【-009-】
♭
「ウゼェ」
ディルは咳き込みながらも、尚も立ち上がる男に向かって言い放つ。今回の手合わせの相手はアルガスに比べれば、蟻に等しいほどに弱い。潰せばすぐに死ぬ。そんな男だ。にも関わらず、蹴りを受けても降参せずに立ち上がって来る。これでもう三度目だ。炎の使い手だった、あの“正義”を振りかざす男でも二発で終わったが、この男は三発受けてもまだ立ち上がる。
「『木』は『金』には敵わない。分かっているだろ、そんなことは」
「……馬鹿、言っちゃ行けないなー」
男は闘志を滾らせる。
「僕は、ヒーローを目指しているんだ。これくらいの蹴りを受けたって、負けられないんだ。だって、ヒーローは必ず勝つものだからな。つまり、この僕がヒーローってことさ」
「わけの分からないことを言うな」
「なんだって、この島国の連中は、そう昔のコミックやアニメをリスペクトしないかな。僕がこれほど熱狂的なファンなんだぜ? おかしくね?」
癪に障りはしないが、面倒臭い男だ。それ以上に、諦めが悪い。現実を見ていないとも言える。いや、現実を見ているからこそ、彼の言う英雄のように立ち上がって来るのだろうか。
男は木の根を捩じらせて作り出した槍を手に、走り出す。まだそんな余力があったのかと驚きつつも、雑すぎる足運びからすぐに到達点を見抜き、繰り出された刺突を容易くかわすと、その動きの中に腕の動きも加えて、金属の剣で木の根の槍を断ち切る。
「さっさと降参するか、気絶しろ。或いは周囲に止めてもらえ」
そう囁いたのち、四発目の蹴りをお見舞いする。
「げほっ、がはっ、おっかしいなー。あ、さてはお前がヒーローの前に立つ、ライバルってやつだな!? 或いはラスボスか?! すげぇ、そんな奴と僕は戦ってんだな」
「……黙れ、ガキが!」
口が勝手に荒くなる。
「この世界のどこに英雄が居やがる!? この世界のどこに人間とドンパチしていられる余裕がある!? 俺はテメェのライバルでもラスボスでもなんでもねぇ! そんなもんを夢見ているガキが!! 俺の相手なんかしてんじゃねぇ!!」
口調がアルガスに似てしまった。しかし、この男には荒々しく怒鳴り付けなければ、理解してもらえないだろう。
「おー、ますますラスボスっぽいぜ。そういうことを言う奴は、最後に負けるんだ」
「負けんのは、テメェだ」
口調が戻らない。ディルは苛立ちながら男の脇腹を蹴り、首筋に金属の剣の切っ先を突き付けた。
「降参しろ」
「へ、ヒーローは降参なんざ」
切っ先で皮膚を突付き、続いて縦にスッと裂いた。僅かに出来た切り傷から、血がツーッと流れ出す。
「ひっ! わ、分かった。降参、降参だ!」
それを聞いてディルは剣を下げ、男から翻って広場をあとにする。
「恐喝の才能でもあるんじゃない?」
「ああん?」
「え、ちょっと、なによ。口調、戻ってないんだけど!」
「ああいうガキに舐められないように、この口調の方が良いんじゃねぇかと思い始めた」
「ガキっつったって、一つか二つ下ぐらいでしょ、あいつ」
「ヒーローやらライバルやらラスボスやら、アニメやらコミックやら、うるさくて敵わねぇ。あんな奴らが、これからの手合わせの相手にならないとも限らねぇなら、言葉での威嚇はこれ以上ない武器ってところだな」
「一気に悪者臭が増したけど?」
「知るかよ」
アイーシャと広場での手合わせ終わりに行う――半ば恒例となってしまった会話を交わしたのち、ディルはプレハブの町を歩く。
ここのところ、アルビノの体調が思わしくない。病に罹っているドラゴニュートと、重苦しい雰囲気のまま部屋で一緒に過ごす気は起こらない。多少ながらに心配はしているが、昨日に比べて朝のアルビノの顔色はまだマシだったようにも見えたので、しばし外で時間を潰してもどうってことはないだろう。
腐っても海魔である。これが大病を患った人であったなら、そしてとても大切な人だったなら、ディルだってなにもかもを放り出して、常に病床の横に座っているのだが、アルビノは人間以上の生命力を持ち、そして特級のドラゴニュートである。命を削る病に罹っていることは散々、耳にしているが、それでも人間のように“急に”来るものではないだろう。
だからこそアイーシャも、アルビノについてなにも言わなかったとも考えられる。彼女は喧騒と騒乱の中で生きて来たらしい。だとすれば、いずれ死ぬような重傷を負った怪我人に限らず、病に臥せった人も見て来ただろう。そんな彼女がなにも言わないのだから、今日はなにも起こらない日なのだ。
「腹に、木の根でも巻いて軽減でもさせていたのか……?」
あのヒーローやらなんやらと騒いでいた男は、四発目の蹴りを受けても、まだ喋ることもでき、立っていた。鉄板でも入れていたなら、骨が折れる。しかし、こうして歩けている上に足に激痛を感じることもないのだから、それよりも柔らかい物に限られる。それでも、木の根に足をぶつけて無事で居られるかと問われれば、答えにくいわけだが。
並んでいる出店から林檎を二つ、バナナを二本ほど購入し、外套の内側のポケットから袋を取り出し、そこに果物を詰め込んで、軽い運動とばかりに町を一周してから仮住まいのプレハブ小屋へと戻る。
「……おい、ガキ」
仮住まいの小屋の前に、手合わせをした男が立っていた。というよりも、小屋の中を覗いていた。そのためディルの声に驚き、小さな悲鳴を上げつつ男は振り返る。
「な、なんだ。あんたか」
「俺の部屋になにか用か?」
「よ、用ってわけじゃないぜ?」
「そうか」
言いつつディルは威嚇とばかりに地面を強く踏み付ける。
「ここでボロボロにされたいか、それとも作戦で俺の盾になって死にたいか、選べ」
「その二択しかないのかよ!? 信じらんねぇ!」
「信じられねぇのは俺の方だ、クソガキ。ここに来た理由を吐かなきゃ、ひょっとしたら俺は殺してしまうかもなぁ。初めての人殺しか、楽しみだ」
男をそう脅してみるものの、一向に引き下がろうとしない。
「僕はヒーローを目指しているんだ。そんな言葉じゃ、引かないぜ?」
引けよ、と心の中で呟きつつディルは核心を突く。
「テメェは俺の部屋を覗いていたな? なにを見た?」
ディルの睨みに、さすがの男も根を上げた。
「ぼ、くはこの部屋があんたの部屋だとは思わなかったんだ。ただ、『水使い』のあの子がこの部屋に入って行ったから!」
『水使い』のあの子。
しばし悩んだが、どうやらアイーシャのことを言いたいらしい。そしてアイーシャがディルの部屋に入ったため、ディルの部屋を彼女の部屋だと勘違いした。ただし、それで覗く理由が分からない。
「ひ、ヒーローにラッキースケベは付き物じゃない、か」
「……アイーシャ」
ディルは眉間にシワを寄せ、あからさまに不機嫌な表情のまま部屋に入り、中でアルビノの看病をしているアイーシャに声を掛ける。
「なによ?」
「そこの童貞のヒーローに、性の手ほどきでもやってくれ」
「は?」
なにを言っているんだとでも言いたげな表情でアイーシャはディルを見つめ、続いてディルの後ろに隠れている男を見る。
「なにを言っているんだよ、あんたは!」
顔を真っ赤にしながら男が怒鳴る。
「嫌」
続いてアイーシャが男にとっては最悪の返事をした。
「テメェが拒否することもあんのか」
「チェリーボーイは大好きよ。反応がたまらないくらいに可愛いから。けど、そこの童貞は食べたくない。強くない男と寝て、なんか意味あんの?」
生物界における真理のようなことを口にして、アイーシャがはっきりと拒絶した。
「大体、あんたより弱いじゃん、そいつ。私、あんた基準で男と寝るようにしたから、もう大半の男と寝てないし。ああ、アルガスだったっけ? あれも誘ってみたけど、あんたみたいにあしらわれたわよ。つまり、あれ以来、全く無しってわけ。ま、男と寝て実際にその男が私を守るために動くかって言ったらまた別の話だし」
気付かない内にアイーシャは身売りをやめていたらしい。
「そういうことだから、帰れ」
「なにがそういうこと、だ! あんたのせいで僕の秘密がバレたんじゃないか」
「クソガキ」
ディルは男の髪を掴んで引っ張る。
「ウザいんだ、俺の前からとっとと居なくなれ」
「はっ、そんな脅しには屈しないぜ。僕はヒーローだからな! 明日も明後日も、明々後日も、あんたの前に現れてやる!」
「ただのストーカーをするくらいなら」
ディルは男を部屋に引き入れる。
「コイツの面倒を見ることはできるか?」
「コイツ……? って、ドラゴニュートじゃないかよ! なんで特級海魔を匿ってんだ!?」
「匿ってんじゃねぇ、看病してやっているんだ。命を削る病に罹っているらしく、もうすぐ死ぬらしい。ただ、その死に目に会えないことも無きにしも非ずだ。俺とアイーシャが居ない間、テメェがコイツを見張るか面倒を見ろ。できなきゃ、この部屋の秘密を話す前に、テメェを殺さなきゃならなくなる」
だったら部屋に入れなきゃ良いのに、とアイーシャが言ったが、言われてみればその通りである。その通りではあるが、僅かばかりディルの中に残っていた“自身とアイーシャの居ないときになにかあったら”を消し去るには、三人目が必要になるのでは、と思った瞬間、体が勝手に動いていた。
「わ、分かったぜ。秘密の共有。これもヒーローの役目ってやつだな、ライバル」
「俺はライバルじゃねぇ……」
アイーシャに林檎を投げて寄越し、布団で眠っているアルビノの枕元にバナナを置く。そして自身は林檎を取って、残ったバナナを男に渡す。
「なにコレ?」
「外でついでに買って来たんだ、無駄にならない内に喰え」
「……ぷっ、あ、あははははっ」
堪え切れずに、と言った風にアイーシャがケラケラと笑い出す。
「なんだ?」
「あんた、怖い顔して、言葉で凄んでいる割に、行動が伴ってないじゃん。なにコレ? なんでついでに私やアルビノの分まで買っているの? おっかしいったらありゃしない。内面の優しさが駄々漏れよ、駄々漏れ」
「文句があるなら返せ」
「いーやーよ! 貰った物は絶対に手放さない。それが私だから」
言いつつ、アイーシャは林檎に齧り付いた。
「そういや、僕はまだあんたたちの名前を訊いてなかった」
「ディルだ」
「アイーシャ・クラレットよ」
「……なるほど、これがヒーローの元に集う仲間ってやつか」
「ああん?」
「なんか言った?」
「な、んでもないぜ。僕はクリスフォード・ノイン。よろしくな」
「テメェの名前なんざ訊いてねぇ」
リンゴに齧り付きながら、そう毒を吐く。
「なんだよ、両親から貰ったありがたーい名前なんだぜ?」
「あー、そういうの良いから。ディルも私も、そんなん、どーでも良いから」
アイーシャはクリスフォードの話題を煙たそうにしつつ一蹴していた。
林檎を食べ終えたディルは部屋の外に出て、大きく伸びをした。
「疲れてんじゃないの?」
そこに同じく林檎を食べ終えたのだろうアイーシャがやって来て、訊ねる。
「別に」
「……あんたのことはやっぱり、分からないことだらけ。まぁ、分かろうともしてないんだけど。好きか嫌いかで言えば大嫌いなクソ男だと私は思ってる」
「だろうな」
「でも、あんたの優しさだけは、なんとなく分かる。だから、あんたに徐々に人が寄って来る」
みんな風変わりだけど、とアイーシャは付け足して笑った。




