺える。
「あんまり、海魔と遊んでいる暇は無いんだよ」
問題なのはその奥に居る人魔である。誠がこの包囲網をどう突破しようかと思案していると、石造りの壁の上から、『変成岩』の恩恵を受けた矢が数十ほど降り注ぐ。さすがに誠を狙わないように射るということはできなかったらしいので、ナーガと同じように回避する。ただし、ナーガはその体躯によって、幾本かの矢を受けずにはいられない。ただの矢であればこれは鱗を貫くことも無かったが、変質付与によって、ナーガの体に矢は刺さっている。
尻尾が奏でる音が変わった。標坂 鳴ならばこの音がなんの合図か読み取れたのだろう。しかし誠には動きからでしか読み解くことはできない。九匹の内、六匹が石造りの壁へと向かって行った。どうやら自身に害を成す存在が他にも居る――獲物がまだ複数居ると感知したらしく、手分けして捕食しに行くといったところだろうか。
「数的有利を常に取っているつもりなんだろうけど、あまりにも人間をナメすぎだよ」
右手に太陽光から作り出した剣を手にする。剣礼はしない。こんな海魔たちには、礼儀など見せるつもりがない。
ナーガの一匹に飛び掛かる。口から鋭い牙と蛇のような舌を見せながら、思った以上の速度で地面を這いずり距離を詰めて来る。そして爪の一撃。陽光の剣で受け止めたが、切り落とすことはできなさそうだ。それほどこの爪には硬度がある。その鋭さに僅かでも気を許せば、体には致命傷となる大きな五本の爪痕が刻まれるだろう。
それでも悠里に学ばせてもらった打撃格闘術による付かず離れずに間合い取りを完璧にこなし、ちょこまかとナーガを翻弄する。体格差は歴然であり、一撃で仕留められる気配も無い。『竜眼』に頼って鱗の薄い面を見極めても良いが、ここは自分自身の力だけで攻め切りたい。命のやり取りをしているというのに、随分と欲深いことを考えながら、しかし、ナーガ一匹に全くの遅れを取らずに上半身と下半身を繋いでいる腹部を陽光の剣で薙ぐように斬る。
「ここじゃないか」
しかし手応えは無く、ナーガには傷一つ付けられなかった。お返しとばかりに爪撃をお見舞いされるが、陽光の剣で受け止める。爪でそのまま押し飛ばされた。着地するも、勢いを殺すだけで地面を大きく滑りながら後退することとなってしまった。
それに合わせるように、後ろから別のナーガが襲い掛かって来る。音で合図を取っているため、この攻撃はあまりにもタイミングが噛み合い過ぎている。
易々と受けるわけにも行かない。無理して体を捻り、陽光の剣で爪撃を受けるが、もう一方の腕から振るわれる爪撃は受け切れない。
「殺せたと思った?」
しかし、誠は爪撃を受けてもビクともしない。全身に身に纏っている陽光の鎧が斬撃、剣戟、切断といった攻撃を防いでくれる。一撃目を陽光の剣で受けていたため、逆から来る爪撃を受けても体が吹き飛ぶことも無かった。若干ながら、無理な体勢で喰らったため骨が軋んでしまったが、死ぬよりはマシだろう。
見るからに動きが鈍ったナーガの爪を弾き、後ろに引いて溜めた陽光の剣で彼の者の胸部中央を刺し貫く。今度は鱗に弾かれることはなかった。
「ここが君たちの急所か」
人間と等しく、海魔も心臓は左寄りにある。だが、このナーガが左胸を容易く切り裂かせてくれるとは考えにくい。鱗を厚くして、剣戟など通らないだろう。それを読んで、右胸を狙っても良かったが、角度によっては心臓に至る可能性もある右胸もまた、鱗で固めているに違いない。だから、その中央を狙った。ナーガの胸骨を貫けたのは、刺突を溜めて繰り出したためだ。これは正拳突きの動作を取り込んだおかげだ。打撃格闘術の動きを剣術に、剣術の動きを打撃格闘術に取り込む。元々、誠の戦いはどちらかというと受け手――相手の攻撃をいなして、或いは受け流してから切り返すことが多かった。しかし、受動的な行動から能動的な行動へも切り替えることができるようになったことで、大幅に戦法に広がりが生まれた。だからこそ、複数の海魔を前にしても、自信を失わずに済む。
「あと二匹」
すかさず次の標的に向かって誠は走る。ナーガが尾で彼を叩き付けようとするが、跳躍してこの高速の一撃を避ける。ボクシングのスタイルを取っていた訓練は常に眼前を拳や飛び交い、相手の体が上下左右に揺れる。それを経験したことで、反射神経だけでなく動体視力も増している。




