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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-第七部-】
200/323

【プロローグ 02】


 猪口に注がれた酒を揺らし、それを一気に呷ったのち、男は夜空を見上げる。

『誰かのために、全てを投げ打つ覚悟が、君にはあるのかい?』

「諦めたはずなのにねぇ……ほんと、英雄っていうのは、二次元にハマればハマるほど、僕を苦しめる」

 しかし、そこに没頭することぐらいしか、男にはできない。


『誰かのために、全てを投げ打つ覚悟が、君にはあるのかい?』

 また、その言葉が、その文字が頭の中をよぎる。


 かつて読んだコミックの、英雄に向けられた戦友の言葉だ。その後、戦友は英雄の返答に笑みを浮かべ、そして一人、戦いへと身を投じて、命を落とした。英雄は、戦友の遺した言葉を生涯、忘れないと誓い、その章は終わった。


 その後の物語は描かれていない。それは、この世界の実情を知れば誰だって納得することである。コミックやアニメはもう、この世界で描かれることはない。男が没頭する世界はいつだって過去の産物であり、そして男自身が想像した物語に過ぎない。


 だが、確かにその文字はあった。その言葉はあった。男の脳裏に焼き付いている。少なくとも、男が描いた物語の台詞には、そんなものは見当たらないはずだ。


「全てを投げ打つ覚悟……ねぇ」

 呟き、夜空に輝く満月を見つめ、次に大きな欠伸をする。

「あのとき、英雄はなんと答えたっけ?」

 肝心のところが抜けていた。戦友の問い掛けに、英雄は返事をしたはずだ。だから戦友は命を落とした。だが、その戦友が満足するような答えを英雄が返した、その部分だけが記憶から欠落している。

 英雄を身勝手に目指し、身勝手に放り出した男には、恐らくは必要の無い情報だったのだろう。要らなくなった情報は消える。記憶にだって整理をする機能ぐらいは付いているものだ。

「……ああ、思い出せない。でも……思い出せない方が、良いのかな」

 呟いて、微睡(まどろみ)が男を夢へと誘おうとする。酒を飲んで、良い具合に出来上がっていることもそうであるが、今日はいつになく気持ちの良い睡魔が押し寄せている。

 全員が揃っていることの安心感。そして、全員がまだ生きていたことの安堵。ここ数日は、ピリピリすることなく眠れることができている。

「ねぇ、“人形もどき”? 君の心に僕は住まうことができているかい? できているのなら……いや、そうなったときで良い。そのときで、構わない。どうせいつかは訪れるのだから」

 放浪していた男に、強盗を仕掛けた少女。ただ一人、逃げずに立ち向かい続けて来た少女。男に殺されても良い。それだけ生きることに死に物狂いだった少女。


 恐らくは、物語はこう続く。その少女と出会ったのは運命であったのだ、と。


「なにか妙なことを考えてるな?」

「あ、ディル。こんな夜遅くにどうかしたのかい?」

「どうもこうも、外を歩いていたらテメェが酒を一人で飲んでいるところが見えたんだよ」

 ディルという男は、まったくいつだって予想を超える言葉を口にする。そして、予想を超えることをやってしまう。しでかしてしまう。やらかしてしまう。

 それを羨ましいと思っていた時期が、男にもあった。

「外を歩いていて僕の部屋をわざわざ見上げるなんて、君、男も行ける口なのかい?」

「ふざけんな、ぶっ殺すぞ。一人酒なんてつまんねぇことをするなんて、テメェらしくもねぇ上に、テメェが自分から酒を率先して買って飲むなんてことは無かっただろうが」

 男は酒を嗜む。だがそれは、周囲に勧められて飲むことがほとんどである。普段は酒を嫌っている。それは男が知る人物の中に、とんでもない飲んだくれが居るからなのかも知れない。


「なに考えてんだ?」

「別になにも…………歳を取り過ぎたな、ってだけだよ」


「テメェより年上の俺はどうしたら良いんだよ」

 言いながらディルは部屋を漁り、猪口を見つけると男の元に戻って来た。そうして男の手から酒を奪うと、自身の猪口に酒を注ぐ。続いて、半ば強引に男が空にした猪口にディルは酒を注いだ。

「もうそろそろ限界だったんだけどなぁ」

 しかし、ディルが注いだのならば仕方が無い。男は苦笑いを浮かべつつ、ディルが注いだ酒をチビチビと飲む。


「なにを企んでやがる?」

「別に、別に……なにも」


「なんも考えてねぇ奴が、らしくないことをするわけねぇ」

 この男と会ったとき、とても怖かった。そして、どうやったって分かり合えないと思っていた。二十年前からずっとずっと、嫌いだった。あのギリィを連れて歩いた一ヶ月。その間も仲良くなるようなことなんて一切無かった。


 ただ、再会したあの日。ディルがギリィだけでなく少女を連れて歩いていたのを見たあのとき、ようやく男は境界線を消した。そしてディルから誘われた酒は、今まで飲んだどんな酒よりも美味しかった。


「僕は、外の常識については頭が良くなったつもりだよ。それも正義漢以上に、ね。海魔の動き、生態、それらを目で見て、体感したからこその知識が、僕にはあると思っていた。だからあの日、君を見捨ててしまったことをね、とても後悔しているんだ。下見もしたし、セイレーンの生態だって知り尽くしていた。なのに、進化ばかりは予想を超えていた。いずれ、そうなるだろうと想定はしていたけれど、まさにあのとき、起こるとは思わなかった。きっと、あのとき僕は、君と一緒に戦うべきだったんだ。情けないね、ほんと。情けなくて、悔しい。あのとき、培って来た知識が僕に訴えたのは戦うことよりも逃げることだったんだ。本当に、本当に申し訳無く思っているんだ。そのせいで、少しばかり戦うことに臆病になっているんじゃ、と考えてしまうほどに」

「はっ、考え過ぎなんだよ」

 ディルは男の言葉を一蹴する。

「俺は見捨てられたなんざ思っちゃいねぇ。そうしろと言ったのは俺自身だ。それに逆らわずに冷静に行動を起こせたテメェは、まだ戦える。テメェにはそれだけの力がある。培った知識も努力も度胸は、テメェを裏切らねぇ」

「……良かったよ、蹴飛ばされると思っていたからね。はぁ、これで一つ肩の荷が下りた」

 男が安堵の息を零したのを見たのち、ディルは「一つ?」と呟く。

「まだなにかあるのか?」


「鋭いなぁ、さすが“死神”。どんな言動も見逃さない」

 ディルの前では、なにかを隠すことは決してできない。


「竜の加護、竜の眼、竜の刃。言っちゃ悪いけど、ファンタジーが過ぎるんだよ。ドラゴニュートを愚弄するつもりはない、アルビノを馬鹿にするつもりもない。ただ、彼らは竜に似た海魔に過ぎないってことだけは念頭に置いておかないとさぁ、なんでもかんでも竜頼りになってしまいそうだ。ドラゴニュートは頭が良い。海魔が二十年前のように攻勢に移れば、それが運命と、宿命と決断し、人間を狩りに来るだろう。結局は、彼らも海魔なんだからね……そんな不安要素に頼りっ切りも、良くない」


「竜に似た海魔であって竜じゃない。そんな海魔の力に頼るのはおこがましいことだ。有用だから使っている。そういった認識を持たなきゃならないだろうな」

「外套は形見だと思って使わせてもらっている。ただ、いつこのアルビノの皮膚が僕の体を覆い尽くすような大きな動きを見せないか、心配だよ」

「たとえ、アルビノがそのようなことをしないと分かっていても、か」

 ディルが猪口に残っていた酒を一気に呷った。

「だからって、ガキ共はもう、手放せない。ひょっとするとクソ女もテメェと同様の考えで、敢えて自身の力に頼らせているのかも知れねぇな」

「どうだろうね、人で無しのところのは、もう喪失を終えているから、必要無いって判断したんじゃない? 結局のところ、有用なら利用する。それで構わないよ。ただ、ただね」

 男はディルに、少しばかり興奮気味に続ける。


「僕は、見たいんだよ。竜のような海魔の加護に頼らず、一握りの人間だけが持つ天賦の才と力だけで、人類の敵を圧倒し、その様を謳われる、そんな“人形もどき”を、ね」


 撒いた種が芽吹き、花を咲かせるその瞬間を、男はただ待ち望んでいるのだ。

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