【音は静かに、火は激しく、金は荒々しく】
「あら、鳴じゃないってことが分かるなんて、あなたとは少しばかりお話がしたくなって来たわ。ええ、本当の本当よ? けれど……それは、今生では決して無い。これだけ質問して、否定ばかり返されたのだったら……あとは力で分からせるしかないから」
レジェは高らかに笑いながら、質問をやめて動き出した。
「葵さん、楓ちゃん、お願い」
雅は左右に展開している葵と楓に、指示とも言えない指示を出して、走り出す。
あとは全て自分がやる。そこまでの道のりを、頼むという意思を込めた言葉だったが、どうやら二人にはしっかりと伝わったらしく、葵は氷の爪を携え、楓は三節棍を鉄の弓矢に変質させる。
「動きがさっきよりも少し良くなったかしら……それでも、あなたたちの見解をちっとも理解する気は無いから、止めさせてもらうけれど」
揺らめきながら、レジェが右から来る楓に対して、音のガラス片を大量にばら撒く。けれど、楓は前進を止めない。
「そこは私がもう変えているよ、レジェ」
音のガラス片の一つが触れた空気が渦を成し、風圧となって楓の飛来していた全てを飲み込んで、停滞する。楓は更に駆け抜け、急停止し、鉄の弓の一端を地面に立てて、弦に矢を乗せる。
「あなたたちは、鳴の邪魔をする。邪魔をするから、殺すしかない」
楓のことを注視しつつ、レジェの左手が握る短刀は葵の氷爪を防ぐべく動いている。が、それを見抜いた葵は氷爪を外し、全てを氷の破片としてレジェへと射出させた。
唐突に変えられた攻撃の方法に、僅かばかり眉を動かしたが、それでもレジェは冷静に音圧の壁を作り出して、氷の破片を全て防ぐ。そして右から楓の手によって射出された矢も、身を屈ませながら音圧の壁を作り出し、矢は壁で弾いて、電撃は屈むことで避けた。
でも、私には追い付いていない!
真正面からの雅への対処にレジェが遅れている。だからこそ、この勢いを殺すことなく雅は全力で短剣を振るう。短刀で防がれるが、音圧で弾き飛ばされることはない。『音』の変質をするまでの余裕は無かったらしい。
力を目一杯込めて、弾かれるのではなく雅側が弾いてレジェを押し込む。そのまま逃げられないように押し込んだ分だけ踏み込み、また剣戟を繰り出すことで密着する。
「あなたをこのまま止める」
「鳴じゃない私を、止める? あなたにそれができるかしら?」
「私なら絶対にできる」
「だったら、やってみせて」
剣戟と斬撃の最中、言葉を交わし、音の波動と風の力をぶつけ合い、鬩ぎ合う。
「まだ、人を殺すことは必要なことだなんて言わないでしょうね?」
「人を殺すことのなにが悪いのかしら? 罪人の命を断絶させる。これはとても大切なことだと思うわ。『悪魔』である私ですら、そう思う」
「どうしてあなたは、ジギタリスの言うことを信じるの!? なんで、あの人が言うことが全てなのよ!?」
「それは……鳴が……私が!」
レジェの斬撃に雅がたたらを踏む。
「あの人に拾われて、救われてたから。鳴は、救ってくれた人の言うことは信じたいのよ。だから私も信じるわ。救ってくれた人の願いは叶えたい! だから私は鳴の願いを叶えたい。あなたには、こんなことを話したところで分かってくれないでしょうけれど」
左右の短刀による斬撃の連続。押し込んでいたはずが、逆に押し込められている。急に短刀に乗る一撃一撃の重みが強くなった。
私も、そうなのかも知れない。
雅はその重い一撃を防ぎながらも、考えていた。
ディルがもしも、ジギタリスと同じことをしていたなら?
ディルがもしも、ジギタリスと同じ願いを求めていたのなら?
自分はそれを目指さなかっただろうか? 自分はその願いを叶えたいと思わなかっただろうか?
だが、そんな問い掛けは不要だ。答えは、ノーだ。ディルは雅の全てではない。けれど、レジェにとってはジギタリスが全てなのだ。その人生になにがあったのかは分からない。この突然の豹変も、レジェが自分自身を守るためのなにかだとは思う。葵や楓、誠にもあった暗い過去が、この子にもきっとあるのだろう。
その暗い過去を消し去ってくれるほどの光が、ジギタリスという人そのものなのだ。その人が殺せというのなら殺す。その人が叶えたいというのなら、叶えたい。
これは、ジギタリスが「レジェを“法”の番人にする」と言った戦い。
けれど、違う。これは、レジェがジギタリスの“法”になりたいための戦いなのだ。そうであるならば、人を殺す覚悟なんて実のところ、レジェにだって備わっていない。
だから、レジェじゃない『悪魔』とやらが顔を出した。
あるのはいつだって、海魔を殺す覚悟だけ。人と人との争いなんて嫌に決まっている。それでもやらなければならない。全うしなければならない。ジギタリスの願いを叶えたいから。
「それでも私は、ジギタリスのやっていることは悪だと、言うよ」
雅は諭すように言い切り、押し込められた分だけレジェを押し返す。
「そんなことを言う権利があなたに、」
「御免ね、鳴」
押し切った先にある地面擦れ擦れの空気を、レジェ――鳴が踏み締める。
「そこは私が変質させてある」
鳴の体が真上へと風圧によって吹き飛んだ。
「くっ!」
中空で姿勢を整えて、鳴が着地点を見つめる。楓が素早くその場に走り、鎖鎌の分銅を投げる。
「当たらないわ!」
分銅を音圧で弾き、そして楓に向かって短刀を投げた。楓が転じて、その場から離れる。
鳴が着地し、短刀を拾い上げた刹那、葵が彼女の真上を取る。
「遅い」
「と、思います?」
振るった短剣が氷爪――ではなく水圧の爪に触れ、更に葵が爪をその場で外す。十本の爪を形成していた大量の水を鳴は被る。構わず葵に短刀を続けて振るったところを雅が短剣で防ぐ。
「……まさか、こんな子供騙しに私が引っ掛かってしまうなんて…………」
雅が離れたところで鳴は理解が及んだらしい。
葵の水を吸った地面がみるみると凍結し、続いて鳴の靴を凍らせて行く。短刀で砕こうとしても、それを振るおうとした直後に衣服――ライダースーツの表面が硬く凍り付き、彼女は動けなくなった。
「やっと捉えられましたね」
「あなたは囮、榎木 楓も囮。私を動けなくさせるための算段は、全て白銀 葵にあったということ? そんな話、していなかったのに」
「あなたと押し合いをしている最中、楓ちゃんと葵さんの二人と目が合った。なにを考えているかは分からなかったけど、なにか考えているっぽいから、私はそれに賭けて、あなたの後ろの足元の空気を変質させた」
「なにを考えているかも分からないのに、それを、信じたと?」
動けないまま、少し狼狽している鳴の声を切るかのようにゾンビの悲鳴にも似た鳴き声が轟く。
雅が振り返ると、誠が陽光の剣で、竜の骸の腕から後ろ足まで一気に切り裂いたのが目に映った。
そして光の足場に乗ると、次に骸の背骨から頭までを陽光の剣で引き裂きつつ、トドメとばかりにその骸の頭蓋に剣を突き立てた。そうしてゾンビは動かなくなった。
「次の巡りの果てでは、幸せに」
呟き、誠が竜の骸から地面に降りる。
「ほんとに一人で倒せとは言ってない」
「なんで一人で倒したのに文句を言われなきゃならないんだよ」
強すぎる仲間に対する僻みもそこそこに、雅は動けずに居る鳴に近寄る。
「その体勢だと、視線で空気を変質させられても、抜け出せないでしょ?」
音で地面は抉れない。雅のように風による加速を用いれば可能かも知れないが、それをする余地も、そうして変質させても地面を抉るために投擲するべき短刀を動かすことさえ今の彼女はできない。
「あはっ♪ それじゃ、そろそろ殺すのかしら」
「ううん、殺さない」
「こんな生き恥を晒すくらいなら、死んだ方がマシよ」
「そう思えるくらい元気なら、よけいに鳴は生きなきゃダメ」
「私は鳴じゃないわ。ただの『悪魔』であり、あの男にとってのレジェ」
「レジェは、ジギタリスが求めた“法”の番人。でも、鳴はあなた自身。ジギタリスに逆らわない絶対の忠誠を誓うレジェと私は話をするつもりなんかない。私は、言の葉を、音を大事にする鳴と話がしたいのよ」
「あは……あははは、音を大事にする鳴? 私のことを鳴だと、言ってくれるんだ?」
「当然。鳴じゃないと言っていても、あなたは絶対に鳴だから。ねぇ、鳴。罪を犯した人が殺されるのは、死ぬのはきっと正しいことだよ。だけど、罪かどうかも分からない人を殺すことはきっと、悪いことで、そして殺した方が罪人になる。鳴は、罪人になりたいの?」
「罪人? 裁く側なのに?」
「人を裁くのは人。けれど、そのときに理解して。裁きを下す人もまた、人殺しなのだと」
「……はぁ、駄目ね。駄目だわ。私はもう無理。ねぇ、聞いたかしら? 鳴が罪人になるんなら、私はもうあなたに力を貸せないわ。だから、このまま鳴に体を返す。どうせあなたが出て来たら、私は内側に潜まなきゃならないんだから、これぐらいのワガママは許してくれるでしょう?」
鳴が言い切った直後、五角形の施設の二階のフロア。窓をぶち破り、異様なほどの炎を放出させながら、男が地面に降り立つ。
「はぁ、『悪魔』に期待したのがそもそもの間違いだったのか。大事な実験材料も討たれてしまった。これは思った以上に想定外だった。それに、レジェ? 君には少しだけ失望したよ。室内で勝負を決められると思ったのに、今こうして、そんな不様な姿を晒すなんて、思わなかった」
「……わた、し……なにを、して……?」
「分からないだろうけれど、全て君のしでかしたミスだ。残念だよ、本当に」
「あなたに鳴をどうこう言う資格なんて無いわ!」
明らかに先ほどと意識の異なる鳴が、震えている様を見て、雅が支えるかのように怒鳴る。
「どうして? 僕が彼女を拾った。僕が彼女をそこまで育て上げた。僕は彼女に、彼女としての全てを、願いを、望みを向けるのは当然じゃないかい?」
「人を殺すことのなにが、願いで望みだって言うのよ!」
白の外套を翻し、同じく白の衣服を纏う男――ジギタリスが雅に視線を向ける。紅の、赤々とした眼をしている。そして髪の毛のほとんどが白く染まり、衣服と混じってこの暗闇と照明の中で、異様なまでに眩しい。しかし、白髪にしては容姿はまだ青年、或いは壮年の男性そのもので、そこまで老け込んでいる様子ではない。
「メラニンの生成が徐々に無くなりつつあってね。肌も白くなり始めている。眼球が赤いように見えるのは、虹彩にまで色素が足りないから、血管の赤が浮き出ているんだ。こんな異様な姿で、人前に、自身が従わせる研究者や部下にしか晒さないでいたんだが……君たちのせいで計画の練り直しが必要になってしまうよ。全て、君たちのせいだ。仕方が無い。僕が君たちを、静粛に、粛々と、清き炎によって焼き払ってやろう」
指で十字を切り、炎で作り出された十字架のような大剣で、ジギタリスが前方を薙いだ。熱を帯びた剣圧が鳴を除いた全員を襲い、吹き飛ばされる。
「レジェ、君の氷は僕が溶かしてあげよう。だから、二度と僕を失望させるような、不様な姿は見せないでおくれ」
「……申し訳ありません」
周辺に飛散した炎と、そして先ほどの熱の剣圧によって、鳴を拘束していた氷の全てが溶けて水と化してしまう。
「親玉が登場ってところかい?」
「親玉というか、もうラスボスみたいな雰囲気を漂わせてるんですけど!」
「二十年前の、首都防衛戦の、生き残りです」
「鳴に殺しを良しとする教えと訓練を続けて来た……ジギタリス」
十字架の大剣を片腕で担ぎ直し、ジギタリスが狂ったように笑う。
「どこまでもお花畑な連中だ。現実を直視するんだ。君たちのやっていることは、この世界を良くしようとしていることに反する行為なんだ。こんな醜い僕の姿を見たんだ。さっさと、炭か灰となって消えてくれ」
ジギタリスが跳躍し、十字架の大剣を空中で更に大きく膨張させる。
「誠!」
「熱は防げるか分からないが、やってみるしかないか」
誠が前面に出て、両手で陽光と月光の盾を重ね合わせて、大きく展開した。その後ろに雅たちが姿を急いで姿を隠す。
「そんな路傍の石のような力じゃ、防げないよ。燃え尽きて、消え去れ」
炎の十字大剣の切っ先を、ジギタリスが着地と同時に地面に突き刺す。膨らみ切った熱と炎が大剣から爆発にも似た作用を引き起こす。その爆風は、自身の音圧の壁で熱を遮っていた鳴以外の、『光』の盾で防いでいた誠を含めた四人に襲い掛かり、膨大過ぎる力の前では、彼の盾すらも歯が立たず、怖ろしいまでの熱と炎が全身を蹂躙する。
辛うじて、生きている。雅はうつ伏せに倒れたまま、首だけを動かして辺りを見る。楓も葵も、誠も倒れているが、『風』が呼吸音を伝えて来る。
全身の水分が蒸発でもしたのか、声も出ない。これだけの炎を浴びたのなら、火傷も負っている可能性がある。場合によってはすぐさま処置をしなければ、死に至るほどの大火傷かも知れない。しかし、動くことさえままならない上に、ここには雅たちに“殺意”を向ける男がまだ立っている。
「そのまま、灰の彫像になると良いよ」
ジギタリスが炎の十字大剣を再び膨張させ始める。
「清き炎による罪人の粛清だ。誰も文句は言わないさ」
「テメェの言葉にはいつも文句を言わざるを得ねぇんだよなぁ、『正義漢』!!」
天空から、ジギタリスの元へと斧鎗が襲来する。ジギタリスはそれに驚き、膨張を解いて大きく離れる。斧鎗が地面を貫き、大穴を開け、そしてその穴の周囲一帯を金属へと変質させてしまう。
「この、斧鎗は」
ジギタリスが憎悪に満ちた表情で、空を見上げた。
「また僕の言い分に逆らうのか、“死神”!!」




