【-今度こそ-】
何度、「死なない」「負けない」と口にしただろう。それはもう雅にも分からない。
けれど、今ほど、発した言葉に絶対の自信を持ったことはただの一度も無い。
だからこそ、ディルの存在が自分にとって絶対であったのだと、分かる。そして、この時を持って雅は、ディルに対する想いが敬慕を越えた恋慕であるのだと認める。
認めることで、迷いもなにもない。
自然体の自分で臨むことができる。恐怖は消え、畏れも無い。二十年前の生き残りの相手をさせられるのは、重圧であるはずなのに、肩は軽く心まで軽い。
なんでもできる。
雅は爛々と瞳を輝かせながら、両手の黒白の短剣を強く握り直す。
「遅ぇ」
ディルの呟きが聞こえる。鳴の斬撃を斧鎗で受け止め、更に足を回して彼女を蹴り飛ばした。
「そして、楯突くには百年早ぇ。おら、どした? とっとと体勢を整えて掛かって来い!」
変わらない暴力。そして、暴力を振るうときの狂気に満ちた顔。そして、容貌に相応しい狂いに狂った、馬鹿げた戦闘力。なにもかも、変わらない。
いや、変わらないどころか、衰えず、そして伸びているようにすら思えて来る。
鳴は……折れるだろうな。
結末を想像しつつ、雅はジギタリスへと走る。
「そんな足運びも足捌きも、僕の前では全て無駄だ」
十字大剣を横薙ぎに振るわれ、熱を帯びた剣圧が迫る。雅は前方の空気を変質させ、炎を左右に風圧で分かつ。
「別にあなたに見せるために、俊敏に動いているわけじゃないわよ」
なに勘違いしているの、と付け足したかったが、それだけの強がりを言えるほどの相手ではない。剣圧を左右に裂いたが、それでジギタリスに勝ったことにはならない。そしてこうして、すぐ近くまで距離を詰めても、この男は余裕綽々なのだ。
「僕に歯向かうことがどれほどの罪か、分からないようだね」
言いながら十字大剣を振りかざす。炎に質量があるのかどうかは定かではないが、あれだけ大きいのだから重いのだろうと高を括っていたが、怖ろしいほど振りが速い。両手の短剣を右に束ねて防いでみせるが、あまりにも一撃が重く、体が左に傾いだ。
しかし、これは初めての重みじゃない。
ナスタチウムはこれぐらいの殴打を放って来る。そして雅はそれを防いだことがある。それは二日間に及ぶ訓練の中で、ではなく、選定の街で手合わせをしたときに、だ。
だから、この重みへの対応はできる。
大剣とは思えない速度で振るわれる重い剣戟の数々を、短剣で防ぎつつも剣身を滑らせて、力を流す。ジギタリスはこれだけ近付いて分かったが、ディルよりも細身だ。それでこれだけの重みを片手だけで繰り出しているのなら、それは『炎』の使い手であるからに他ならないのだろう。
剣戟の重みの要因を探る。受け流しつつ、観察眼を発揮させる。
剣は両刃、刀は片刃。そういった違いがあるが、この十字の大剣は、両刃から炎を噴出させている。
つまり、それが推進力なのだ。ジギタリスが大剣を振るった方向に加速するために、炎を噴かせている。飛行機は、エネルギーを噴射することで揚力と浮力を掴み、空を飛んだらしい。ロケットはエネルギーを噴射して、宇宙まで行ったとも言われている。つまり、炎はエネルギーの原石そのもので、それを噴かすことによってジギタリスは大剣に推進力を与え、剣戟に重さを与えている。
こんなものに対応する術なんてあるわけがない。雅は「ふざけんな」と思いつつ、重い剣戟を流して行く。
「ああ、君は随分と持ち堪えるね。なら、これはどうだろう? すぐに燃え尽きてもらいたいのに、そうやって頑張るから、逆に苦痛を味わう羽目になるんだよ」
重い剣戟がやんだかと思うと、ジギタリスは少し距離を取って、十字大剣を膨張させる。不意討ちとばかりに浴びた、あの爆熱をまた放出されてはたまらない。しかし、あのときとは構え方も違う。
だから嫌なのだ。一度見ていれば、それなりの対応策も浮かぶが、初めて見る場合はそれもままならない。なら雅にできることは、一つだけ。
前面に空気の変質を行う。風の渦が全部で六つ。それも知らず、ジギタリスが膨張した十字大剣を縦に振るう。熱を帯びた剣圧は中途で三つに分かれ、地面を削り、やがて熱は炎に変わって、その炎の刃が更に六つに分かたれて雅へと迫る。
「六つで良かった」
十二に分かれていたら、或いは速度違いのものが一つでもあったなら、この地面を削りながら突き進んで来る炎の刃を防ぐ手立ては無かった。けれど、六つなら丁度、雅が展開した風の渦と同じだ。
突き進む炎の刃を風の渦が捕らえて、押し止める。触れれば触れた分だけのエネルギーを放出して停滞する風の盾だ。雅は成功を確かめてから、すぐさま左に跳び退る。停滞していた炎の刃が、捉えるはずだった雅の居た場所へと収束し、六の方角からその地点を蹂躙している。
「風で受け止める……? ふふふ、それは、ディルが教えてくれた力かい?」
駆け寄り、雅の剣戟を受け止めつつ、ジギタリスは問う。正直なところ、炎を間近に感じているため、その熱量が凄まじく、こうして密着した戦いはできることなら避けたい上に、言葉すら発することもしたくはないのだが。
「違う」
「違う?」
「そうよ。これは」
雅は力強く、続ける。
「これは私だけの、私自身の、私だからこその、力だ!」
自身の力と向き合い、他人の力の使い方を知り、そして試行錯誤を繰り返した末に、見出した自分だけのもの。ディルに教えられた力の使い方もある。けれど、それが全てではない。それだけが雅の力を構成するものばかりではない。
「生意気な娘だね、君は」
ジギタリスは静かに言い放ち、雅の剣戟を重い剣戟で返して来る。
「そうよ、私は生意気で強欲で! 諦めが悪い、業突く張りの女よ!!」
瞬間、閃いて雅は黒白の短剣の、自らが振るう剣身の逆側に意識を集中させる。
「だから、私は強くなるためならなんでも貰うわ!」
「どういう意味だ、」
い? とは続けさせないほどの衝撃を、剣戟によって与え、そしてそれを受け止められずにジギタリスが十字大剣ごと吹き飛んだ。なにが起こったか分からなかったらしく、そのまま地面に何度も体を打ち付け、ようやく止まった頃に体を起こした。
「まさか……ふざ、けるな」
ジギタリスは自身の頭部から伝う血を見て、怒りを露わにする。その怒りを体現するかのように男の周囲一帯に炎の渦が生じ、焦土へと変える。
「なんでも貰うって、言った」
「だから、僕の力の使い方を、真似た? これは君が考えている以上に高度なことなんだ。君なんかが、できるわけがない!」
音と風の違い。音圧と風圧の違い。どちらも空気に干渉する力。だけど、どこか違う。音は柔らかいと言われることもあるが、攻撃的であればあるほど波長で示される通り、刺々しく、風は攻撃的であっても渦を巻くほどに柔らかい。音は壁を作る。それは大音量ともなれば、人は足を止めざるを得ないから。風は循環し、停滞する。それは生物が呼吸するために必要な酸素を送り届けなければならないから。
雅はずっと、鳴との戦いの中で違いを探し続けて来た。そして、ジギタリスの力の使い方を見て、分かった。柔軟性こそが、『風使い』の強みなのだと。
風はなんでも吸収する。渦を巻けば、なんだって吸い込み、持ち上げる。
だから雅は、その柔軟な風を、風力を、ジギタリスが炎を噴射することで推進力を得るように、同じく風圧を剣身から噴かせることで剣戟に重みを加えた。まさか軽かった一撃が突然、重くなるとは思わず、そしてそこから押し寄せる風力の強さにジギタリスは抗うこともできずに吹き飛んだのだ。
「“正義”は僕にある。なら、勝つのはこの僕なんだ」
「あなたは“正義”に酔っているだけ」
「うるさい!」
叫んだジギタリスが地面を蹴り、雅に十字大剣を振るう。それを風力を得た黒白の短剣で受け止め、そして二本であることの強みで押し返す。
重い剣戟に、二つの重い剣戟。確かに風は一度放出すればどこかへと流れて行ってしまう。けれど、巡り巡ってまた戻って来る。だから雅の短剣に掛けられた力は、常に変質を続ける。常に雅の剣戟に推進力を与え、足りない力を補わせてくれる。
「海竜を助けてなんになる!? 海竜を救ってなんになる?! 人々が絶望するだけだろう!? 君たちは本当に愚かだ。あんな、海魔の化け物を生かし続けることが、今後の人間の生存すらも握っているかも知れないと言うのに!」
「私は!」
十字に振るって、ジギタリスを弾き飛ばす。
「リィの可能性を信じる!」
「詭弁だ! そんな、子供染みた言葉で、僕は納得するわけがないだろう! あの海竜を助けて、どうする!? 具体性を示せ。示さなければ、生かす価値が無い!」
弾き飛ばしたはずなのに、すぐに体勢を整えて、十字大剣を振るって来る。先ほどよりも重みが増している。今度は雅が押し返されそうになる。
「良いかい!? 君たちが海竜なんかに目を向けている間に、事態は最悪な方向に向かっているんだ。僕はそれを止めるために海竜を利用しようと考えた。海竜の高純度の『穢れた水』は、投与した海魔の死体を動かすことができる! それを、レジェがあの短刀で音を鳴らすことができたなら! 僕たちは狩った数だけの海魔を支配下に置き、この世に無数に存在する海魔をいつか滅ぼすことができる。そう考えているんだ!」
「海魔の骸を動かして、それを戦力に加える理由はなんなの?!」
「それが“正義”だからだ! 人が、使い手が、討伐者が危険を及ぼさずに海魔を殺し尽くせるようになる! そうすれば、『上層部』の浄化計画だって白紙に戻るはずだ」
浄化計画?
訊ね返す余裕は無い。雅はジギタリスの振るった瞬間を狙って、懐に滑り込む。しかし、それを待っていたかのように男は笑みを浮かべ、そして自身を中心に熱を帯びた爆発を生じる。
「これでさすがに、」
「私は死なないし、負けないわよ」
爆発に呑まれたはずの雅は煙の最中で答え、そしてジギタリスの十字大剣に剣戟を浴びせて、吹き飛ばした。
「爆発を喰らって、生きている、だと?」
「二十年前の生き残りはみんな揃って気持ちの悪い笑みを浮かべる。大体、笑みを浮かべたときにはわけの分かんないことを考えている。だから、あなたが笑みを浮かべた直後に、私は手を前に突き出して、爆発の前に風の塊を作った。それで、爆発は凌げた」
だが、両の掌は僅かに火傷を負ったらしい。恐らく、治っても痕が残る。だが、死ななかったのだからそれぐらいは安いと、頭を切り替える。
「どこまでも、どこまでも、僕の道を阻むんだな、君たちは」
十字大剣を膨張させて、ジギタリスがギラリと雅を睨む。
「レジェ、壁を張れ。壁の中だけに爆熱の力を突き進ませる」
「分かりました!」
「分かりました、じゃねぇよ!」
ジギタリスの声を聞いて、鳴に隙が出来たのだろう。ディルの容赦の無い蹴りによって彼女の体は男の元まで飛んで行った。しかし、フラつきながらも立ち上がり、視線が縦横無尽に動いている。
「ディル、音の壁が張られていると思う」
「……はっ、見えない壁か。けどよぉ、あの駄々っ子にゃ、そんな余裕は無いわな」
鳴が壁を張り終えたからか、跳躍し、音で作り出した足場を三つほど中継してディルと雅の後ろに回った。逃げる二人を逃さないように出口で待機しているのだろう。
「ほらな、頭が回っていねぇ」
「回っていないんじゃなくて、全ての力が一点に集まるようにしてるんでしょ」
「どうだかなぁ。まぁ、良い」
ディルの片手が雅の頭に乗る。
「やっとテメェに、俺の背中を預けさせてやるよ」
姫崎と戦ったときには、結局、それを果たすことができなかった。
けれど、今度こそは。
雅は力強く肯く。
「俺のことは気にするんじゃ、ねぇぞ?」
「は? 気にするわけないでしょ。私の知っているディルは、人の心配を無碍にする天才なんだから!」
「ククククククッ……クソガキがぁ、良い気になってんじゃねぇ。ポンコツを助け出したら、テメェを蹴り飛ばしてやるよ」
待ち受ける暴力に、やや体を震わせながらも、雅は走る構えを見せて、全ての意識を耳に集める。
ジギタリスが力を溜めている。鳴が通さないとばかりに立っている。左右には不可視の壁があるに違いない。
だが、道のりは“直線”。ジギタリスも鳴も、距離があっても一直線上に向き合っているだけ。
だから――
「行けっ、クソガキ!!」
雅はここで、ようやく、全速力をもって“鳴へと走ることができる”。
「“死神”じゃ、ない?!」
鳴が戸惑う中、雅はただ走る。そして鳴よりも先に、目には見えない空気という空気を次々と変質させて行く。
「速過ぎて、壁が構築できない……っ!」
そして変質させた空気に触れるたびに、雅は加速する。加速して、加速して、加速して、ジギタリスが爆発を起こした瞬間には、既に鳴へと到達している。そして鳴に激突する寸前に、全ての加速を和らげる停滞の風を生み出し、そこを抜けて雅は、風力によって推進力を得た黒白の短剣を両手を同じ角度から振るい、彼女へとぶつけた。勿論、それらは全て短刀で受け止めてくれること前提の動きであり、案の定、受け止めた鳴は、異様なほどの重みとなった雅の剣戟を防ぎ切ることができずに、吹き飛んだ。
続いて、爆発に対応するために振り返るが、驚くことに爆風はこちらまで及んで来ていない。確かに爆発の音は聞こえた。しかし、ディルは金属の壁一枚だけで爆発全てを防ぎ切り、更にはそれを飛び越えて、ジギタリスに頭上から襲い掛かり、そのまま足で胸部を踏み付け、地面に押さえ付けてしまった。
「何故だ!? 何故、どうして!? 僕の『火』はいつも君の『金』を溶かすことができないんだ!?」
「タングステンは金属の中じゃ最も融点が高ぇんだよ。“沸点は5555℃だ”。テメェの『火』なんざ、なにがあっても及ばねぇよ。爆発で打ち飛ばすことを考えて、熱中心じゃなく爆風中心にしてりゃぁ、こんな惨めな結末にも至っていねぇってのになぁ……クククククッ」
言いながら、ディルの視線が雅に向く。
「そっちはどうだ?」
「多分、だけど、上手く行った!」
雅は言って、吹き飛んでから地面で全く動けなくなっている鳴に駆け寄る。息はある。心臓も動いている。そして、雅の短剣は黒と白から変わっていない。ホッと胸を撫で下ろした。
「“死神”が来ると、思っていた、のに」
「ディルは“相手をしろ”と私に言っただけ。ジギタリスを倒せなんて言ってない。勿論、一対一で戦えとも言ってない。だから私は、ジギタリスと鳴の二人をまとめて降参させることができるように、挑発するような言葉を口にした、ってこと。最後は……虚を突くためと、私じゃ、やっぱりジギタリスには敵わないから」
雅は鳴の短刀を二本とも拾い上げる。
「殺してないし、負けてない。これって、私の勝ちで良いよね?」
「…………はい」




