【プロローグ 02】
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「そういやさー、クソロリは男女の愛の深め方とか知ってんのー?」
『下層部』の施設にある書類を片付けている雅に飛んで来たリコリスの言葉に、手に持っていた書類を全て床に落としてしまう。
「な、なななな、な」
「これでもだいぶ、マイルドにしてみたんだけどー? もっとド直球に言っちゃっても良い?」
「言っちゃ良くないです!」
雅はばら撒いてしまった書類を積み重ねて、近場のテーブルに置く。
「でも、これから大事でしょー? クソロリも寡黙ロリも、いつかのときに備えて知識だけでも頭に入れとかなきゃ、さすがにマグロはまずいっしょー」
隣で書類を同じく片付けていた鳴がつんのめり、そして雅と似たように書類を床にぶち撒けた。二人揃って弄ばれている。分かっているのに、強く拒絶できないのは、人並みにリコリスの言葉に興味があるからなのかも知れない。
そういった卑猥なことから避け続けていた雅であっても、敬慕が恋慕だったのだと思ってしまった以上は、もう止められない。だから、知っておいても損は無いのではと、顔を真っ赤にしながら、今にも倒れてしまいそうな眩暈を覚えながら、考えてしまう。それは鳴も同じようで、彼女の耳朶も真っ赤に染まっている。
「まー問題は、対象外なところにあるんだけどー」
「対象外、対象外……対象外……」
ブツブツと鳴が呟く。
「そー。さすがにロリを抱くほど、あの二人もクソってないからさー」
『抱く』という単語に過敏に反応し、雅と鳴が同時にテーブルに突っ伏す。すると積み上げていた書類が全てその衝撃でバラバラになってしまった。
「あの……リコリスさん」
「なにかなー?」
「使うか、は、ともかく、と、して! 独り言みたいに! 喋ってもらえませんか?」
頭の中は既に沸騰している。しかしながら、リコリスにそのように提案をしてしまったのは、やはり興味を持ってしまったから、としか言いようがない。隣に居る鳴も、雅の意見に同調しているのか首を縦に振っている。
「ふーん、ちょぉっと刺激が強い話だけど、耐えられる? ってか、二人揃って興味津々なのに避けてる感じが、かーわいいー。それじゃーまずねー」
そこから語られることの数々は凄まじいほどに衝撃的で、凄まじいほどに強烈だった。聞かなければ良かったと思うほどに刺激が強く、聞いている内に胸の内がジンジンと熱くなってしまうほどである。鳴はもう目を回して倒れてしまいそうになっている。
「それでー……あ、ヤバーい。今日はここまでねー、正義が大好きなジギタリスが巡回に来るからー」
そう言って、逃げるように水に溶けてリコリスがその場から居なくなった。
「さっきまで、リコリスが居たようだけど」
逃げ切ったは良いが、ジギタリスにはお見通しのようだった。しかし、彼女がなにを語っていたかまでは、さすがにこの男の耳には届いていないだろう。
「なんだ? 想定の半分も纏められていないじゃないか。君たちが自信あり気に、この書庫の整理を言い出したんだから、サボられると困る……鳴?」
「……雅、お願い。私、顔、見られないから」
どうやら鳴は、先ほどのリコリスの話で頭の中は一杯らしい。そこに意中の相手がやって来たとなると、彼女も動揺を隠せないようだ。しかし、ここに来たのがジギタリスではなくディルだったなら、雅もきっと鳴と同じように顔を合わすことさえできなかっただろうから、このお願いには友人として、応じることにした。
「鳴はちょっと疲れているみたいで」
「それは、大変だな。どこかで寝かせた方が良いかい?」
「ちょっと疲れているだけですから! 仕事も、夕方までには終わらせますから!」
「……ふむ、そこまで言うなら、僕も口を酸っぱくしたりせずに済みそうだ。ただ、鳴の調子が本格的に悪いようだったら、ちゃんと知らせて欲しい。僕は別のところの様子を見に行って来るから」
「はい、分かりました」
ジギタリスが部屋から立ち去り、鳴がようやくテーブルに突っ伏していた顔を上げる。
「真っ赤になりすぎだよ、鳴」
「雅だって、ジギタリスじゃなくてディルだったら、真っ赤になっていた、でしょ」
「そうかも」
「……リコリスの言っていたこと、ほんとのことなのかな?」
「多分、全部、ほんとのこと」
「私、まだ当分は無理、っぽい」
「それは私も」
語られた数々が全て事実なのだとすれば、そんなことをする勇気は無い。リコリスの話す全てはとても生々しいものだった。襲われそうになった際には、男女のそういった行為には恐怖しか感じられず、そしてそんな行為は無くなってしまえば良いと思っていた。しかし、意中の相手が居るとなれば、その行為があまりにも想像を絶しており、気が遠くなるほどに現実離れしている。
「抜け駆けは、駄目」
「は!?」
「雅、抜け駆けしそう。ズルい」
「しないし! そういう鳴だって、抜け駆けしてジギタリスと、」
「その先は言わないで!」
こんなやり取りをずっと続けていたのでは、書類の整理もあったものじゃない。空気の入れ替えのためにも、誰かが来てくれれば、気楽になるのだが。
「なに書類整理の一つで騒いでいるんだよ」
「あなたが来ることは求めてない」
誠が両手で書類の入った段ボール箱を抱えながら部屋の様子を見るように、覗いていたので痛烈な言葉を浴びせる。
「毒舌にも程があるだろ。僕にも勝てないクセに」
「すぐに追い抜いてやるわよ」
「どうだか」
「さっさと、どっか行け。あなたは、邪魔」
「……なんだろう。僕はどうしてこうも、煙たがられているんだろう。納得ができない」
鳴のドスの利いた声に気圧されて、誠は文句を言いながらその場を立ち去る。
誠の登場もあって、空気が一気に冷めた。そのおかげで、テキパキと書類を片付けて行く。
「雅は、ディルが好き?」
ズシャァッと抱えていた書類の束を滑り落とす。もう何回目か分からない。
「直球過ぎる」
「でも、好き、でしょ?」
「……好き、だけど」
「私も、ジギタリスが好き」
「それは知ってる」
「歳が、離れ過ぎているのって、どう?」
「どう……なんだろ。分かんない」
「分からない、ね」
雅と鳴は互いに朱色に染まった頬を見てクスッと、はにかむ。雅は落とした書類を掻き集めて、鳴は書類の仕分けをする。その作業に没頭する。でなければ、煩悩がまた自身を支配するだろうと二人とも思っているからだ。
「でも、ディルもジギタリスも、昔はどんな人だったんだろうね」
「ちょっとだけ、興味は、ある。でも、なんか、怖いから訊けない」
「だよね」
雅は日の沈んで行く窓の外の景色を眺めながら、肯いた。




