【-見せてみろ-】
雅は渇いた喉を唾で僅かに潤し、それから力の限りを尽くして、斜め上に視線を向ける。
「あ…………」
見覚えのある紅蓮の竜――アジュールの背に立つ男が、共に地上へと降り立つ。アジュールの千切られ、無くなったはずの翼は機械的な、それこそ義手のような金属による仮初の翼を取り付けられており、それも自在に動かせるようで揚力も浮力も得ているように見える。
それ以上に、雅は男を見て、驚愕し、そして涸れたはずの水分たる涙が、目から零れ落ちた。
「ディ、ル」
その名を呼ぶ。ずっとずっと会いたかった男の名を、呼ぶ。
「……おい、クソ女! どこかに残滓を置いて、監視してんだろ!? 水が足りねぇ!! さっさと雨を降らせろ!」
ディルはどこへでもなくそう怒鳴ったのち、雅に向けて水筒を投げて寄越す。それを手に取り、中に入っていた水を一気に飲み干す。
「うっさいなぁ、クソ男。あんたに命令される前から、もうやっているわよ。んじゃ、他にやることあるから、そこは任せるからー。私、『正義漢』に会うと問答無用で蒸発させられるからさー。顔を合わせるのも嫌なのよ」
数秒後、怒涛の如く空から雨が降り注ぐ。それを両手で溜めて、雅を除いた三人が喉を潤し、次にそれぞれが備えていた水筒を空にするまで飲み干して、渇きから解き放たれる。
「それだけ動けんなら、火傷の方はそう気にするほどじゃぁ、ねぇな? さっさとここから立ち去れ。乗り物なら連れて来ている」
「あたいを乗り物扱いすんじゃねぇ!」
竜から人の姿に戻ったアジュールが、まず誠に駆け寄る。
「生きてんのか、おい」
「言われなくても、生きているよ。でも、どうして? 空を飛んで……その、機械の翼は?」
「あの男に付けてもらった。なんでも『金使い』の中で唯一、土塊だろうとなんだろうと機械的な構造の物体に変質させられる力があるんだってよ。あたいも最初は信じていなかったが、ここまで超特急で飛べたからな。さっさとアタイに乗って、ずらかるぞ。そこに居る二人も、早く」
アジュールが人から竜へと変身する。
彼女は二人と言った。つまり、ディルの認識では、雅は立ち去るべき人数に含まれていない。
「待ってください、雅さんも、」
「大丈夫だから。ディルさんと居れば、雅さんは大丈夫だから」
楓の進言を葵が制し、彼女を言い聞かせながら誠と協力してアジュールの背に乗せる。
「ディルさん……雅さんを、よろしくお願いします」
葵は会釈をしたのち、アジュールに乗る。アジュールは大きな鳴き声を上げたのち、産まれ持って生やしていた翼と、ディルに付けてもらったという義翼を羽ばたかせて、一気に天空へと飛翔すると、都市の方へと飛んで行った。
「おい、クソガキ。テメェはまだ、動ける以上に戦えるよなぁ? まさか、俺の訓練を受けていて、この期に及んで戦えませんと頭ん中がお花畑みたいな、馬鹿にはなっていねぇよなぁ?」
変わらない悪辣さ、辛辣さ、そして声に、雅は未だ零れる涙を拭う。
「当たり前でしょ! 私は、死なないし、戦える! ディル、ここにリィが居るの!」
「倒れたまま喚くな、クソガキ。呼ばれなくとも、ポンコツが居る場所に俺は来るんだよ。分かったらさっさと立ち上がれ。どれだけ強くなったのか、見せてみろ。威勢の良いことだけ言って、実は対して力も付けていませんでしたなんて言ったら、蹴り飛ばしてやるよ」
雅は自然と身を起こしていた。つい先ほどまで、絶望を感じていたはずなのに、今ではどこから湧いて来るのか分からないほどの膂力が全身を満たしている。
「さて、死に損なった俺に救いの手を差し伸べた、ジギタリスのガキよ。テメェのお望み通り、殺されに来てやったぜ?」
ジギタリスが鳴へと顔を向ける。
「生かしたのか? 見つけておいて、発見できなかったと嘘の報告をしたのか?」
「私が“死神”を必ず殺します。だから、野垂れ死ぬことなんて私は認めたくなかったんです」
「なんということをしてくれたんだ! この“死神”はそのまま死なせておくべきだった。もしも、そこで死んでいてくれたなら、僕はこうして苛立たずに済んだんだ!」
「申し訳……ありません」
「鳴がディルを助けたの?」
「水とドライフルーツの入ったパックを投げて寄越したな。まぁ、そのまま死んでいてやっても良かったんだが、三途の川を渡る前に、やるべきことを思い出してなぁ」
忌々しそうにジギタリスはディルの投げた斧鎗を手で掴み、放出する炎の熱で溶かし切る。
「『金』は『炎』には敵わない」
「おい、笑わそうとするんじゃねぇよ、『正義漢』。テメェが一度だってこの俺に力を用いて、それでも勝ったことがあるって言うのか?」
鼻で笑い、ジギタリスを挑発しながらディルは更に続ける。
「それで、どうだい? 先天性白皮症のような症状が全身に及び始めている具合はよぉ? はっ、それを醜いと言うのなら、その症状と戦う全ての生物にテメェは喧嘩を売っているってわけだ。そして、テメェが神からの贈り物だとのたまった、その白い外套の材料を提供してくれたアルビノにもなぁ」
「その名を口にするな! この、“死神”が!!」
「俺たちはずっと後悔している。だが、唯一、テメェだけは後悔していなかった。そんなテメェに、先天性白皮症の傾向が見られるってのは、この上ないほどの皮肉だよなぁ!」
ディルの挑発に、ジギタリスが片手で髪を掻き乱しながら、苛立ちを露わにする。
「ジギタリスの心を乱す“死神”! ジギタリスをこれ以上刺激するのなら、容赦はしません!」
「ちっ、ウゼェなぁ。ジギタリスジギタリスジギタリスばっかか? テメェはジギタリスの言うことだけを利くロボットかよ? テメェの意思は介在しねぇのか? あん? しねぇのか……だったら、これから俺がテメェにやることは戦いでも殺し合いでもねぇ……駄々を捏ねる子供を黙らせる、“暴力”だ」
言いつつ、ディルは義眼に片手を当て、斧鎗を引きずり出すようにして変質を完了させる。
「クソガキ」
「は、はい! なんでしょうか!」
久し振りの、力を貸せという意味合いを込められた「クソガキ」というイントネーションに緊張して、敬語になってしまった。
「テメェがジギタリスの相手をしろ。あっちのガキは俺が暴力ってやつを教えてやる。なぁに、ジギタリスは俺よりも、ずっとずっと弱い。これまでテメェが変わらず努力を続けていたのなら、一番良く分かることだろう?」
「私が、ジギタリス、と? え、いや、でも……」
迷う雅に対して、高らかにジギタリスが嗤う。
「君が、僕と? あ、っはははは、冗談も口だけにしなよ、“死神”。まさか本当に、君の鍛えた子と僕を戦わせるとは言わないだろう?」
「……ムカつく」
「だろうよ」
「……ねぇ、ディル? “相手をしろ”ってことは、そういうことよね?」
「それ以外になにがある?」
気味の悪い、いつかに見た醜い笑みを浮かべている。ディルの言ったことをすぐに理解した自身に、僅かばかりの喜びと期待が混じっているのが分かる。
雅もまた、この場には不釣り合いな笑みでもって、ディルの言葉の返事とする。
「“死神”が、私の相手……? いいえ、これほどの機会、逃すわけにも行きません。全てはあの場で私が、あなたを生かしたことから始まっている。だから、あなたの命をこの私がここで取らせてもらいます!」
「あー、うっせぇ! ガキがはしゃいでなに喋ってんのかちっとも伝わんねぇ! 威勢ばかり張ってねぇでさっさと掛かって来い。前置きが長いガキは嫌いだ。クソガキはテメェよりもっと純粋にぶつかって、純粋に暴力にひれ伏したぞ? 要するに、テメェはクソガキ以下だ」
ディルが斧鎗を片手で振り乱しながら、飛び掛かって来た鳴に応戦する。
「まさか、本当の本当に……君と戦うことになるなんて思わなかったよ。まぁ、良いさ。すぐに“死神”を後悔させてやる。君を灰燼に帰したあとで、高らかに笑ってやる! その選択が、過ちだったんだと!」
雨で炎は消え去ったが、胸元で十字を切って作り出した炎の十字大剣で、ジギタリスが薙ぐように振るい、辺り一面に火炎を散らし続ける。
「後悔せずに前に突き進むだけの人なんかに、私は負けない」




