【-006-】
「あなたさぁ、『金使い』なら外套の色を灰色にしなさいよ。黒の外套なんて使っているの、あなたぐらいでしょ」
討伐者は外套で色分けされているのが通例となっている。ただし、戦闘では邪魔でしかないこんな外套での色分けに討伐者は異を唱えているので、近い内に別の判断材料が加わるのではないかとも噂されている。が、現状は『木』は緑、『火』は赤、『土』は黄、『金』は灰、『水』は水色の外套を纏うことになっている。そうでなくとも、それに近しい色なら認められる。
今日、手合わせを行った『火使い』の男は白の外套を纏っていたが、あれはあの男のカリスマ性を持った弁舌によって成せる技であって、誰もが許されるわけではない。そしてディルの黒い外套も、査定所からは許されていない。許されてはいないが、改めるつもりもない。そんなことを繰り返している内に、査定所からの申告は来なくなった。そのため、このプレハブの町では黒い外套を纏っているのはディルだけなのだ。それがよけいに人目に付き、奇異の目で見られる要因になっていることには薄々、気付いてはいるが、それで外套の色を変えようという気には決してなれない。ただし、討伐者は外套を着ることを査定所が決めているため、この邪魔臭い外套を脱ぐことだけはできないのだ。
ディルは暗い色が好きだ。そして黒であれば、深夜に海魔からの襲撃があったとしても暗闇に紛れることで、逃げることも、そして後手に回った海魔を討つことさえできる。だから、ディルはこの邪魔臭い外套を、邪魔臭いなりに戦闘において有利に用いられるように、黒にしている。
「陰気で、根暗で、周りに八つ当たりをするのが大好きなんだ。だから、こういう色の方が良いだろうと、俺は思っている」
屋根から降りて来たアイーシャに、それとなく伝える。
「そんな考えだからよけいに陰気で辛気臭くて根暗だと思われてしまうんじゃないの?」
「周囲からの評価に興味は無い。俺が俺を評価する分には興味があるが……だからお前の言葉のどれも、興味が無い」
「うっざ……童貞以上のウザさ。こいつの弱みを握ったはずなのに、なんで私が言うことを利く側になっているのよ……」
「それは、お前が俺より弱いからだろ」
ディルから溢れ出る威圧感にアイーシャが戦う前から負けた。ただそれだけのことである。だから彼女も、その言葉を前に出されてしまっては黙ることしかできない。それ以外になにかしようものなら、ディルは問答無用で蹴り飛ばそうと考えている。
「ドラゴニュートの女の名前はアルビノだ。お前の俗に塗れた言葉で、混乱させるな。人質でもないが、一応は丁重に扱わなきゃならない相手だ」
「分かっているわよ」
アイーシャは答え、ディルの一室に足を踏み入れる。
「なんで、こんな……なんにも、無いわけ?」
絶句していた。ディルにとってはこれが普通だったのだが、どうやらその普通は通常のそれとは掛け離れているらしい。
ディルの部屋には必要最低限の生活用品しか置かれていない。飾り立てるものはなにもなく、飾るような物も一切無い。昔の写真を持ち歩く、などという哀愁漂うようなことをディルはしない。そもそも、そういった物は全て燃やした。
なにもかも捨て去った。いや、置いて来たのかも知れない。罪から逃げ出せないような気がしたためだ。
「どうせ首都防衛戦で死ぬ。飾る物があるだけ無駄だ。必要最低限の物があれば、どうだって良い」
「それにしたって、もうちょっと戦利品ぐらい並べるもんでしょ。大体の討伐者は並べてたわよ。その大体が気持ち悪いテクしか持っていなかったのが問題だったけど」
「お前の価値観なんて、知らない」
言いつつディルはアイーシャをアルビノの眠っている布団の前まで通す。
「アルビノ」
「なに?」
寝込んだまま、アルビノは首を動かしディルを見つめる。
「お前を看病する人間の女が増えた。男の俺では、手を付けられないこともあるからな」
「初めまして、アイーシャです…………なに、この子。凄く、綺麗。肌も白いし、透明で、見惚れちゃう。でも…………薄命、過ぎる」
「はい。私、もう少しで死ぬと思いますから」
「そっか……そ、っか。ねぇ、クソ男」
「なんだ?」
「私、ちゃんと言ったことは守るわ。この子をこの目で見たら、あなたを馬鹿になんてできなくなった。真剣に……って、こんな真剣になったこともないような馬鹿な女だけど、これだけは、やらなきゃ、って、本能が言っている」
アイーシャから普段から発せられる、身売りする女特有の蠱惑的な雰囲気が消えた。それだけ真面目に取り組むということだろう。
「頼む」
「私と知り合う人間が増えれば、苦しむだけなのに」
「それでも、お前が病に罹っていることを知らない連中に狩られることだけは勘弁だ。お前は病で死んで行け。ここで、死んで行け」
「なに酷いこと言ってんのよ」
「いいえ、それが良いんだと私も思っています。限られた誰かに看取られる。それが一番、物事が穏便に済みますから」
「……そう簡単に、看取る気は無いんだから」
アイーシャは衝動かなにかに駆られているらしい。悔しそうに、そして負けるもんかと唇を噛み締めている。
それは、ディルがかつて持っていた感情だ。衝動に駆られ、それが求めるままに、ひたすらに生き足掻き続けた感情だ。だが、もうそれが心に残っているかどうかは、分からない。
自分のことは自分が一番良く知っている。そのはずなのに、ディルには自身の心になにが残っていてなにが残っていないのか、どれだけ傷付いていてどれだけ傷付いていないのか、分からないことが多い。
戦いであったなら、分かることの方が多いのに。
或いは、戦場に立ち過ぎたから故の弊害なのだろうか。
「下らないな」
ポツリと呟き、ディルは外に出る。
この世界は腐っている。人の心も腐っている。ディルはそんな最中で産まれた。
つまり、産まれたときから地獄は始まっていた。
それでも僅かな希望があって、僅かに綺麗な水があった。
そこで遊んでいただけなのに。
そこで約束をしただけなのに。
どうして今、こんなことになっているんだ。
「クソ」
そのとき自分に力があったなら、そのとき自分に覚悟があったなら、そのとき自分に、今ほどの戦う術が身に付いていたならば、こんなことにはなっていなかった。
だが、それは責任逃れに過ぎない。
そのとき自分に力が無く、そのとき自分が臆病で、そのとき自分に、戦う術が無かったからこそ、今のディルが居る。そのときに味わった悲しみをバネに、苦しみと辛さを糧に生きて来たからこそ、こうして立っていられる。“そのとき”が無ければ、現在の自己が死ぬ。それはアイデンティティの崩壊だ。だから、認めなければならないのだ。
こうなったことの全てを、受け入れなければならない。
「そんなこと、できるか」
できない。
できるわけがない。
どうして自分が悲嘆に暮れなければならないのか。
どうして自分だけが苦しまなければならないのか。
どうして自分だけが生きていなければならないのか。
どうして自分だけが、自分だけが、自分だけが――
狂っている。
狂わされている。
しかし、まだ歯止めが掛かっている。壊れるにはまだ早い。
復讐を果たすまでは。
きっと現れるであろう、あの海魔と出会うまでは。
ディルは壊れるわけには行かないのだ。
絶対に。




