【-004-】
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「あなたは、誰とも組んでいないんだろう? そんなことじゃ、この作戦では生き残れないよ」
今日の手合わせの相手は、以前にも増して鼻に付く男だった。ディルとは真逆の人生を歩んで来たのだろう、充実感を全身から放っている。
生きるための努力はした。けれど必ずそこに評価が加わった。周囲はいつも男を認め、その能力の高さを褒め称えたのだろう。だからこんなにも鼻に付く。誰にも褒められず、むしろ誰からも認められないディルにとっては、太陽よりも厄介な光に見える。
「お前は、どうして討伐者になった?」
「それが“正義”だからだよ。海魔からこの国を救う。それこそ、まさに僕のするべきことだと思ったんだ。あなたは違うのかい?」
「違うな」
ディルは男の言葉に思わず笑ってしまう。
「なにかおかしなことを言ったかな」
「いいや、なにも。ただ、お前は俺よりも弱いだろうな、と思っただけだ」
「……コミュニケーション不足は、死を招くよ」
「構わない。むしろ、死ぬ気で生きている。お前とは、違うよ」
男はその容貌に似つかわしくないほどの苛立ちで顔を歪ませていた。言う通りにならない者が目の前に居る。それがとても、気に喰わないのだろう。
「今日は変質の力も用いた実践的な訓練と聞いたけど……殺してしまっても、それは不可抗力だから」
「お前に殺人なんかできないな、絶対に」
鼻で笑い、ディルは男から距離を取って、構える。男はムシャクシャしているのか、髪を少しだけ掻いて、戦闘に意識を没頭させるために集中力を高めている。
「始めっ!」
行き過ぎた訓練を止めるための――形だけの審判が、合図を出す。男は十字を切って、炎から剣を作り出した。空気中の酸素に語り掛けて、燃やしているといったところだろうか。ディルはすぐさま飛び掛かりはせず、地面を強く踏み締めて、金属の剣を作り、手に取る。
「『金』は『火』には敵わないよ。そんな剣、簡単に溶かしてあげるよ」
男は自信満々に言い放ち、そして地面を蹴って、ディルへと駆ける。足運びは、これまで手合わせをした、或いは吹っ掛けられた討伐者の誰よりも自然で、そして速い。ただし、どこか付け焼き刃なイメージが隠し切れていない。恐らくは型を決められずに居る。自身の戦法を決められていないから、あれやこれやと手を出しているのだろう。ディルがまだ、自分の得物が剣で良いのかどうか迷っているのと同じということだ。
だが、得物に迷いがあるのと、戦法に迷いがあるのとでは天と地ほどの差がある。男はなめらかに距離を詰めて、炎の剣を繰り出して来るが、その熱気を物ともせずにディルは上体を逸らしてかわし、続いて、男の軸足となっている右足をただ乱暴に蹴り抜く。
「っ!?」
痛みに悶絶し、男の体が傾ぐ。しかし、すぐさま持ち直し、切り抜いた剣を返して来た。それを金属の剣で受け止めてみたが、男の言った通り、炎の剣はたちまち、ディルの握っていた剣を溶かしてしまった。これでは得物は役立たずだ。
「どうだい?」
「なにが?」
やってやった、とでも言いたげな男にそう呟いて、ディルは更に続く炎の剣戟を避けて、もう一度、軸足となっている右足を蹴り飛ばす。傾ぎ、今度は持ち直せていない。重心が地面に向かっている男の横に回って、腹部に膝をぶつける。呻いた男の両足が地面から離れた。それを見てからディルは左足で地面を踏み締めて、靴の一部を金属に変質させ、今にも倒れそうになっている男の腹部に今度は遠心力を加えた回し蹴りを叩き込んだ。衝撃を殺せず、男はぶっ飛んだだけでなく、地面に数度、体を打ち付けて、動かなくなる。
「足りないんだよ」
吐瀉している男に、ディルは近寄って上から見下す。
「『火』は『金』に強い。確かに得物は溶けた。で? 溶かしてどうするんだ? そこから、どうやって俺を切り裂けると思った? そこまで考えられていないんなら、お前の剣は俺には届かない。俺はお前に溶かされるだろうと仮定して、そこからここに至るまでの全てを考えた。お前とは、違う。なんでも出来て、優しく声を掛けてもらえるお前とは違うから、俺はただ孤独に勝つ術だけを反芻する。周りが囃し立てない分、加減が分からなくなる」
金属に変質させた靴底で更に地面を踏み締め、金属の刃を持たせる。
「力を使っても、使わなくても、俺はお前より強い。ただ、勢いあまって殺すような間違いだけは犯さない」
ボソボソと呟きながら、ディルは地面を見ている男の首元に刃を伴った靴底を当てるが、そこで止める。地面を踏み締めて、靴底を薄い金属の膜に変質させて歩きやすくしたのち、男から踵を返して歩き出す。
「あなたみたいな力は、有用で、価値のあるものなのかも知れない。けれど、そんな態度じゃ、誰もあなたを分かってはくれないよ」
「分かってもらおうとしてないからな。そこだけは、お前の勝ちだよ」
男にそう言い残し、或いは負け犬の遠吠えをしたのち、ディルは広場から離れた。すると、倒れている男を気遣って多くの討伐者が駆け出した。中にはディルを非難するような声もあったが、そんなものは喧騒の一つに過ぎず、どれもこれもが似たような罵詈雑言で、逆に笑えてしまう。だからちっとも痛くない。傷付いた心はもうこれ以上、傷付くことはない。
「ハロー」
「……またか」
遠巻きに見ていたのだろう、数日前に言葉を交わした女と出会う。
「私と寝ないなんて、損だと思うけどなー。こんな良い女、他に居ないよ? テクも凄いんだから」
「下品だな」
「げひ……っ! カチンと来る言い方をしないでよ!」
「お前、そうやって生きて来たんだろ? 体も武器にして、生き抜いて来た。そうしなければ生きて行くことができなかった。ここじゃ、そんなことをしなくても、逃げ出すだけで生きていられる。死ぬ気が無いなら、作戦なんかに参加しなくて良い」
「うるっさい! あなたに私のなにが分かんのよ!! 戦場と喧騒と騒音こそが、私の居るべき場所なの! それ以外に、私の居場所なんかない!」
女は強く抗議して来るが、男の心には響かない。
「だったら、強いのか?」
「当たり前でしょ。強くなきゃここに居ない。『水使い』で討伐者をやっているなんて、珍しいんだから!」
「特権階級を捨てて、か」
「私は『水使い』を特権階級とは思えなかったのよ。って言うか、そんなこと考える余地も無いほど、生きることで精一杯で……もう、なんであなたに、こんな話を」
「次、手合わせをするときはお前で良いか?」
女は「へ?」と口にする。
「もしかして私に惚れ、」
「強気の女をボコボコにすることができるのは、この時ぐらいだろうから」
「ぶっ殺す! 絶対にぶち殺す!」
呪いのような言葉を浴びせられながら、ディルは女の横を通って、仮住まいの部屋に戻る。




