【-水にも金にもならないこと-】
「どうしたんですか、そんな目で僕を見て? あなたも人殺しになるって言うんですか? そんな覚悟が、あなたにはあるって言うんですか? 無いでしょう、無いですよねぇ!」
姫崎が笛の音を鳴らす。ストリッパーが先ほどよりも更に素早く雅へと押し寄せる。
「人殺しだと、呼ばれたって良い」
頭を撫でたとき、リィは笑ったのだ。笑ってくれたのだ。
そのときの笑顔が忘れられない。
「リィは助ける。必ず助ける。その弊害に、あなたがなるのなら……殺す」
「そこの海魔たちに殺されそうなあなたがなにを言っても、僕には負け犬の遠吠えにしか聞こえませんねぇ!」
ここから逃げ出すなんてことはできない。戦う理由がここにある。
ある以上は、立ち向かわなければならない。あれだけの数の海魔を一人で倒すなんて不可能だ。分かっている。分かっているが、雅の闘争心はもはや前にしか向いていない。
「ぁああああああああああああ!!」
絶叫し、身を振るい立てて、両方の手に短剣を携えて前方から押し寄せるストリッパーの群れに飛び込む。
その刹那に、轟音とともに地面は穿たれた。砕け散る岩の礫と、大きく空けられた穴が雅と海魔たちの間に出来上がる。その穴の中心に、その男は立っていた。それも二、三匹ほどストリッパーを既に片付けて、現れた。
ディルは穴から出て、雅の方へと歩き、そして海竜を、その巨躯を一瞥する。
「うるっせぇええんだよ!! このクソ海魔が!!」
大声で海竜に文句を言い、続いてディルは問答無用で雅を蹴り飛ばす。
「テメェもうるせぇ。おい、俺は言ったよな。リィになにかあったら、テメェを許さねぇと。なのにこのザマか? 分かるか? 分かるよなぁ、聞こえてるよなぁ。このクソガキ!」
倒れて動けない雅に近付き、その胸倉を掴んでディルが怒鳴る。
「どう落とし前を付けてくれるつもりだ。死ね、死ね死ね死ね! なんでまだ生きてんだよ、このクソガキ! 生きているくらいなら、テメェが今後生きる分の水も金も全部、俺に寄越せよ、おい! 一体、なんで俺が…………?」
そこでディルは怒鳴るのをやめて、一向に言い返しても来ず、そして見つめもしない雅の様子を窺う。
「……助けて、ディル。頑張ったんだよ…………レイクハンターを倒して、なんとかなったって思ったんだよ。でも、あの人、最初から怪しくて…………ずっと、リィの方を見てて、なにかあるかもと思って、一生懸命、リィを探したんだよぉ。探しても、でも、こうなって…………頑張ったのに、凄い、私としては頑張ったのに………………助けて、助けてよぉ」
泣き言が、涙が止め処なく溢れる。どうしようもないほどに、溢れる。鼻もグシュグシュになり、片耳からは血が伝い、更にもうズタボロになってしまったような表情であろう自身の顔を見て、ディルが胸倉から手を離した。
「この泣き虫のクソガキ。さっさと泣き止め」
「お願い、なんでもするから、助けて」
「聞きたかねぇなぁ、そんなこと」
「お願いします、助けてください!」
「そうじゃねぇ」
ディルはポンッと雅の頭に手を乗せる。
「さっさと分かりやすく状況説明をしろ。リィが海竜になった。そこは分かった。で、あの男はなんだ? 海魔を操ることができんのか? そこんところがよく分からねぇ。リィにあんなわけの分からない轡をさせてんのは、どんな理由があるんだ? おいコラ、クソガキ。媚びる前に俺に説明しろ。あと媚びんじゃねぇ、そんなのは二週間前のやり取りで充分だ。テメェが頑張ってこの結果になったってんなら、どう足掻いたってこうなってんだ。ついでに右耳はどうした? 鼓膜が破れただけか? 三半規管はどうだ? ちゃんと歩いて、動けて、言う通りにできんのか? そこんところをハッキリしろ」
「ディ、ル?」
「さっさと説明しろ、クソガキ。俺が金にも水にもならねぇことを請け負って、テメェを手助けしてやろうって言ってんだ!」
それだけ言ってディルは雅の頭から手を離し、立ち上がると翻る。黒いボロの外套が風を受けて揺れる。そして、リィの本性を曝した姫崎を睨み付けていた。
「う……っ、んと」
鼻を啜り、涙を拭い震えながら立ち上がる。
「あの人は姫崎 岬。『水』、『土』、『木』を使えるトリオの使い手。で、リィが海魔の姿に戻っちゃったのは、あの人が作った海魔の声帯を模したレプリカの笛の音色のせい。それで、ここに集まったストリッパーもある程度、操れることができるみたい。で、リィが本能に抗って、言うことを利かないから、あんな轡を嵌めさせて、私を殺してから研究し直して、ちゃんと海竜すらも操ることのできる笛を作るつもりなんだと思う」
「『みたい』とか『思う』とか、全部、テメェの主観かよ。使えねぇな」
乱暴に言い放ち、続いて声量を落とす。
「テメェ自身は?」
「わた、し……は……レイクハンターとの賭けで、右耳の鼓膜が破れただけで、三半規管までやられてない。葵は、リィが海竜になる前に、呑まれた」
「ふはははははっ! 呑まれた、か! ポンコツの理性が最善を尽くした結果だな。蛇は消化に時間を掛ける。海竜ほどの巨体ともなれば、その消化効率も考えて人一人呑んだ程度じゃ、消化は始まらねぇ。胃袋もただの蛇に比べりゃ相当にデカい。胃の中で絞め付けられて窒息死、全身の骨を砕かれて死ぬってこともあり得ねぇ。ウスノロは胃に穴を開けて、飛び出て来ても良いんだが、リィに呑まれたことにビビッて、腹ん中で動けていないってところか」
「え……じゃぁ、無事、なの?」
「咄嗟にあのウスノロだけでも助けるためにリィが呑んだんだ。あとで吐き出させちまえば良い。で、一時的ではあれ、右耳が聞こえないテメェはどこまで戦える?」
「……あの人を殺すまでは、戦えます」
「はっ、その歳で人殺しになるんじゃねぇよ。研究やら欲やらに目が眩んだああいう男には大抵、素敵な最期が待っているもんだからなぁ」
ディルが立つその様は異様以外のなにものでもない。ストリッパーでさえ、動きを止めている。近付けば、殺される。そういった本能が海魔たちを動けなくさせている。
「やぁ、『死神』さん。来るのが少しだけ遅かったみたいだけれど、ヒーローは遅れて登場する、という夢物語をそのまま絵にしたかったのかい?」
「俺がここに来たのは、テメェらの声がうるさくて眠れなかったからだ。レイクハンターの絶叫に飽き足らず、そこの俺の連れの姿を曝す前の奇声なんざ、金切り声並みに頭に響く」
そういう理由だと思った。雅はディルのここに来た理由を知って何故か安堵してしまう。
助けに来るとか、そういう柄ではないのだ、この男は。だからホッとする。いつも通りの男であることに、安心する。
「はははは、そりゃぁ御免よ。でもね、『死神』さん。君のその不名誉な異名もここまでだよ。だって、ここで八つ裂きになるんだからさぁ!」
言って、姫崎は笛の音を鳴らした。先ほどまで、一歩も動かなかったストリッパーたちが一斉にディルへと走る。本能と無意識に語り掛ける笛の音であるのなら、強者に対しては引き下がるところだが、集団であることから来る防衛本能が勝ったのだろう。
「トリオで良い気になるなよ、凡才」
「よく、聞こえませんでしたが?」
「耳も遠くなっているなんて、その歳で大丈夫か? 心配になるくらいだな、この俺が」
完全に姫崎を挑発しつつ、ディルが強く地面を踏み締めた直後、周囲一帯に土の塊が突き出し、まず海魔の群れを散開させる。続いて、飛び掛かって来た一匹目を右足で蹴り飛ばす。ディルに蹴飛ばされたストリッパーの体から樹木が生い茂り、要する腐った水を全て吸い取って枯れ果てさせる。
「さて、凡才。自発的に覚醒する使い手ってのはよく居るわけだが、後発的な、持っていない人間が持っている人間になるためには、一度、壊れなければならないんだが、お前は望んで壊れたんだな。俺たちのように“喪失”し、そこから来る許容量を超えるストレスや精神的苦痛を“昇華”し、変質の力を得たわけではなく、望んで壊れたってことで良いか?」
続いて向かって来るストリッパーもまた蹴り飛ばす。今度は火炙りにされ、直線上に並んでいたストリッパーが炎に巻き込まれて行く。
「『土』に『木』に『火』。僕と同じ、トリオだって言いたいんですか?」
「望んで壊れたってんなら、俺はお前をこれ以上、“人”とは思わねぇ」
「……っ、危ない!」
ディルの後ろに回ったストリッパーがヒレの刃を振るう。すかさず雅が力を使おうと思ったのだが、ディルの圧倒的な強さに見惚れていて、完全に出遅れた。空気圧の変化によって弾き返すことが間に合わない。
「クソガキ?」
振り返ったディルは外套の袖を金属に変質させ、でストリッパーの刃を止めていた。
「仕事はしろよ、テメェ。俺に殺されたいか、それとも、海魔に殺されたいかハッキリしろ」
苛立ちながらストリッパーを力任せに押し返す。そして、金属となった外套の袖の部分を引き千切る。
「わ、分かった」
「俺はストリッパーを始末する。そして、テメェはあの男を始末しろ。だが、テメェは俺をサポートし、テメェは俺をサポートしろ。テメェが仕事をしねぇなら俺も、テメェとあの男の一騎討ちについては手を出すつもりはねぇ。理解したならさっさと俺の後方のカバーに入れ」
「は、い!」
一度、地面を滑って転びそうになったが言われるがままに駆け寄って、ディルの後方に回ろうとするストリッパーに短剣を見せ付けて、行動を抑止させる。




