【-ディル Attain-】
「なぁ、海竜よ。ようやっと、テメェとの因縁にもケリがつきそうじゃねぇか」
海竜の牙はディルの右肩に突き刺さっている。しかし、ディルの斧鎗は海竜の口蓋を貫き、切っ先は天を向いている。
あれだけ暴れ、猛り狂っていた海竜の動きは静かに、そして徐々に力を失いつつある。瞳から光は徐々に失われ、彼の者の死が近いことも分かる。
「俺の全てをテメェは喰らった。俺に“生きること”を約束してくれた、あいつを、テメェは奪ったんだ……だから、これぐらいで死んでもらったら、困るんだよなぁ……っ!」
目を見開き、ディルは体を下げて、右肩に刺したまま牙をへし折る。更に斧鎗も僅かに下げて、その刃を携えた部分を用いて口蓋を口先に掛けて引き裂いた。
海竜が鳴き声をあげる。構わずディルは地面に降り立つ。そして、持っていた斧鎗を投擲し、彼の者の片目を潰す。悲鳴を上げる海竜を余所に、ディルは地面に手を当てて、斧鎗を再び作る。
ただし、その先端の刃は機械で仕上げられ、チェーンソーのように高速で刃を回転させている。その機械を取り込んだ斧鎗が放つ轟音を耳にしつつ、ディルは海竜の腹部にそれを突き立て、全力で尾の先まで駆け抜ける。
彼の者の腹は引き裂かれ、その巨躯は大地に沈む。声はもうしない。大量の血を雨のように降らせ、その血を木の根で作ったシェルターで防いでいるディルはジッと、倒れて動かなくなった彼の者を睨み続ける。
「……ク、クククククッ。やっとだ、やっと……やっと!」
怒りなのか喜びなのか、悲しみなのか感動なのか、なにもかもが入り混じった複雑にして奇怪な笑みを浮かべながら、ディルは斧鎗をその場に落とす。そして、轟音を立てていた斧鎗は、動力源を失ったかのように静かになった。
血の雨はやむ。恐らくは斧鎗で断ち切ったのだろう骨の一部がドサッと地面に落ちて細かく砕けた。その後は、静寂だけが辺りを包んでいる。
どれだけ長い間、戦っていたのだろうか。
どれだけの時間が経ったのだろうか。
それは分からない。
しかし確実に言えることは、ディルが見る限りでは、チームは全員生存している。ただし、その挙動を見るに、正常な精神であるかどうかは怪しい。
壊れた男には、正常な精神を見極める術すら、無いのだが。
「っ!?」
シーサーペントの引き裂いた腹の中を見て、ディルは絶句する。大量の臓物とヘドロのような血液の中から――彼の者の体内から、見覚えのある容姿をした“それ”が転がり落ちた。
「嘘、だ」
ディルはヨロヨロと歩き、“それ”に近付く。近付けば近付くほど、記憶の中の彼女が脳内を駆け巡る。
「……美弥?」
その声に反応するかのように瞼を開き、ヘドロのような血に塗れた“それ”はディルを睨むと、すぐに人ならざる鳴き声を上げて、襲い掛かって来る。
しかし、その動きは人間の子供よりもずっと拙く、ディルに辿り着く前に転んだ。
「違う……そんなはずが、無い。じゃぁ、お前は一体、なんなんだ?」
問い掛ける。
「ワタシは…………誰?」
「訊いているのはこの俺だ! 答えろ、お前は一体、なんなんだ?!」
その顔も、その容姿も、なにもかもが記憶の中の少女と被る。
それがとてつもないほどの苦痛となって、ディルの心を攻め立てる。
「分から、ない」
呟き、次に少女はギラリと瞳を光らせると、骨格ごと姿形を変異させて行く。醜く、磯臭く、腐敗臭漂う海魔の姿へと変わって行く。
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ」
汚される。
記憶が汚れる。
海魔に大切な思い出が潰されて行く。
少女は――美弥は海魔などではない。しかし、目の前の“それ”は徐々に海魔の姿へと変わり、遂にはすぐ傍に倒れている海竜と変わりない巨躯を持った、新たな海竜となる。
「認めない認めるか認めてたまるか認めるわけには行かない認めてやらない認めてなんて、やるものか……!」
ディルは右肩に刺さっている牙を引き抜き、外套の内ポケットに収める。続いて、落としていた斧鎗を手に取る。止まっていた刃は再びチェーンソーのように回転を始め、轟音を立てる。
「テメェはここで死んで行け!!」
力強く斧鎗を振るおうとした直後、眼前に居たシーサーペントはディルに目もくれず、周囲に転がっている海魔の死体を次々と喰らって行く。
そして辺り一帯の海魔を全て喰らい尽くすと、満足したのか、再び“それ”は少女の姿に戻る。
「お腹、一杯」
「……ク、クククククククッ。神様とやら? そうなんだな? これが、俺の罪だと言いたいんだな、テメェは? この同じ顔を持つ、人でも海魔でも無いような存在を、俺の前に出した理由は、俺にもっと苦しめという、啓示ってこと、なんだな?」
これは、罪なのだろう。
これは、罰なのだろう。
あのとき美弥を救えなかった自身への罪。
あのとき手を伸ばせなかった自身への罰。
それが、美弥と同じ顔を持つ、“それ”と引き合わせた。ディルにはそうとしか思えない。
「特級海魔の中には、人の皮を被って、人に偽装する海魔が居る。テメェもきっと、それに該当するんだろう。ギリィ、それがテメェの名だ」
美弥と呼んでやるものか。
こんな海魔を、こんな人間でもない存在を、決してあの少女と同列になどするものか。
「ギリィ……ギリィ……」
「略した方が呼びやすいな、リィでも良い。だが、俺はテメェをポンコツと呼ぶ。そのことについて否は一切認めない。文句でも言おうものなら、力でテメェを圧倒する。だから、理性で生きろ、ポンコツ」
「ワタシは、生きていて、良いの?」
ディルは斧鎗をポンコツに向かって振り下ろそうとしたが、直前になって思い直し、握っていたそれをその場に放り出す。
「テメェは生きて生きて生き続けて、俺が死にそうになったら俺を喰え。それまでは、俺の元から離れるな、絶対に」
罪なのだとしても、罰なのだとしても、ディルにはどうしても殺すことができない。そして、拒絶することさえできない。だから、傍に置かざるを得ない。この気色の悪い存在を、いつ襲い掛かって来るかも分からない存在を、連れて行かなければならない。
それがたとえ間違いであったとしても、たとえそれがまた別の罪と罰を生み出すのだとしても、今のディルにはポンコツを殺せるだけの力が、無い。
復讐は果たした。傷だらけの心は空っぽになっている。気力は失せ、湧き起こるはずの狂気も息を潜めている。
しかし顔は凶悪なまでに、英雄とは程遠い表情を作り上げており、そのことに気付かないままディルは、ふと転がっている海竜の骨の欠片を二つ三つ拾い上げると、牙と同じく内ポケットに収める。討伐の証にするつもりでもあったが、同時に自身への戒めとして持ち歩くのも悪くないと思ったためだ。
そうしてディルは、リィと名付けた少女と共に、生き残っているチームと合流する。
海竜を含め、ほぼ全ての海魔の討伐が完了するとともに、この作戦は終わりを告げた。しかし、『ブロッケン』の本体の居所を掴むことはできなかった。
討伐者の死者は九割以上を越え、唯一の生き残りは、ディルを含めた五人だけだった。




