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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【約束と代償と空虚な男】
188/323

【-008-】

「へぇ、負けることもあるんだ?」

「殺すぞ?」

 ディルは仮住まいのプレハブの一室に向かう途中で声を掛けて来たアイーシャに向かい、殺気を放ちながら、分かりやすい言葉で脅す。

「けれど、それでこそ人間でしょ。勝ってばっかじゃ逆に怖い。負けることだってなきゃ、人じゃない。負けなしの人間なんて、人間じゃない。きっと、あのアルガスっておっさんだって、たくさんの敗北の味を知っているからこそ、ディルを負かすことができた」

「なら、俺に足りないのは敗北の数だって言ってんのか?」

「違うわよ。ディルに足りないのは、臆する心、よ」

「なに偉そうにわけの分からないことを言っているんだ」

 しかし、アイーシャの顔を見ていると自然と敗北の味が薄まって行く。恐らくは、この女には力尽くでも勝てるだろうという安堵感がもたらすものなのだろうが。

「さっきのは遮二無二突っ込んで、返り討ち。だったら、ディルに必要なのはあのアルガスみたいな、堂々とした臆する心。先手を無理に取りに行かず、後手で恐怖を流し切る強さ。戦いって、お遊戯じゃないんだから先に手を出した方が圧倒的に有利じゃないでしょ」

 それを臆する心と表現するアイーシャだが、ディルにはどうも意味合いが違うのではないかと思えてしまう。


 ディルが表現するならば、「ポーカーフェイス」と「観察眼」。戦闘中に限らず、戦闘に移るまでの一挙手一投足全てに目を見張り、それがバレないように立ち振る舞う。

 確かに、ディルはそんなことをしたことがない。いつだって相手を打ち負かすことだけしか考えて来なかった。だから、アイーシャの考察はある意味で有用だった。


「日本には岡目八目って言葉があるんだが」

「知っているわよ。外野じゃなきゃ分かんないこともあるみたいな。外野だからこそ、分かりやすいこともあるって言葉でしょ?」

「あんたのはまさにそれだな。次、当たったとしてもボコボコにしない」

「え、ほんと?」

「真綿で首を絞めるように、甚振(いたぶ)ってやる」


「それ、最悪なんだけど。って言うかさぁ、女をボコボコにするとか甚振るとか、あなたはどれだけバイオレンスなのよ」

「暴力を振るうと若干、性的興奮を覚えることがあるな。あんたと手合わせをして、俺があんたに暴力を振るえば、身売りの女らしく、俺を満足させられるんじゃないか?」

「それを私が採用すると思っているの、馬鹿なの? やっぱクソ男だわ」

 アイーシャは項垂れつつ、ディルの元から去って行った。今日は朝からアイーシャにアルビノの看病を任せていたため、昼食前のこのタイミングで役割交代したいらしい。彼女にも、手合わせの番は回って来る。要するに、プレハブの町に集う討伐者たちに暇を持て余す時間は無い。少なくとも、チームを組んでいる者たちは最低限度であれコミュニケーションを取り、そして攻撃のタイミングを見極めて行かなければならない。互いが互いを邪魔しないように戦うのは、付け焼き刃程度では無く、それこそ磨きに磨きを掛けた剣の如き研鑽を積まさなければならないのだ。


 独りのディルには、関係の無いことだが。


「お帰りなさい、ご主人様」

「……アイーシャは」

 下らなさに眩暈を覚え、頭を押さえながら続ける。

「お前になにを教えたんだ。あと、今日は起きていられるのか?」

「ご主人様という言葉に大抵の人間が惹かれると。今日は熱が低く、体を襲う痛みも弱いのでなんとか立っていられます」

「……俺に惹かれてどうするんだ、もうすぐ死ぬんだろ」

「どんな反応をするか、アイーシャさんがあとで報告するようにと仰っていたので」

「そうか」

 当たることがあったならボコボコにしよう。そうしよう。ディルが心の中でそう決めている中、アルビノは首を傾げて不安げにしている。

「ひょっとして、なにか不手際を?」

「いや、間違った知識を植え付けられているお前が少し不憫になっただけだ。死ぬ前ぐらいはまともな知識を持ったまま死んだ方が良いだろうに」


「でも、私はこれでもちょっとだけ嬉しかったりします」

 アルビノは微笑む。

「知らないことを知る。それがどれだけ下らないことなんだとしても、私としては嬉しい限りです」


「知らないことを知ろうとして、逆に失敗することもあるけどな。座っていろ、それか寝ていろ。ただでさえ部屋は狭いんだ。ウロウロされていると落ち着かない」

 ディルは素っ気なく返事をしつつ、畳に腰を降ろす。

「一つ、良いか?」

「なんでしょう、ご主人様」

「それはもう良い、そっちじゃない。俺が訊きたいのは、お前の知識だ」

「は、ぁ? あなたから訊かれることなら、基本的に多くは答えたいとは思っておりますが、なにせ里で得た知識しか私は持っていませんから」

「それだけで良い。お前たち海魔は、俺たち人間の持つ変質の力に弱い。銃弾を物ともしないお前たちが、変質が及んだ力に触れた途端に、皮膚が裂ける。どうしてだ?」


「“力の理”、とでも申しましょうか」


「……力の理?」

「私たち海魔にも、あなたたちと等しいほどの力を持っています。木火土金水の五行を、内に秘めております。私たちのようなドラゴニュートは、血統によってその中の一つを呼び覚まし、力とします。他の海魔に、私たちと同様の力があるかどうかは分かりませんが」

「それでどうして、弱くなる?」


「力と力は触れ合うと、弾けるのです。即ち、元来持っている力同士がぶつかると、互いの力が弾けて消える。それは一瞬であれ、纏っていた“力の理”が消え去るということ。消えた瞬間は、“力の理”の加護がありません。そのとき、攻撃を受ければ」

「皮膚が裂け、肉も斬ることができ、そして骨も断てる、か?」

「鱗の強度にもよります。海魔の鱗ばかりは、“力の理”を逸しています。力同士が弾けて消えても、鱗が強固であれば、斬るに届かず、裂くに至ることはありません。五行を内に秘めている。これはどの海魔にも言えることであり、しかし、ほとんどの海魔が知る由も無い力なのです。だから、人が五行の力を用いれば、それは海魔に有効となるんです。ただ……」

「ただ?」

「海魔が内に秘めている五行を知り、人間にそれを用いるのなら……人間は今以上に、海魔に苦しめられることとなります。私たち、ドラゴニュートが人間を襲わない種と襲う種がありますが、それでもドラゴニュートは早熟で短命、星の巡りに従い、死の輪廻を繰り返します。そもそも、種が少ないからまだ良いんです。これが、種の多い海魔に起こる変調であったなら」

「それは進化と呼んで差し支えなく、人間にとって最大の脅威となる、か?」

 ディルはアルビノの先の言葉を読んで、口にする。

「はい……残念ながら、私たちは人間を狩るか狩らないか、単純に言えば二種に分かれますが……人間の滅亡には、共通して興味がありません。下等な海魔が進化したとしても、私たちは変わらず、人間を狩るか狩らないかの二択しか行わず、下等な海魔に力を見せ付けるため戦うなどということは、きっとありません。人間を助けるドラゴニュートが居るのなら、それはきっと、考えと計画を人間の手で覆されたとき、ぐらいです。そんなこと、恐らくは一生、訪れることはありませんが」


「けれど、海魔の進化は必ず訪れる?」

 アルビノは静かに肯いた。

「……力と力がぶつかって、弾けて消えた瞬間に、守るものが無いから刃が通る。これでようやっと海魔に人間の刃が通る、か。逆に海魔は人間の力を弾くまでもなく、殺すことだってできるってのに、これで力の使い方まで理解した進化した種が現れたら、人間は滅ぶ……まぁ、あり得ない話じゃない。だが、今じゃない」

 ディルは俯いているアルビノに続ける。

「そんなことは誰だって想像する。だが、今じゃない。数年後なのか数十年後なのか、それは分からない。それだけ先に、人間が生きている保証も、無い。だが、伊達に生物界の頂点に長らく君臨していない。俺は数十年後も人間が滅んでいないことに、賭ける。たとえ海魔が進化したとしても、必ず打ち砕く力を持つ者は現れる。そうやって、生存競争を生き抜き、勢い余って戦争なんか起こしてしまった人間が、海魔の進化如きで挫けるわけが、無い」


「あなたは、未来に悲観的じゃなかったんですか?」

「俺の人生に悲観してはいるが、人類の未来を悲観したことは無い。興味が無いこともそうだが、きっと俺は人間は生存し続けることを本能的に察しているんだろう。星でも落ちて来ない限りは、滅ばない。星が落ちたなら、海魔も滅ぶかもな」


 そういった、人類の破滅という話はなにも海魔の登場によって出て来たものではない。どの時代、どの国にも終末論者と呼ぶべき人間は居るもので、小惑星の激突、地球内部の爆発、太陽の焼失、氷河期の再来、マヤ、アステカ、インダス、果てには大予言に至るまで、とにかく人間は積み重ねて来た知識や地位の崩壊を恐怖し、それらの訪れを度々、危惧して来た。ところが、それらが結局のところ、今の地球に影響を与えたことは一度も無い。そういった者たちが予想だにしなかったことが起きていることだけは否定できないが。


 クトゥルフ神話は架空の神話ではあるが、海魔を体現できているかも知れない。どちらにせよ、そこに登場する『深きものども』にしか似ている面は無い。マーメイド、サハギン、ギルマン、マーマンなどという種別分けも、作り話から引っ張って来たものに過ぎない。海魔の登場以前に、そういった半人半魚のような創作物が存在していたことも驚くところではある。


「星の巡りを崇拝する私たちにとっては、星が落ちるなどと言う話は侮辱に値します」

「そりゃそうだ。俺だって言い過ぎたとは思っている。だが、地球が惑星という天体である以上は、踏まえておかなければならないことなんだ」

 非はあったとしても、謝らない。どれだけ酷いことを口にしようと、ディルは謝るという考えを抱くことが少ない。このアルビノに対してだけではなく、他の討伐者や一般人、使い手における誰にも謝罪の意思を見せたことはほとんど無い。


 善意や慈善なんて甘いものに倒錯するつもりはない。正義だって持ってはいない。だったら自身が振るうのはいつだって『偽善』である。だから、偽りの善意によってもたらされた非に対して謝るのは筋違いだと、思っている。相手が『善意』と信じた方が悪い。何故、偽りの善意だというのに、善意だと勘違いするのか。最初に見抜いてもらわなければ困る。そんな風に、加害者側では無く被害者側意識を常々に、抱く。それを非情、卑怯と罵られても、心はちっとも痛まない。


「人間は、五行を扱う者の中でも、一つ以上を扱う者もいらっしゃいますね?」

「ああ。ソロ、デュオ、トリオ、カルテット、クインテットに分けられる。ソロ以上に覚醒する理由は、不明だ」

「私たちは“昇華”と呼んでおります」

「ドラゴニュートには分かっているのか?」

「“力の理”は内側にあるんです。ただ、人間は脆く、その力に弱い。自身の許容量を超える力は、身体の崩壊を招く」

「強力な兵器ほど、相手に与える影響が強いように、か」


「はい。昇華する者――人間の言うところの、ソロがデュオに、デュオがトリオになる瞬間、人間は(たが)を外すんです。つまり、鎖で繋いでいた部分を、許容できない力を強引に、引きずり出す。それが昇華。ただ、現れてもトリオまででしょう。カルテットまで至り、そして生きていられる人間はまず居ないはずです」

 ディルは討伐者と協力して戦ったことはほとんど無いが、トリオの討伐者がカルテットになったそののち、数日も経たずに死んだという噂話を耳にしたことがある。もしもカルテットで生き残り、クインテットになったとしても、星の瞬きの如き一瞬でしかないということだ。自身はソロから全く成長していないが――どれだけ力を求めてもソロのままだが、それは“約束”が体に楔を打っているからなのかも知れない。

「強引に昇華を促すことはできるのか?」


「それは……難しいでしょう。希望の崩壊、絶望の胸中、復讐の心情。なにもかもがどうでも良くなったそのとき、人間はようやく、鎖から解放されたケダモノに堕ちることができるのですから。ただ……一つだけ。一つだけ、感情を鎖に繋いだまま、ケダモノに堕ちないまま、それでも異常な精神になりつつも、身体の崩壊を防ぐ手立ては、ありますが……」


 その先をアルビノは語らない。恐らくは、ディルに語る価値も無いことだろうと彼女が判断したからだろう。そういったとっておきは、誰にも語ってはならないものなのだから。

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