【-襲来する-】
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誠が悠里と手合わせをして三日が経過した。相変わらず、変質の力を使わない訓練では悠里には敵わないが、少しずつだが打撃格闘術のコツを掴めているような気にはなれている。
「高みを目指そうとすればするほど、逆に遠ざかっているような……」
呟きながら、誠は畑を鍬で耕す。今日は警備隊の仕事が無いため、町中をブラブラと歩き、そしていつものツェルトでゆっくりと過ごそうとしていたら、美優と悠里に促されるままに畑仕事をやらされている。当然、悠里は『土使い』の力は使わず、誠と同じく鍬を振るっている。
「農業は私たちの生命線よ? 文句を言っていないで、腕を動かす」
しかしながら、農作業というのは訓練や手合わせ以上に体への負担が大きく感じる。体を動かすという意味では同じではあるが、使う筋肉の場所が異なったり、ずっと同じ体勢で居るというのが、なかなかに苦しい。鍬を振るうだけでも腕に疲れが蓄積されて行く。それでも鉄の剣を振り回していた分、筋力は僅かながら付いているためどうにかなっているが、あと三十分もこれを続けていたら誰よりも早く誠は根を上げてしまうだろう。
「足りない人員は町の人が協力して補う。そうやってこの町は出来ている。外は、違うのか?」
「外じゃ役割分担がしっかりと出来上がっているよ。そのせいで特権階級も出来ている。生きにくいかも知れないが、場合によっては生きやすい。ほんと、難しい世界だよ」
使い手であれば生き残れる。『水使い』や『土使い』、『木使い』は特権階級。ただその力を持っているというだけで、無理せず安全なところで平穏無事に生きていられる。しかし、それ以外の力であれば、討伐者になるか或いは使い手として他の職に就くかに迫られる。誠の場合、使い手であっても“異端者”と呼ばれる五行ではなく摂理に属する力を持つため、討伐者になるしかなかった。
しかし、そういった変質の力に目覚めることのできない人たちは、媚びを売り、ゴマを擦って、肩身の狭い思いをしながら生きるしかない。そして、そんなことすら身に付ける前の身寄りのない子供たちは、ほんの一握りしか大人にはなれない。大人になる前に飢餓や喉の渇きで死ぬか、海魔に殺されるか、或いは大人の玩具にされて捨てられて死ぬか。無論、使い手の元で生まれ育ったならば、そんなことは起こらない。一部の、孤児や遺児がそうなる。誠もまた、そうだった。気付けば遺児となり、そして乞食になっていた。ナスタチウムに拾われなければ、どんな風に生活していたか想像すらできない。
「ならこの町で生きるのは簡単か?」
「……いいや、どこでだって生きるのは難しいと思うよ」
簡単に生きられるなら、ここまで大変な思いをする必要は無いはずだ。使い手の居ない一般人だけの町においても、生きるために協力し合っている。それが難しくないわけがない。反りの合わない相手だって居るだろう。それでも、特定の家族や個人を蔑むことも無く、嫌いな相手であっても手を取り合っている。こういった人間関係だって難しいものだ。
だから、ここであっても外であっても、生きることは難しい。
難しいからこそ、簡単に命を手放してはならないのだ。
鍬を置いて、腰を叩き、天を仰いて首を回す。そうやって疲れを解していると、町の各所に用意されていた見張り台の一つからけたたましい警鐘が鳴り響く。
「なんだ?」
「海魔が出た」
悠里が鍬を放り投げる。
「さっさと付いて来い」
「私も用意しないと」
畑仕事を農家の人に任せ、誠は言われるがままに悠里たちのあとを追い掛ける。途中で美優と別れたが、彼女は医療従事者であるため、前線に出ることがないからだろう。そのまま悠里を追い掛け、詰所に着くと警備隊のほとんどが集結し、各々が武器を片手に準備を始めている。
「ただの武器じゃ海魔には対抗できないはずじゃ」
ここに来て一番の謎であった、海魔への対抗策。それがただ武器を持っての対応となると、多くの死人が出る。
「『変成岩』がある」
「『変成岩』?」
既存の岩石が変成作用を受けたものを指す言葉だが、どうやら悠里の言う“それ”とは別物らしい。
「変質をし続けている岩がある。俺たちは武器の刃をそれに当てて、変質の力を借りる。ナスタチウムがこの町の防衛のために用意してくれた特大の岩だ」
来い、と言われたので詰所の地下深くまで行くと、そこには超重量級の岩が一つ、安置されている。驚くことにこの岩は“変質を続けている”。ただの岩から赤い岩へ、赤い岩から青い岩へ、青い岩から苔むした岩へ。まるで七色のように変質を遂げればまた変質を繰り返すその岩に警備隊の人々は自身が持つ剣や槍の刃と穂先を当て、恩恵を受けている。
「変質付与……楓が鉄の短剣に電撃を纏わせているのと、同じ原理か」
あの電撃は鉄の短剣を変質させていない。実際には鉄の短剣の周囲を取り巻く空気を変質させることで帯電を可能としているのだが、ほぼ同じ原理だろう。
そしてこの『変成岩』の原理はまさしく、誠がナスタチウムから教わった技術の粋そのものなのだ。だからこれは間違いなく、あの男がこの町のために用意した海魔への対抗策である。
誠がナスタチウムから教わったことは“変質させ続けること”だ。しかし、この岩のように自身の変質を幾つもの種類に変えて行くのではなく、変質させ続けることでその変質の力を、“相手の変質に干渉する”方法である。ナスタチウムの岩の拳がスルトの拳に対抗できたのも、スルトの拳に纏わり付いていた溶鉄を自身の岩として変質させ、ただの拳と拳の打ち合いへと持って行かせたところにある。
変質させた物を更に変質させる再変質。それはとても高度なことであり、楓のような一部の才能の塊のような討伐者にしかできない。だが、これには高度な再変質は求めなくて良い。言葉通りの“力任せ”。相手の変質に自身の変質させ続ける力を押し付けるのだ。
だから誠の拳は悠里の岩を光の粒へと散らし、具足もまた同じように光の粒へと変えた。ただそれでも、スルトを殴り飛ばしたときのような一撃には程遠い。あの時は、『光』ではない別の力が作用していたような気がしてならない。そしてそれは確かに誠の中にあるはずなのに、未だ振るうことさえ敵わずに居る。
「僕は討伐者だから、このままで問題無い」
「そうか」
悠里は『土使い』であることを隠し通すために、『変成岩』の恩恵を受けに行っている。その間に誠は詰所の一階に戻り、そこにあった手袋を嵌めて、農作業の間、捲っていた長袖を手首まで戻す。
「間に合った!」
詰所から出たところで、息を荒くしながらやって来た美優に声を掛けられる。
「なにを持って、」
「これ……ちゃんと使わないと、ナスタチウムさんに悪いでしょ?」
美優が持っていたのは薄黄色の外套だった。誠が野宿するために使っているツェルトの中にある荷物からわざわざ引っ張り出して、ここまで持って来たらしい。それも恐らく、別れてから思い出し、一旦引き返したに違いない。
「これに袖を通すのは、まだ、」
「そんなことを言って死んじゃったらどうするの! 使える物は使わなきゃ! この世界はそういう風に出来ているんでしょ!?」
ああ、そうだった。
誠は思い出したかのように肯き、薄黄色の外套を受け取り、それに袖を通す。大男に合わせて仕立てられた外套はブカブカであったが、誠が着ると音も無く静かに彼の背丈や腕の長さに合わせた大きさとなる。『竜眼』を持っている以上、誠がこの竜の恩恵を持っている外套を着れば、即座に認められるのは当然のことだが、それでも今まで敢えて身に付けて来なかったのは、あの男に対する畏敬の念が邪魔していたからだろうか。あの大男の外套のままにしておきたいと考えていたのも、ただのワガママだったのかも知れない。なにより、『竜眼』を持っているから竜の加護を易々と受けられるなどという甘さに、自ら身を投じるのが嫌だった。
ただ、この外套に袖を通せば分かる。竜の加護や恩恵、そういったもの以上に、所有者として認められるべき器かどうかが試されたということが。『竜眼』だからではなく、誠がこの外套を身に付けるに値する討伐者だから、竜の加護が働いたのだ。
「私は町で待っていることしかできないけど、悠里もあなたも死なないでよ!?」
あとからやって来た悠里にも合わせて、美優は鼓舞をする。
「俺を後付けすれば、こいつの好感度が上がったかも知れないのに」
「だーかーら! そんなんじゃないの! そんなんじゃないの! そんなんじゃないの!」
さすがの誠も、どうやら美優は本気で自分に好意を寄せているんだろうなと分からされる。が、その好意には素直に甘えられない。何故なら、異性とは甘くそして厳しい人格の持ち主だとここまで来る旅の途中で散々なほど分からされているからだ。明日になったら美優の態度が急変しているかも知れない。そういった異性の喜怒哀楽、感情というものに誠は疎く、軽く手を出すことも話を振ることさえできない。
チキン――臆病者と罵られていた頃が酷く懐かしいが、この異性への対応もまさにそうなのかも知れない。
緊張が少しだけ解けた。悠里と誠は美優の見送りに小さく手を振りつつ、警備隊と共に石造りの壁の頂上に続く階段を上がる。上がった先で、海魔の数を見る前に先に頂上に登っていた警備隊の人々が口々に悲鳴のような声を発している。阿鼻叫喚とまでは行かないが、そこに勇ましさや覚悟といったものは一つとして見当たらない。




