【プロローグ 02】
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「ディルって、アレだよね。いわゆる、人でなしでしょ?」
「うぜぇ……」
ソファで寝転んで、欠伸をしているディルに向かって、雅はイヤミを言う。それに対して一言だけで反応を済ました男は雅の座っている椅子とは逆方向に寝返りを打ち、拒絶の意を示す。
「そんな痛いところを直球で言うって、どうなんですか?」
キッチンの方から声がする。やがて、香ばしい匂いを漂わせつつ、葵がテーブルの上に料理を並べて行く。
「はい、夕御飯ができましたよ」
ガバッとディルは起きて、すぐさまテーブルの椅子に行儀悪く座り、箸を手に取った。
「ほんっと、人でなし」
「次言ったら、テメェの眼球を箸で突くからな」
「御飯、食べられなくなるけど?」
「テメェの眼球を喰ったあとなら喰えるだろ?」
サラリと怖ろしいことを述べたディルに、二人がゾッとする。それを知ってか知らずか、料理の匂いを嗅ぎ付けた女の子――リィが寝起きなのか目を軽く擦りつつ、椅子に腰掛けた。
「まさか、本当にそうするわけじゃないわよね?」
「さぁ? 俺が嘘を言ったことがあるか? そんなに怖ろしいんなら、その『人で無し』という言葉は二度と口にするんじゃねぇ」
手を合わせて「いただきます」も言わずに、葵が小分けにした料理をガツガツと食べ始める。
発音が違う気がする。雅の言った「人でなし」はろくでなしや、そう言った意味合いを込めたものだ。けれど、ディルは「な」の部分を強めに言うことで、雅や葵が連想する「人でなし」とはまた別の意味合いの言葉を吐いたように思えた。
しかし、追及するときっとディルは雅の目に箸を突き刺して来るだろう。この男とは出会って、そう長くはないが性格の面においては熟知しているつもりだ。
人を痛め付けることで嗜虐心を満たし、人が苦しんでいる様を見て悦び、人が死にそうになっているところに罵詈雑言を浴びせて心を挫き、人が死んだなら煩わしいと思いつつも、不条理な世界に苛立ちを見せる。
これだけ分かっていても、良いところが一番最後に挙げたところしかないというのは絶望的にも雅には思えた。
「大人ならもう少し、行儀良く食べたらどうなのよ?」
「そんなゆったり喰っている間に、海魔に襲われたらどうするんだ? 死ぬ前に美味くなくとも飯を喰って、腹を満たしておきたいものじゃねぇか」
美味くない飯と言っているが、葵の料理は実際のところ美味しい。一人暮らしをして、節制しながらの食事をしていた雅が感動するほどの美味しさなので、普段からなにを食べていたかも定かではないディルには極上の料理にすら感じられるはずだ。それを素直に美味しいと言えないのは「嘘」ではないのかとも雅は思ったのだが、こんな分かりやすい台詞を嘘に数えるのは、おこがましいだろう。
「葵お姉ちゃん、美味しい」
がっつくディルの横でリィが行儀良く、料理を口に運んで、感想を言いつつはにかんだ。
「ありがとう、リィちゃん」
「リィは素直なのはディルを反面教師にしているからでしょ、きっと」
「クソガキのクセに、反面教師って言葉を知っているなんざ驚きだなぁ、おい。教養のねぇ猿だと思っていたんだがなぁ」
売り言葉に買い言葉といった具合に、雅に罵詈雑言を浴びせるディルだが、箸の勢いは止まっていない。
「せっかく作った料理が美味しくなくなります! お二人共、静かにして下さい!!」
牽制し、睨み合いを続けるディルと雅に葵の激が飛ぶ。彼女がこれほど大きな声を出すこと自体、珍しいことなので雅は素直に引き下がるが、ディルだけは不満たらたらな顔をしたまま料理を食していた。
「よくもまぁ、雅さんが退院した翌日に喧嘩ができますね。退院祝いと思って、腕によりを掛けて作ったんですよ?」
前回の騒動後、雅は入院し、昨日ようやく退院した。右耳の鼓膜は再生し、聴力検査でも完全な回復を見せた。ヒビの入っていた右腕も、動かす上では問題無いと言われてギプスを外された。ただし、負荷を掛けるようなことはしないようにと医者には釘を刺されている。なので、退院してからは右腕を労わるようにして雅は生活している。
「へぇ、そいつは嬉しいねぇ。だったら、そこのクソガキがこれから何度も入退院を繰り返してくれりゃ、いつも腕によりを掛けた料理とやらを作るのかねぇ?」
引き下がらないディルに、葵の朗らかな笑みが僅かに引き攣ったのが雅には見えた。だが、ここに口を出すとせっかく治り掛けている右腕を痛め付けられて、またギプス行きになってしまうかも知れない。そもそも、葵に難癖を付けているのであって自分には関係ない。関係ないが、友人がディルに喧嘩を売られている様を見るのは、どうにも落ち着かないものがある。
「……はぁっ、ディルさんはなにを言ったら黙ってくれるんですか?」
「ディルはね、『人で無し』が嫌いなんだ」
リィが言った直後、その頭をディルがパシンッと叩いた。力は強かったが、彼女が椅子から落ちるほどの威力は無かった。これが雅だったなら椅子から蹴落とされている。リィに対する暴力はまだずっとずっとマシなのだ。
「なんで『無し』に力を込めて言うの?」
「ああん?」
「いや、私の言っている『人でなし』とディルの考えている『人で無し』は違うんじゃないかな、と思って……なん、だけど」
睨みに耐え切れず、雅は徐々に言葉を尻すぼみにさせてしまった。




