【-死神と竜-】
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ドラゴニュートのアジュールは陽気に目的の都市を目指していた。彼女が懇意にする人間から二日遅れて来るようにと言われていたからだ。バンテージに引き千切られ、片翼となった今、彼女に残されているのは足で大地を踏み締め、進むことだけだ。
しかしながら、それをアジュールは片時も苦とは思わない。鍛冶屋の仕事を請け負っていた頃から、空を飛ぶことは少なかった。先代からも目立つからと、飛ぶことを制限されていたこともあった。
それでも知的好奇心から空を舞い、宙を踊ることもあった。それがもうできないことは、ひょっとするとドラゴニュートとしての地位をそれこそ地面に叩き落とされたようなことなのかも知れないが、それでもアジュールはこうして歩くことが楽しくて仕方が無い。
アジュールは、あの街から出たことが無かった。
産まれ故郷に向かう際も竜の姿となり、翼を用いることがほとんだった。だから、こうして大地の感触を確かめながら、そして世界の変わり果てた姿を改めて眺めることは、彼女の好奇心を擽った。人の住まう街を経由することはできなかったが、それでも朝昼晩と過ぎて行く一日の流れを改めて感じ、そしてこんな世界になってもやはり美しい景色は残っているのだと驚かされる。
自らが産まれて来なければ、もっと綺麗な世界だったのかと、僅かながらの気持ちの揺らぎもあったが、それも彼女にとっては乗り越えるべき、そして向かい合うべき感情であったから、決して苦しくはなかった。
その男に遭うまでは――
不意討ちではなかった。男は正面に立ち、動かなかった。アジュールは男が放つ殺気に身を震わせつつ、「何者だ」と声を掛けて返事を待った。しかし、男は答えなかった。
ただ、「ドラゴニュートか?」と訊ねられた。海魔の中でもドラゴニュートは人に近しい。けれど、容姿までもが完全に人間そのものというわけではない。だからこの問いは、男がアジュールをドラゴニュートと分かっていてのものだということに気付くのは難しくなかった。
問いに答えず、アジュールは男を無視するように先を進もうとした。しかし、男は決して彼女の前からは退くことはなかった。アジュールが進めば男が下がり、アジュールが走れば男は後ろに跳ねて、常に距離を一定のまま、保持し続けた。
それに耐え切れず、アジュールは竜の姿となって男を威嚇した。人を襲いたくはない。ドラゴニュートはそもそも人を襲わずとも生きて行ける海魔であるからだ。だから、ただの威嚇に過ぎなかったのだ。
その威嚇に対して、男は鋭い眼光を迸らせ、地面から作り出した斧鎗を用いて、竜の姿のアジュールを圧倒した。それも切り刻まれるのではなく、打撃だけで打ち負かされた。
「片翼か。丁度良い。テメェに翼をくれてやる。だから、俺を今から言う場所まで連れて行け」
男は罵るように竜の彼女の背に乗って、言い放つ。
アジュールはそれを呑んだ。決して恐怖からではない。男が心痛な面持ちであったからだ。




