【-外套の重み-】
立ち上がり、体の汚れを払う。茨は右手首に再び巻き付き、棘が皮膚を貫く。その痛み以外に、特段、どこかの骨にヒビが入ったようには感じられない。炎弾も至近距離から浴びせられたが、火傷はしているものの痕にはならなそうだ。自身は決して顔の造形を気にする質ではないが、女の子の意識として、顔面に炎弾を受けなくて良かったと思いつつ、三人の討伐者を視界に収めつつ、構え直す。
続いて、変質の力を体内で膨張させる。
楓の全身の体毛が逆立ち、彼女を中心に電撃が迸る。三人の討伐者が足を止め、髪を静電気で揺らす楓の異常な様子に動けずに居る。
「ドラゴニュートさん、動けるなら離れてください。私の力だと、ひょっとすると巻き込みかねません」
幼竜は楓の言葉の意図をすぐに察したのか、それとも海魔の中に眠る動物的な本能からか、幼い翼を広げて羽ばたかせ、大きく後方へと退いた。それでも里に戻るだけの力はまだ戻っていないためか、黒い幼竜は闇夜の中でもまだ見える位置に居る。だが、距離としては十分に取ってくれた。
「“本物”のケッパー……本物のケッパーですか。この世に、ケッパーと名乗れる――名乗れた男はただ一人、私の知る最低最悪にして最高の人物しか、居ないんですが?」
鋭く楓は三人の討伐者を睨む。
「あなたにケッパーの名を継ぐ資格はありません。何故ならケッパーは、この私に一度として人を殺すことを許しはせず、そして自ら人を殺すような行為を認めるような言動をしたことはありませんから!!」
地面を強く踏み締め、やはり楓を中心として変質が行われ、金属の床が円状に展開される。
強さに驕らない。弱さに恥じない。強者には程遠い。弱者を笑ったことはない。過去に怯え、後ろを振り向くことはある。苦しみと悲しみを背負っている。擦り切れるほどまだ引き摺れていない。嫌がられたことも拒まれたこともない。
けれど、楓はこの名と共にこれからも生きて行く。ケッパーの言葉を胸に、生きて行く。
きっと、怖れていた。変質の力を用いることを。
それを使えば、また自分は自分で居られなくなるのではないかと、怯えていた。金属の短剣は変質しなかったのではなく、自分自身が変質させようとしていなかった。この短剣にあの時のことを重ね合わせ、トラウマとなっていた。
楓の右手首に巻き付く茨は、今、彼女に強く巻き付き、その棘を肉に強く喰い込ませている。それは普段、巻き付いている状態には感じることのないものだ。まるで、人格をこの痛みによって留め置くかのような、鋭い痛みに楓は、震え上がる。
初めて会ったあの日から、右手首に刺された薔薇の種。蒼い薔薇が咲き、その香りが己を眠りに誘った。そして花が散ったのちは、茨として楓の元に残っている。
つまり、会った時からケッパーは楓に心血の全てを注いでいたのだ。
見捨てられていたわけではない。ケッパーはただ、楓が人格を壊さないように、死なないように、残りの人生を掛けていたのだ。
「だから私はケッパーの遺志を継いで、あなたたちを殺しはしません。ケッパーに感謝してください。ケッパーと出会わなかった頃の私だったなら、間違いなくこの力で、殺しに走ったはずですから!」
蓄電が終わったことを伝えるかのように静電気で揺れていた髪先が首回りに張り付いた。
「コネクト」
金属の短剣の剣身が、砂鉄のように散る。続いて金属の床を踏み締めていた足からの変質を受けて、鉄花弁が楓を守るように浮遊する。金属の床を砂鉄を集めて黒い電撃となり、重たい速度で三人の男たちへと進撃を開始する。
「ビビるな! ガキ一人をぶっ潰せば良いだけだ!」
黒い電撃を三人は避け、各々が持つ剣を握り直して楓に差し迫る。しかし、逃げ場のない三人による攻撃も、楓の反応速度の前では遅い。一撃、二撃、三撃と避け切り、狙いを定めた一人に右手を伸ばす。剣身が散ったおかげで、片手が自由に動かせる。右手首に巻かれていた茨は蠢き、対象を捕らえると未だ進撃を続ける黒い電撃の行く先に目掛けて放り投げる。砂鉄混じりの黒い電撃を男は浴びると絶叫と共に失神した。決して殺してはいない。楓には茨の感触で分かる。
そもそも電撃は対象に迸るとそれ相応のダメージを与える。しかし、海魔によっては絶縁体の皮膚を持つ場合がある。しかし、電気に吸い寄せられた砂鉄によって成される黒い電撃はその速さこそ鈍重であるが、対象に纏わり付き、常に電撃を浴び続けることとなる。体の中を駆け抜ける、或いは皮膚の外を奔り抜けるのではなく、放電もされず持続する。更には砂鉄が電気を帯びることで磁力を帯び、金属の床に相手を張り付ける。電撃を寄せ付けない絶縁体の皮膚を持つ海魔でも、この磁力の重みには耐えられないだろう。
最初に昏倒させたのが『火使い』であったのは、楓の女の子としての本能が火傷が痕として残ることを嫌ったためだろうか。なにせ三人の討伐者は楓になにが起こったか分からず、まるで動けていなかったのだ。誰を最初に狙うかの選択は楓にあった。そこで『火使い』を本能的に選んだのだから、恐らくはそうなのだろう。
「私が怖ろしいですか?」
問い掛けるが、二人の討伐者は答えない。代わりに『土使い』の男が雄叫びを上げながら突撃して来る。それを楓は軽々とかわし、軽い足取りで距離を取ると剣身の無くなった柄を振るう。鉄花弁と砂鉄が電撃で連結され、蛇腹剣となって『土使い』の男を刃で囲う。
「でも、こんな私よりも怖ろしい海魔が居る。ケッパーを殺した海魔が居る。こんな私に敵わないのに、ドラゴニュートの子供を討つことが強さの証明になるとでも、本気で思っていたんですか?」
柄を真下に振るう。とぐろを巻くように蛇腹剣が男を中心に収束し、次の瞬間、力強く弾けた。男は全身に切り傷を受け、更には鉄花弁と砂鉄が帯びていた電撃を浴び、意識を失っていた。剣戟そのものに力は用いていない。失血死するほど深く切り刻んでもいない。この男も、決して殺してはいない。
「討伐者が討伐者を攻撃して、良いのかよ?」
「先に私に仕掛けて来たのはあなたたちの方ですよ?」
問いに対して、問いで返す。
「けれど、確かにこれは不意討ちですね」
呟き、楓は変質を解く。静電気を帯びて、うなじから首に掛けて張り付いていた髪先は離れ、鉄花弁も金属の床に落ち、砂鉄も柄に収束して剣身へと戻る。
「だから、ケッパーを騙るあなたには力の一つも使わずに、その外套を返してもらいます」
「随分と舐めたことを言うじゃねぇか」
「そうでもしないと、ケッパーは私を認めてくれないと思いますから」
きっとケッパーは言うだろう。『こんな取るに足らない討伐者如きに力を使うなんて、君は鬼畜だねぇ。いつからドSになったんだか』と。そして、あの引き笑いをしてみせるのだ。
胸の中にある憧憬に馬鹿にされるくらいなら、褒められたい。だから、この『木使い』の討伐者に力は用いない。自分自身の体術、剣術の限りを尽くして、強さを証明する。
「おいおい、これでも俺は十年は討伐者をやってんだぜ? 十年、生き残って来たんだぜ? なのに、テメェみたいなガキに手加減されるなんて、信じらんねぇ……調和の取れない相手なら、殺しても仕方がねぇよなぁ!!」
黄緑色の外套を翻しながら、男が剣を携えて疾走する。その先で待ち構えていた楓が短剣で受け止める。右、左、そして突き。そのどれもが洗練された動きで繰り出され、思っていた以上の重みが乗った剣戟の数々を防いで行く。しかし、攻勢に出られない。
討伐者を十年続けているということは、十年、生き残って来たということである。海魔との戦いで挫けず、折れず、そして殺されることなく戦い続け、必死に生き足掻いて来たということだ。
「十年も討伐者を続けていたにも関わらず、どうしてケッパーの名前を騙るんですか?!」
剣戟の応酬を凌ぎつつ、楓は問う。
「名声が欲しいからだよ!」
重い一撃に、引き下がざるを得ない。しかし、それを阻むように男が土から変質させた木の根が後方に回る。
右手首の茨を伸ばし、木の根に引っ掛けて跳ね上がり、宙返りをして着地し、木の根に絡め取られることなく後退を完了させる。
「十年生きて来た! 十年、討伐者をやって来た! なのに俺の名はちっとも噂にならねぇ! なるのはいつだって“死神”、“疫病神”、“禍津神”、“戦神”、“現人神”ばかりだ! 納得が行かねぇ! 俺だって、そいつらと同等の力を持っているはずだ! だから、奪ってやった! この黄緑色の外套さえあれば、俺はいつだって讃えられる!」
「“禍津神”の名声が、そんなに欲しいものだとは思えませんけれど」
飛び越えた木の根を切り払って、男が肉迫する。短剣と剣を何度も何度もぶつけ、そして木の根を茨で弾く。飛び跳ねながら、軽快に、俊敏に、そして素早く動き回り、男の十年の経験を少しずつ楓の力量が埋めて行く。
繊細且つ大胆に。そして、目と目が交錯したと同時に、短剣と剣が激突し、火花を散らすと金属音も高らかに鳴り響く。
「ケッパーなんざ、異名に乗っかって、女でも侍らせていたんだろ!? だから、どうせ大したことのねぇ海魔で死んだんだろうよ!」
「その言葉、撤回してください」
怒りが込み上げて来る。感情に溺れそうになるが、楓はそれを己自身の感覚と動きに変える。俊敏さは更に磨きを上げ、短剣の一振りは剣の一撃に相当するほどに強くなる。
「撤回する気が無いのなら、これ以上、私を怒らせないでください」
「怒らせたらどうなるってんだ?!」
右に振られた剣を紙一重でかわし、懐に入る。しかし、すぐさま剣が折り返して戻って来る。首を切り落とさんばかりの速度で接近しつつある中で、楓は男の股間を蹴り飛ばす。ケッパー曰く『自分以外の男にセクハラや喧嘩を売られたときはこれが一番だ。でも、僕には使わないでね。ただでさえ使い物になっていないモノが、更に使い物にならなくなっちゃうから』。
その言葉は正しかったらしく、途端に鋭く首を狙っていた剣の軌道は乱れ、更には男の動きにすら乱れが起きた。身を屈ませ、もはや勢いを失った剣を避け切ると、楓は次に男の軸足を蹴飛ばし、転ばせた。男が身悶えている間に楓は相手の腹部を片足で踏み付けながら屈み、剣先を男の股間ギリギリに近付けさせる。
「怒らせたら、こうなります」
男の象徴をズボンの上から今にも一突きにしてしまいそうな体勢を見て、男は青褪めた。
「私を娼館に売り飛ばす、みたいな話をしていましたよね?」
「あ、あれは冗談だ。冗談に決まっているだろうが!」
「へぇ、冗談だったんですか」
楓はクスッと笑う。
「セクハラ発言としては、なかなかの台詞だったと思ったんですが、撤回してしまうんですか。情けないですね。私の知っているケッパーは一度だって、自分のセクハラ発言の非を認めることはありませんでしたよ?」
それはそれで壊れているが、しかしそれに慣れてしまっているため、男の言葉の軽さが、同時にその器の小ささを推し量る結果となった。
無論、こんな男の汚い象徴をこの短剣で一突きにするわけは無く、右手首の茨が蠢いて、男の首を絞める。
「十年、生きて来たって言ってましたね」
絞殺せず昏倒で終わらせようとする茨の絞め付けに意識を集中させながら呟く。
「ケッパーを騙りたいなら、あと十数年足りません。あの男は二十年前に生き残り、それより数年前も討伐者として活動していたはずですから……あなたの十年は、ケッパーの足元にも及びません」
なので、と付け足す。
「十数年後にまた会いましょう。その時、黄緑色の外套を私から取り返してみてください。恐らく、そんなことはさせませんが」
その言葉を聞き終えたのち、男が白目を剥き、泡を吹いて意識を失った。茨は楓の右手首に戻る。金属の短剣を鞘に収め、倒れた男から黄緑色の外套を剥ぎ取り、自身が羽織る。
ああ、重い。
外套は軽いが、今、この時に楓の肩に乗ったのはケッパーの人生である。あの男の人生の分だけ、この外套と共に生き続けなければならない。
自分はこの外套を羽織るに足る人物だろうか。それは、楓には分からない。けれど、きっと先ほど昏倒させた男よりもマシだろう。もしも、この外套を自分よりも羽織るに足る人物が現れたなら、その時は納得するだけボコボコにされたのち、譲り渡そう。だから、それまではこの外套の持ち主は自分で良いだろう。
「白竜の加護を受けているこの外套が、私を認めているかは分かりませんけど」
そう声を落とした直後、黄緑色の外套は楓の背丈に合わせて収縮した。袖を通してみても、彼女の腕の長さにピッタリだ。更に右手首だけは茨があることも踏まえて、短めになっている。
「一時的とは言え、私を認めてくれている、ということで良いですか?」
白竜の加護に、或いはもうこの世には居ないケッパーに語るように、楓は呟く。
外套は闇夜に吹く“風”を受けてはためき、それを答えとした。




