【-011-】
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白き竜の暴走は三日三晩続き、集っていた討伐者の二割を殺し、そしてディルを含めた五人の前で息絶えた。
『上層部』はこの喪った戦力の二割をたった数日で埋め、しかし、二割の死者を出すこととなったディルを含めたチームには、罪が科せられることとなる。
首都防衛戦において、撤退を禁ず。
逃げた者は見つけ次第、銃殺に処す。
それがディルたちにだけ与えられた、言葉は違えど『上層部』からの「死ね」という通達であった。月見里は最後まで交渉し続けたが、それが結果になって表れることは決して無かった。
「俺たち、ここで死ぬかもな」
圧倒的な数の海魔が攻め寄せて来るという伝達が入ったのち、ディルの隣に立っているアルガスが言った。
「数だけなら、どうとでもなるわよ」
悲観に暮れるアルガスに対して、アイーシャは気を紛らわせながら答える。唯一、味わったことのない嗜好の品であったようだが、口に合わなかったのかすぐに咳き込み、その場に落として足で踏み付けて火を消す。
「でも、逃げたら銃で撃たれるんだぜ? 酷くね?」
準備運動を何度も続けながら、クリスフォードが言う。
「海魔に喰われるよりはマシに思ってしまうのが情けないところだね。あなたもそう思わないかい?」
瓦礫を押し退けて、自身の行動範囲を広げつつ、月見里が呟き、質問としてディルに会話を回す。
ディルはなにも答えない。
「あー、そいつは駄目だ。放っておいた方が良い。頭が先にイカれた奴らしいから」
アルガスは、はっきりと言い放つ。それはこうなってしまった責任をディルに押し付けるためのイヤミ以外だった。もうそいつと関わりたくない。そんな意思を受け取ることができた。
「えっと、目の前で持って行かれた、だったかしら?」
思い出したかのように、ディルがいつか言っていた言葉をアイーシャは口にする。その意味を知らずに口にするということは、彼女も生存率の下がったことに対するイヤミをディルに向けているのが分かる。
あれほど友好的であった彼女が、今やディルには近寄らない。
「国のために防衛戦に参加したってより、復讐のためらしいからなー」
クリスフォードもまた、イヤミを言う。ディルはやはり答えない。
「言ったって、もう何年も前のことなんだろ? 上手くチームを回すためにもコミュニケーションは必須じゃないかい?」
月見里は、その発言の一つ一つがディルにとって苦痛であり、イヤミでしかない。何年も前、などと言っているが、その実、なにも分かっていない。そうやってディルの様子を窺っているのだ。
この場に、ディルの協力者は居ない。誰もが生存率を下げたディルを呪っている。
ディルはジッと四人を見つめ、そして、ボソリと呟く。
「テメェらには分かんねぇよ」
自身が味わった苦しみを、アルビノの味わわなければならなかった痛みを、この四人は永久に理解することができないだろう。五人の外套には暴走したドラゴニュートを討伐した証として、その自在に伸びる皮が縫い込まれている。耐久性も増し、海魔の攻撃から身を守るに適したものとなったが、これはアルビノの意思では、無い。だから果たして、自身の皮をこのような物に縫い込んだことを彼女が知ったとき――もう知りようはないのだが、知ったとすれば一体、どのような反応を示すのだろうか。
それはもう、分からない。あの行いが正しかったのかどうかも、分からない。竜を愚弄すれば、その者に竜の加護は宿らない。即ち、外套が機能するということは、この場に居る五人全員がアルビノに認められているということになる。だが本当に、それが正しい答えであるのかは、訊くこともできない。
ディルの一言が決して引き金になったわけではないのだが、時を同じくして大地が震撼する。小刻みに地鳴りが繰り返され、続いて見えて来た海魔の数と、そして、その体躯は五人の想像を軽く絶していた。
そして、その場には絶望があった。“アレ”を海魔と呼んで良いのかという疑問と、あんなものと戦わなければならないのかという逃避の感情が、その場を満たしている。
「嫌……嫌よ、なによ、“アレ”。アレが海魔だって言うの!?」
「深海級、特級、一等級、二等級…………海魔だったらなんだって倒せるぜ……? けど、アレはそういうのとは違うんじゃね?!」
「間違いない、『ブロッケン』だ」
「なんだ、そいつは? さっさと説明しやがれ、餓鬼!」
アルガスが“アレ”に怯えつつ、月見里に説明を請う。
「影に踏み入る海魔に付いた個体名だ。一般人の影に『ブロッケン』が入り込むと、操られてしまうと、査定所で聞いた。それも、『ブロッケン』は複数の人間の影に忍び込める。だから、“アレ”は全て、『ブロッケン』という海魔が入り込んだ……“人間”なんだ」
「嘘でしょ!? 海魔なら殺してやるわよ! でもなんで! こんな! こんなときに、人まで殺さなきゃならないのよ?! 人を守るための戦いで、人を殺す戦いをするなんて聞いてないわ!!」
困惑している。驚いている。動揺している。躊躇っている。
四人が四人、動けないでいる。
馬鹿馬鹿しい。ディルは一旦、空を見上げる。
人を殺さなければならない。けれど、人殺しにはなりたくない。ただ、それはディルが自身を縛っている鎖だ。
断ち切らなければ、復讐も果たせない。
ならば、殺すしかないだろう。そして、これを最後の人殺しにしよう。それからは元の、海魔殺しになれば良いだけだ。なにを困惑する必要があるのか、なにを驚く必要があるのか、なにを動揺する必要があるのか、なにを躊躇う必要があるのか。
けれど、まずは、なによりも、最優先にすべきは――
「やっと会えたなぁあああああ、クソ海魔ぁああああ!!」
ディルはことのときを待っていたとばかりに怒りを露わにし、奇怪な叫びを上げて戦闘の態勢に移る。
狂気を解き放つ。このときのために、溜め込み続け、発散させられずに、ずっと鎖で縛り上げていた狂気に身を預ける。頭の中で鎖が千切れるような音がした。それはきっと、ディルの中にあったなにかが完全に壊れたことで奏でられた音色だったのだろう。
男を止めようと群がる、『ブロッケン』が影に潜んだことで操られている人間を、次から次へと剣で引き裂いて行く。引き裂き、引き裂き、引き裂いて、続いて見えた海魔の群れの中に自ら飛び込み、全方位あらゆるところから来る攻撃をかわし、歓喜に満ちた表情で次から次へと海魔を切り裂いて行く。
左右から来る攻撃を剣で流したところで、剣が折れた。これではまだ足りない。その足りなさを補うために地面を踏み締め、鎗を作り出す。鎗を振り回し、刺突で仕留めるが、これでは薙いだときの威力に不安が残る。
そうして至った最後の感覚で、ディルは鎗を海魔に突き立てたのち、地面に手を当てて、そこから乱暴に斬撃と刺突、そしてリーチを兼ね備えた斧鎗を作り出す。
「これだ、これだこれだこれだこれだ!!」
振り乱せば海魔を切り刻み、前方から攻め寄せる海魔は刺し殺すこともできる。なによりもリーチの差が大きい。海魔に一定の距離まで踏み込まれることさえなければ、斧鎗で薙ぎ払うことができる。そして、その一定の距離に踏み込ませるほど、今のディルに隙は無い。無いというよりも、攻め寄せるあらゆるものを、敵か味方の判別もせずに引き裂き、殺している。
こんなところで足を止めている暇は無い。ディルは粗方、自身に攻めて来た人間と海魔を始末したのち、再び圧倒的な体躯を持つ海魔へと走り出す。
この世界は、単純にはできていない。
押し寄せる海魔の波を、操られている人間を殺しながらディルは突き進む。
単純にできてさえいれば、どのような苦しみも苦痛からも逃げ出すことができた。
鋭く刺し込んで来る海魔の爪を受け流し、その伸び切った腕を切断して、更に突き進む。
けれど、今、“ここ”から逃げ出すことはやはりできない。どれだけ単純であっても、どれだけ馬鹿げていても、どれだけ狂っていても――
この世界はやはり、許しなど、逃避など、許してはくれない。
「だが……だがなぁ!」
ディルは右から来る人間を土の壁で阻み、左から来る人間の頭部に水の塊を被せて窒息死させる。
「テメェから逃げ出さずに済むんならなぁ!!」
後方の海魔を木の根で縛り上げ、そこに火を灯して焼き尽くす。
「こんな腐った世界も、悪くはねぇよなぁ!!」
圧倒的な体躯を持つ海魔の前方に立ち、ディルは叫ぶ。
日常を奪った全ての始まり。
幸福を放棄させた不幸の塊。
逃げるという選択肢を奪った根源。
復讐を遂げるために追い続けて来た存在。
遭わなければ、アルビノにも会わずに済んだはずの、全ての元凶。
ディルは覚えている。約束をした少女を喰らったその姿を忘れたことは一度も無い。目に焼き付いて離れないその瞬間のことは、昨日のことのように思い出せる。
あの川に潜み、あの川から消えた海魔。その体躯で一体どうやって消えたのか分からないままに、ディルの全てを奪い去った。
のちに付けられた海魔の名は特級海魔の海竜。ディルはようやく、その復讐を果たすべき存在の前に立っている。
唸り、地鳴りすら起こすほどの雄叫びをあげる海竜を前に、ディルは怯え竦むこともない。むしろその声を聞いて、期待と歓喜に満ちた、狂気も孕ませた気色の悪い笑みを浮かべて、斧鎗を頭上で振り回して、身構える。
「やっとテメェを殺せるなぁ、俺のことは憶えているか? 憶えていないって言うなら、死に際までにはその足りない脳で! しっかりと記憶することだなぁ!!」
ディルは飛び掛かる。恐れもせず、決して油断もせず、通常ならば一人では相手にしてはならない圧倒的な体躯の海魔に対し、突撃する。
絶望したところで逃げ場は無いのである。ディルの獅子奮迅とも呼ぶべき、狂ったような突撃を見て、四人もまた突撃を開始する。この場に居る討伐者は今ここにおいて、逃げ出す選択肢を与えられてはいないのだ。
だからこそ、どれだけの絶望を前にしても、そこに飛び込まなければならない。それはディルというイカれた男が含まれたチームに限った話では無い。確かにこのチームは逃げることが禁じられている。しかし、首都防衛戦において、他のチームの誰もが「逃げる」という選択肢を捨てていた。この場において逃げ場は「無い」からである。どう足掻いても、海魔と『ブロッケン』に操られた人間に立ち向かわなければならない。生死の境界に立つ全ての討伐者が、どちらに足を踏み入れ、踏み外すのか、それは全てが終わってから分かることである。




