【-標坂 鳴-】
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標坂 鳴という名は、両親に付けてもらったものではない。少女の名前は、捨て子だった彼女を拾った男女によって付けられた名である。苗字はその男女から貰い、そこに鳴と付け足され、少女は標坂 鳴と呼ばれるようになった。
しかしながら、少女はすぐにまた捨てられることとなる。それは彼女が、産まれながらに使い手であったことが原因にある。産まれながらに、そして幼いが故に、目覚めた力の強大さを知らず、産んだ母親も父親も傷付け、更には彼女を拾った男女すらも傷付けた。
その都市において乞食はほとんど居ない。誰もが――一般人でさえ、仕事をしているつもりで居られるその都市では、そのような卑しい存在に陥ることが無いに等しい。
だからこそ、彼女は拾われては捨てられて、捨てられては拾われてを繰り返すこととなる。
その後、付いたあだ名は『悪魔』。彼女が纏うボロボロの服は、傷付けた人の分だけ血の色に染まり、忌み嫌われるようになる。
けれど、少女には自身のどこが悪いのかがさっぱり分からなかった。自らが持つ力も知らなければ、そして自らが力を持っていることさえ気付けない。
無垢が凶器となり、凶器が無垢であったからこそ、少女は徐々に心を閉ざして行くこととなる。産まれて五年ともなれば、この都市ではほとんど居ない乞食に近い生き方をするようになっていた。口にする料理はどれも廃棄処分されるものばかり。飲み水はただひたすらに、命乞いの如く他者に求め続けた。
その結果、下劣な男に騙されそうになり、その際にも、また無意識の内に力を使い、逃げたこともある。だから、もはや彼女には人を信用するという気持ちは欠片も、微塵も残されていなかったのだ。
その、“正義”を振りかざす男と出会うまでは――
男は少女に食事を与えた、水を与えた、服も与えた。そしてただ一つしか、求めなかった。
自身の持っている力を扱えるように強くなるように、と。優しく男は指示を出した。そのときようやく、彼女は自分が使い手であるのだと知った。その後、男の元で教育を受け、訓練を受けた彼女は、ただ“正義”を振りかざす男の虜となっていた。しかし、虜になっている彼女とは裏腹に、男は彼女を見向きもすることはなかった。
彼女が疑心暗鬼に陥り、人を信じることすらできなくなっていたことがあったように、男もまた人としての感情の一部を、或いは多くを欠落していることに気付いた。
恋慕であっても、絶対に叶わない。そうであっても、傍から離れたくはない。
だから少女は、いつまでも付き従うのだ。たとえ名前で呼ばれることがなくとも、付き従うのだ。“正義”を振りかざす男が実現しようとする未来は、少女には実のところよく分かっていない。しかし、男が目指しているのならそれはきっと、良いことに違いない。
だから今日も少女は、“正義”の男に“法”の名で呼ばれ、全てを遂行する。
自身の中に、未だ『悪魔』が潜んでいることを知らないまま――




