【-005-】
「調子はどうだ、アルビノ?」
ディルの帰りを待ち侘びていたかのようにアルビノは布団から上体を起こし、朗らかな笑みを浮かべる。しかし、その笑顔もディルには届かない。傷付いた心は同時に凍て付いている。暖かさを感じない。
ディルの心を溶かせる人間は、もうこの世には居ない。
「今日は調子が良い方。でも、どれだけ看病をしても、この病は治らない。いずれ私の命を削り切る。だから、早く私を殺して」
「それだけ喋ることができるなら、まだ殺さなくて良いだろ」
果たして、殺せるだろうか。
この「殺して」と懇願するドラゴニュートの女を、自らの振るう刃で殺すことができるだろうか。ディルには、そればかりは想像できない。
「外が騒がしいけど」
「首都防衛戦が近いからな、みんな気が立っているんだ」
「……特級海魔の私が言うのもおかしな話だけど、それでどれくらいの人が、死ぬの?」
「きっと、ほとんどが死ぬ。俺も生きていられるかは分からない。死に場所を求めた結果、ここだったのかも知れない。生きることを約束にして生きて来たけれど、そろそろ限界だから」
彼女の居ない世界に居続けることは、苦悩でしかない。
苦痛でしかない。
彼女を喪ったあとの人生は、省みれば空白ばかりが見える。そこを埋め合わせるような温かい記憶は、見当たらない。
「そう」
アルビノは呟く。
「私も死に行く命だけれど、あなたも死に行く命なのね」
「どうだろう、死ぬ運命にある種族なのかも知れない」
座椅子に腰掛け、ディルは答える。
ドラゴニュートの看病など、やり方など当然知らない。人間の薬が効くわけがない。ならば、彼女の苦痛を和らげることは決してできず、そして罹っている病を治す術も、無いのだろう。ドラゴニュートの叡智を持ってしても、彼女は助からないのだ。だから自棄になり、殺されに来た。そう考えれば、アルビノの取った行動のほとんどは説明でき、そして解決できてしまう。
「熱も下げられない。特効薬も無い。だからいずれ、お前は死ぬ。俺はただ、それを看取ることしかできない。穏便に事が運べば、だが」
「病で死ぬくらいなら、いっそあなたに殺された方が良いと私は思うのだけど」
「だから、お前を殺したら良好だったドラゴニュートのコロニーと険悪になってしまうかも知れない。俺はお前を殺せない。お前には、俺を殺す機会が幾らでもあるかも知れないが」
「それは嘘。あなたは一度だって隙を見せない人間。こんな私に殺せるはずがない」
中らずと雖も遠からず。アルビノに隙を見せたことは、彼女をここに連れて来てから一度も無い。睡眠を取るときでさえ、それは変わらない。鋭敏になり過ぎた感覚は、ちょっとした音にも動きにも反応し、即座に体が防衛本能によって動かされる。
「アルビノ、訊きたいことがある」
「なに?」
「お前たち海魔は、どうして『穢れた水』の中でも生きて行ける? どうして『活きた水』を嫌う? 何故、この世にお前たちが産まれ、そして『穢れた水』が溢れるようになった?」
「それ、は……分からない。私は気付けば生を受け、気付けばこんな、体を得ていた。『穢れた水』があなたたちに毒で、私たちにとっては飲み水にもなるのも、分からない。ただ、私たちは『活きた水』を嫌ってはいない。私たちは『活きた水』の中でも生きられるもの」
「海水と淡水の違い、みたいなものだと思っていたが、違うのか」
「ええ、生きられるわ。飲むことだってできる。ただ、あなたたちのような……討伐者の『水』は、私たちの害になる。あと、私たちのような特級に属する海魔は『生きた水』を飲めるけど、ひょっとしたらあなたたちが分類する、下等な海魔は、飲むことも住まうこともできないかも知れない。そこまでの適応力を有していないから」
「……なるほど」
ならば、あのとき。
ディルの未来を喰った海魔が、『活きた水』の中に潜めていたことのにも肯ける。認めたくない事実では、あるが。
「こんなことを人間に話して良いのか、分からないけど」
「そんな重大なことだったのか?」
「いいえ、そうではないけれど。そんな風に、訊ねられたことは一度も無いから。こうして人間と話すのも初めてだもの」
「そうか」
ディルが肯いたことを見届けたのち、アルビノはまた横になった。話している内に具合が悪くなったのだろう。
「助けたいわけではないが……病に命を削られる日々は……辛い、か」
怖く、苦しく、辛く、逃げ出したい。病に罹った直後ならば自決する力もあったのだろうが、それも、もう持っていないと窺える。だから唯一の、逃げ出す行為さえできなくなってしまった。それが幸運なのか不運なのかは、彼女を取り巻く現実によって異なる。そこにとやかくは言わない。そもそも、ディルには言う権利が無い。
「……盗み聞きをしているのは、誰だ?」
冷静に、そして冷淡に言い放ちながらディルは立ち上がり、プレハブ小屋の一室から外に出る。しかしそこには誰も居ない。だからと言って、逃がすつもりもない。憶測を立て、ディルは地面を踏み締め、金属の土台を作ると、それを足場にして屋根に飛び移る。
「ちょ、なんでバレて、なんでここに隠れていることにも気付かれてんの?!」
「お前か」
金と白の髪を持つ女が慌てふためいている。
「なにを聞いた? 洗いざらい白状しろ」
「なにも聞いてないし!」
「そうか」
言って、ディルは女に近付く。
「次と言わず、今ここでボコボコにするのも悪くは無い」
「ひっ……! 待って、待ってってば、このクソ男! 話すから!」
女はそこで一呼吸置いた。
「ドラゴニュートの雌を看病しているんでしょ? あと、その女から気になっていた海魔の事情について、訊ねていた」
「ああ、そうだ。まさか盗み聞きしているとは思わなかったが」
「待ってよ! 誰にも言わないし! そ、そうだ……っ! 私にも看病を手伝わせてよ!」
「手伝う?」
「なにも無いところから水ぐらい持ち運べるし、あとはドラゴニュートの雌でしょ? 特級海魔でも性別で言えば女でしょ? 男じゃ手間の掛かることも私がやるし、それでどう?」
「……悪くはない。けれど、まずはその大声をやめろ」
「わ、かっ……た」
ディルに気圧されて、女は静かになる。これでこの女が周囲に言いふらしたなら、ただボコボコにすれば良い。それだけで事は収まらないかも知れないが、ともかくの元凶に報いを与えることはできる。
「ちょっと待って、あなた、名前は?」
「ディル」
「ディルって、それはハーブの名前でしょ? 本名は?」
「本名をお前に名乗る理由がどこにあるんだ? 俺は討伐者になってから、ディルで通っているんだ。それで、お前の名前は?」
「……アイーシャ・クラレット」
「容姿と名前がそぐわないのも珍しいな」
「なによそれ! 可愛らしい名前付けられて、こっちだって困ってんのよ! でも、こういう名前の方が男受けが良いんだから!」
「ああ、そう」
女――アイーシャに興味なさ気ににそう返し、ディルは屋根から地面に降りた。




