【プロローグ 03】
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「頭が痛ぇ」
「飲み過ぎだ、ディル」
「テメェが飲ませたんだろうが、この飲んだくれめ!」
「ほぉ? 言うようになったじゃないか。けどなぁ、俺の注いだ酒を飲んでいたのはテメェだけじゃねぇぞ? テメェ以外の全員が、あの場では酒を口にした。要するに、テメェは誰よりも酒に弱いってぇことだなぁ。まだまだ青臭い餓鬼じゃねぇか。ははっ、嗤えてしまうなぁ!」
ナスタチウムの豪快な笑いに、不服そうにディルは睨みを飛ばしたあと、頭を押さえる。
「言っておくが、テメェ以外はみんな、もうここの後始末をしているぞ? 『正義漢』も二日酔いの様子は無かったなぁ」
「ちっ!」
そのことだけがなによりも屈辱的だった。戦闘では一度も負けたことがない。口喧嘩でも連戦連勝だ。しかし、口喧嘩ではなく口論になれば、負ける。そして、酒もまた、ジギタリスには負ける。ディルにとっては、あの男に負けた一面が一つでも二つでもあることが、嫌なことこの上無いのだ。
「けどさぁ、どうすんのぉ? 二次元もビックリな展開になってるんだけど、ディルは気付いているかい?」
ケッパーが木の人形に書類整理の作業をさせながら声を掛けて来た。
「なんの話だ?」
「マジで、ガチで、本気で言っちゃっているよ……ほんと、君と『正義漢』は厄介だなぁ」
「だからなんの話だ?」
「テメェで気付け、クソガキ」
「飲んだくれにそう呼ばれるほど、俺はもうガキじゃねぇ!」
確かに昔、そう呼ばれてはいたが、今、クソガキと呼ばれる筋合いは無いだろう。
「心の一部がクソが付くほどガキだっつってんだよ。股間にぶら下げてるもんは厳ついクセに、どうして大人になり切れていない部分があるんだか、俺にはさっぱりだなぁ」
「うるっせぇ……俺はテメェのモノを引き千切りたくなった。触りたくはねぇが、テメェが静かになるってんなら潰すのもありじゃねぇかと思えて来るんだよなぁ……ああ、マジで」
「二人はいつもいつも、ぶら下げているモノやら、引き千切るやら潰すやら、こっちが縮み上がることばっかり言ってんだもんなぁ。これでシラフってのが、よけいに厄介。お酒を飲んでいる方が正直、ディルは静かになるから、飲んだくれの代わりに全てのお酒をディルが飲めば解決しそうな話だねぇ」
ヒィッヒィッヒィッと引き笑いをしつつ、ケッパーは抗争が激しくなりそうなことを呟いた。
「それで、ここからは冗談抜きの話だ」
いがみ合っていたナスタチウムが、水筒に注いたのだろう酒を呷りつつ、急に声色を変える。
「テメェはあと、自分の体が何年持つと計算している?」
「さぁな。その話はケッパーともうしている。見積もって五年ってところだと、想定はしているんだが」
「僕は十年ぐらいかなぁと思っているよ。ディルより乱暴に力は使って来なかったからね。まぁ、背骨が歪み始めているから、徐々に歩けなくなって来るんだろうと思うと、ちょっとした恐怖はあるよ。最終的には、全く体を動かすことができなくなるのかな」
「テメェの猫背はそのせいって言いたそうだが、二十年前から猫背だっただろうがよ」
「えぇ!? まったまたぁ、そんなバーカーなー」
ケッパーはナスタチウムのツッコミに対して、オーバーなリアクションを取ったのち、大きな溜め息をつく。
「そう言うナスタチウムはどうなのさ?」
「俺はもう二年も持たねぇな」
「はっ、飲んだくれで豪胆な輩に長生きされたら迷惑だからな。それぐらいがお似合いだ……だからって、自分で見積もった通りに死なれたら困るが」
ディルはナスタチウムに、僅かばかりの心配の言葉を付け足す。
「ハッハッハッハッ!! 皮膚の再生速度は力に目覚めてから、ずっと続いているもんなんでなぁ。これでもこの歳まで生きているのが不思議なくらいだってんだよ」
豪快には笑っているが、ナスタチウムはどこか憂いを帯びた表情を浮かべている。
「手の付けられないクソガキどもより先に逝けるようでなによりだ。テメェらの死後の後始末なんざ考えることもできねぇからな。俺はさっさと現世からおさらばして、あとはテメェらに任せて、楽をさせてもらうんだよ」
「どこまでも人に苦労を掛ける年配者だな」
「先駆者と言ったのはどこのどいつだ? 俺の全ては、あの餓鬼に叩き込んでいる。飲んだくれまで真似されたら困るが、反面教師ってやつだな。酒は大嫌いらしい。で、テメェらはどうだ? 叩き込み終えているのか? 『人で無し』はまだだと言っていたぞ」
「僕は追々、かな。あの“人形もどき”自身が、それを望まないといつまでも僕は教える気は無いよ。リコリスの連れていた子には、時間の掛かる変質をパスする変質をチョイチョイと教えたけどね。どうやらそれが、あの標坂 鳴という子を止める決定打になったとか」
「ディルは?」
「……はっ、俺の技術を教えて強くなるかよ、あのクソガキが。まだだ、まだ足りない。俺の想像を越えるには、まだ達していねぇ」
唐突に視線に入った、窓の外の夕暮れを眺めながら、ディルはそう返した。




