【-狂乱-】
「『死神』さん? 君は足でしか、物を変質させられないのかい?」
姫崎が小馬鹿にするように言って、手元からなにかを取り出す。
「ああ、これはただの紙屑だよ。でも、元々が木だからさぁ。『木使い』として、その力を引き出すにはこれほど良い媒介も無いんだよ」
手から触手のように伸び出た木の根があっと言う間にディルに到達し、両足と両手を拘束してしまう。雅は短剣で木の根を切断しようと試みたが、短剣の刃が木の根に触れればそこからまた別の木の根が伸びて、雅を捕らえようとして来る。
「ちゃんとカバーできなくて御免なさい。ちょっとだけ待ってて。空気圧を変質させて破裂させる」
「必要ねぇ。後ろだ後ろ。テメェの後ろを気にしやがれ!」
言われ、振り返ったところにストリッパーが眼前まで近付いていた。右手の短剣で鰭の刃を受け止め、押し返し、連続攻撃とばかりにまた距離を詰めようとした彼の者を、左手で空気に触れて変質させた風圧で遠くまで吹き飛ばす。
「視線集中型は珍しいからねぇ、さすがの『死神』さんもそれは持ってないよねぇ。両足が使えず、両手も使えず、このまま貫かれて、死んでしまえば良いのさ!」
紙屑から出た木の根が渦巻いて、鎗のように先端を尖らせた物へと変化する。それを手元で回して、姫崎はディル目掛けて投擲した。
「ディル!」
木の根で出来た鎗がディルの左胸を刺し貫く間際、右目の代わりに嵌め込まれていた義眼が瞬き、鋭利に伸びて彼の視線の先――左胸を貫くはずだった木の根を鎗が貫き地面に突き立つことで、中空で制止させていた。
「やっぱ、他人の使い手が変質させた物に更に干渉すんのはできそうにねぇなぁ。空気に触れてんだから、水でも火でも起こせば良いんだが、木の根は燃えるし、水は吸収するしでどっちも無しだ。ならば金属でも作り出そうかとも思ったが直接振るえないなら、木の根を断ち切ることもままならない。土の壁を張っても五行の関係上、投げられた木の根が貫通する可能性は否めない」
面倒臭そうに呟き、続いて「伏せてろ」と雅に指示を飛ばす。言われるがままその場に伏せる。
地面に突き立った鎗を、頭を動かして引き抜き、首を動かしながら目線を移動させる。ディルの右目から生えるように伸びたままの鎗は、まず両手を拘束する木の根をその刃で断つ。自由になった手が義眼から突き出した鎗を手に取ると、先ほどまで刃の役割を果たしていた部分がすぐさま柄へと変わる。そして左手で義眼から、まるで乱暴に振り回すかのように引き抜くと、今度は両足を拘束する木の根を断った。
義眼の変質は完了され、ディルが両手でそれを華麗に回す。
「さすがにコレ――義眼は予想外だったか? 考慮しろよなぁ、凡才野郎。俺の右目は義眼で、俺の体に“常に触れている”んだぜ?」
使い手が物を変質させる際、媒介は非常に重要となる。『木使い』なら木で作られたもの、或いは木そのもの。『水使い』なら腐った水、或いは海魔の心臓など、そういった元来、それに属するものを変質させる際、その質量は想像を越えるほど無視される。査定所のような『水使い』の絶対的地位が存在しているくらいだ。彼らは岩や空気、そんなものよりもなにより水に由来するものから水を抽出する方が、圧倒的な量を生成することができる。
よって、ディルの義眼が、その手に持つソレ――斧鎗のような長物に変わることぐらいは、わけないのである。最初は鋭利な“鎗”、続いて“刃”と経過を挟んだが、最終的に至ったのは義眼から生成したとは思えないほど黒光りする“斧鎗”だった。
「そのためだけに、嵌めていたの?」
「んなわけあるか。義眼が無きゃ、クソガキ連中をビビらせられねぇだろうがよ」
ビビらせるためだけに嵌めていたのか。いや、そんな理由では納得できない。
雅にはその理屈がよく分からない。
「中身以外は普通の義眼だ。球体の中に、金属を仕込ませてもらっている。こういった、両手両足を拘束して勝ち誇るような凡庸な海魔に対し、絶望させてやるために」
「……義眼一つで、そのような斧鎗が……? そんな、僕にだってそれほどの質量を超える変質は、できない、のに」
「できてんじゃねぇか。この触手みてぇな木の根はテメェが元々、『水使い』としてではなく『木使い』として優秀だった証だろう?」
飛び掛かって来るストリッパーを、斧鎗を振り回してディルは薙ぎ払う。
「けれど残念だなぁ、凡才。『木』は、『金』には敵わない」
薙ぎ払ったのち、両手で振り上げて前方に振り下ろす。地面を抉り、衝撃でストリッパーは吹き飛び、礫が彼らを容赦無く襲う。
「あの男と戦うの、私のはずなんだけど」
「ん、ああそう言えばそうだったな。良いんだぜ? 泣きじゃくって、その場に縮こまっていてもなぁ」
喋りながら悠々と斧鎗を振り回すディルに、雅は黙るしかない。
というよりも、その様に息を呑むしかない。
「こう見えて試行錯誤していて、最初は鎗だったんだぜ、おい」
誰に言うでもなく、独り言を吐き捨てながらストリッパーの腹部に斧鎗を突き刺し、真上に裂いて両断する。
「けどなぁ、刺突ばっかじゃ味気なくてなぁ! ぶん回しても、地面に叩き付けても、切り裂けないのがつまんねぇことこの上無くてなぁ!」
ストリッパーを斧鎗の先端に突き刺したまま、またぶん回して周囲一帯を巻き込む。
「そう考えたら、刺突に特化したスピアや、一般的なランスよりもずっとずっと、このハルバードって型は大暴れができて良いよなぁ! 俺自身が作ったなら、その重量に振り回されるような心配もねぇしなぁ!」
元は義眼で、質量を超えてはいても重量はおかしいほどに軽いのだろう。それでも両腕で使っていることが多いので、きっと雅では持つことさえ難しいに違いない。
易々と海魔を討伐し、暴れ、群れるストリッパーの動きが極端なほど鈍くなる。目の前で繰り広げられる同種が惨殺されていく様を見れば、海魔であっても足が動かなくなってしまうらしい。
ディルが振り回すのをやめた瞬間を狙って、雅がストリッパーの合間を縫うように走り抜ける。こうでもしなければ、ディルは雅のことなんて考えずに暴れ続ける。もう雅が居ることすら考慮していないように見える。だから、このタイミング以外に脱出する方法は無かった。けれど、こうなるとディルがストリッパーを討伐することに集中しているため、バックアップは無いだろう。いや、そのバックアップのことすら、頭に入れているかどうかも怪しい。あれほど心強い言葉を向けてくれた割には、海魔討伐に夢中になっているディルを見れば、そもそも期待しない方が気楽なのかも知れない。
「ふ、ふふふふっ! 『死神』さんじゃなくて、君が僕の相手をするつもりかい? いかにも、劣等生な君が!」
「……私が討伐者になる審査を受けたとき、拍手をするおかしな人が居た」
あれほどの惨事を起こしておきながら、たった一人、ただ一人だけがその光景に賞賛を送るかの如く、手を叩いていた。
「そうやって、狂気に満ちた笑みを浮かべてくれなかったら、気付けなかった」
あの笑みを、あの人外にも至るような笑顔は脳裏に焼き付いて離れていない。だから笑ったとき、全てが重なった。
この男を殺せば、常に夢の中で自らを苛ませるこの笑顔を、焼き付いて離れない気色の悪い笑顔を、消し去れるかも知れない。
「あのときはさぁ、面倒臭い部下や上司が何人か死んでくれて、本当に嬉しかったねぇ。まぁそんなこと隠して、研究職に没頭する良いチャンスが巡って来てくれたと思ったね」
だから笑っていたのか。
「どうして?」
「審査で人が死んだ光景を目の当たりにして、心を病んでしまった。まぁ、そんな理屈や理由を並べ立てて、前線から離れさせてもらったんだよ。全部、君におかげさぁ、この“人殺し”」
「っ!」
「ほら、ふふふふっ! 殺したじゃん、君。審査のときにもう、そう、ずっと前から君はさぁ」
“人殺し”なんだよ。
あのときのことがフラッシュバックする。自分は花瓶を空気に変えるつもりだった。そういう力なのだと信じていた。
実際は違った。
自分は空気にしか干渉できない。他の物体に触れて、物体を見つめて、それを変質させるようなことは一切できない。それが五行ではなく、摂理に属する異端者全員に言えることだと知ったのは、審査を通ってからのことだった。だからあのとき、気圧は激しく変動し、真空は刃となって審査官を襲った。それを再現しろと言われても雅にはできない。あれから何度か気圧の変化、真空による不可視の刃の生成。それらは忌まわしい記憶とともに封印されたかのようにできなくなった。“人殺し”であることの証明だと、心が勝手に鍵を掛けたからだろう。
摂理に属する異端者は珍しく、研究対象としても残しておきたい。だから咎められなかった。討伐者として経過を観察し、場合によっては研究室で人体実験を受ける。雅はまさにその最中に居る。葵が雅に付いたのもそのためだ。
だから葵にはいつまでも敬語を用いている。いつ、どこで、どのように自身に牙を剥くか分からない。分からないからこそ、心を開けない。
ならば、誰に心を開けていると言うのだろうか。こんな、欺瞞に満ち溢れた世界の中で心を開ける相手なんて見つかるわけがない。
雅はいつだって一人なのだ。誰にも分かってもらえず、誰にも理解されない。摂理であるが故に、五行に属さないことで阻まれる壁があまりにも分厚い。
「私は人殺しなんかじゃ、ない」




